嘘は溺愛のはじまり
どこかで携帯のバイブレーションが聞こえる。
きっと、伊吹さんの携帯だ。
「……ごめん。俺の携帯だ」
私が頷くと、伊吹さんが電話に出た。
「……はい。いや、今日は……、……分かりました、戻ります」
伊吹さんは“専務取締役”だ。
大事な仕事中に、私なんかに構っていていいわけがない。
「ごめん、結麻さん。一緒にいてあげたいけど……戻らなきゃいけなくなった」
「大丈夫です。私こそ、ごめんなさい、手を煩わせてしまって……」
「いや、それはいいんだ。それより……ひとりで大丈夫? 誰か寄越そうか?」
「いえ、大丈夫です」
「……やっぱり心配だから、母にでも、」
「あのっ、大丈夫です」
まさか、伊吹さんのお母様に迷惑をかけるわけにはいかない。
私は慌てて首を左右に振る。
「なるべく早く帰るから、寝ていてね? 何か必要なものがあれば、1階のコンシェルジュに頼んでいいから」
「……分かりました」
その後も、何度も私を心配する言葉を私に投げかけながら、秘書の笹原さんの迎えの車で会社へと戻って行った。
「……はぁ」
ベッドに座り、思わず安堵のため息を吐く。
――これから、どうしよう……?
このままで良いわけがない。
私がこのままここにいて良いとは、ますます思えなくなってしまった。
こんなこと、もう自分自身が耐えられない。
もう誰も、私の最低な部分に巻き込みたくはないから……。
私はそろりとベッドから降り、意を決してクローゼットの前に立った――。