嘘は溺愛のはじまり
「ええ……っ?」
今日は伊吹さんもお留守だし、確かにひとりなんだけど……。
奥瀬くんは返事を聞かずに降りて行ってしまった。
……どうしよう。
話があるって言ってたし、仕方ない、かな……。
私は手元の書類を片付けてパソコンの電源を落とし、帰り支度をした。
エレベーターを降りてゲートをくぐると、さっきの言葉通り、奥瀬くんが待っていた。
私を見つけた奥瀬くんの口元に緩い笑みが浮かぶ。
「あの、」
「行こう、ここだと目立つ」
私が何かを言う前に、奥瀬くんはサッと身を翻してエントランスの外へと向かい始めた。
ノー残業デーだからか、夕方6時前の会社のエントランスは退社する社員が次々とゲートからはき出されるように流れ出てくる。
確かにこんなところに立っていると、通る社員全員にもれなくじろじろと見られそうだった。
奥瀬くんの背中を追って、私もエントランスをくぐって外へ足を向けた。
会社を出ても私は奥瀬くんの隣に並ぶことはせず、私は少し斜め後ろから彼を追いかけるように歩いて行く。
奥瀬くんは時々私がいるかどうかを確認するように視線を向けるけれど、隣に並ぼうとしない私を気に留める様子は無い。
高校時代の私を知っているからなんだろうな、と思うと、少し胸の奥がざわつく。
高校を卒業して、全てを断ち切るようにして地元を離れ、大学へ進学して、就職して……。
ここでは誰も、私を知らない。
私がどんな人間なのか。
どんな人間だったのか。
それなのに、今またこうして、あの頃の私を知っている人が目の前にいる――。