嘘は溺愛のはじまり
――始業時間を少し過ぎた頃、役員フロアにエレベーターが到着した音が響いた。
この時間に出社してくるのは、多分……。
その人がエレベーターを降りたのと同時に、野村さんも私もすぐに立ち上がり、頭を下げる。
「専務、おはようございます」
――私の予想は正解で、やはり伊吹さん……いや、篠宮専務だった。
三つ揃えのスーツを着こなす彼はとても格好良くて、いつ見てもとても素敵だ。
自分がこんな完璧な人と一緒に住んでいるなんて、今でも信じられないぐらい。
伊吹さんはいつも通りの優しい笑顔。
でも私は……昨夜のことと今朝のことを思い出してなんだか複雑な気持ちになってしまっている。
伊吹さんのことが、よく分からない。
あんなに素敵な恋人がいるはずなのに、私と同居していて、私と付き合ってるようなふりをしていて……。
恋人である花屋のあの人は、怒らないの……?
いろんな疑問がいまだ私の頭の中をぐるぐると駆け巡っているけれど、ここは会社だ。
だめだめ、ちゃんとしなきゃ。
仕事とプライベートは別、――そう何度も自分に言い聞かせて……。
「おはようございます、野村さん、若月さん。今日もよろしくお願いします」
伊吹さんはそう言って、いっそう優しく微笑んだ。