嘘は溺愛のはじまり
……と、そんなわけで、どんよりとした空気を纏った状態でコーヒーを啜っているのだ。
どうしても漏れ出そうになるため息をなんとかコーヒーと共に飲み込んで、ゆらゆらと揺れるカップの中の液体をじっと見つめながら、私は重い口を開いた。
「しばらく……来られないかも知れません」
私の言葉に、「そうですよね……」とマスターが呟いた。
今月分のお給料はいただけるとしても、来月からは完全に無収入になるし、引っ越し代だって必要になる。
人間は飲まず食わずで生きていくことは出来ないから、どうしたってお金は減る一方になるわけで……。
この先、運良く再就職先が見つかって、引っ越し先も見つかったとしても、ここから遠く離れた場所だったらもうこのカフェに通うことは出来なくなる。
私はそっとため息を吐いて、視線を窓際へと移した。
私の視線の先には、ひとりの男性が優雅な仕草でコーヒーカップを傾けている。
彼はいつも窓際の席に座り、窓の外を眺めながらコーヒーを飲んでいた。
私は……実はその名前も知らない男性に一目惚れをして、密かに想いを寄せていて……。
こうやってこっそり彼を見つめるのもこれが最後になるかも知れないんだな、と思うと、とても残念な気持ちになる。
仕方がない、もともと私とあの人とは交わることの無い人生だったのだ。
そう思って諦めよう。