何も言わないで。ぎゅっと抱きしめて。
覚えていて良いことなんて、何もないんだ。
涙がじわりと滲み、こぼれ落ちそうになる。
それに抗うように、そっと天井を見上げた。
……馬鹿みたいだ。一人で舞い上がって、一人で幸せを感じて。今だけは私を見て?私を感じて?思い上がりもいいところ。本当、馬鹿みたい。
帰ろう。今すぐに、帰ろう。そして私も忘れるんだ。
グッと涙を拭き、ベッドの下に散らばった服を集めて急いで身につける。
ここに来てすぐに勝手に開けたペットボトルのミネラルウォーターで喉を潤して、残った分は鞄に入れた。
そしてベットサイドのテーブルに、書き置きを残す。
"酔い潰れちゃってたから、家まで運びました。すぐに寝ちゃったから起こさないでおくね。鍵は郵便受けに入れておくから。じゃあね"
いかにも、変なことは何もありませんでしたよ、という内容に自分で笑った。
夢を見させてもらったから、お金の請求はやめてあげる。
「……ありがとう」
でも、一夜の過ちと言うには私にとってはあまりにも残酷だった。
私は、再び滲んだ涙をこぼさないようにそっと部屋を出る。
音を立てないように靴を履いて、借りた鍵で扉を施錠する。
郵便受けにそっと鍵を放り込んで、私は街灯の光を頼りにその場を後にした。