何も言わないで。ぎゅっと抱きしめて。
入社以来常務にはものすごくお世話になっているし、そんな常務から直接打診を受けるなんて仕事ぶりを認めてもらえたということだから、とてもありがたい話だ。
そこからさらに次のキャリアへとつながるのも容易に想像できるし、悪い話ではない。
しかし生まれも育ちも東京で、九州とは縁もゆかりも無い私は、見知らぬ土地でどんな生活になるのかが全く想像できないでいた。
正直挑戦はしてみたいけれど、行きたいかと聞かれたら即答できないというのが本音。考えれば考えるほど、どうしたらいいかがわからなかった。
「……どうしよう」
もう二月中旬だ。常務に返事をする日までほとんど時間が無い。断るにしても受けるにしても速いに越したことはない。でも、だからと言って安易な返事はできない。じっくり考えないと。
まぁ、別に恋人がいるわけでもないし結婚しているわけでもないから、これといって転勤できない理由は無いのだけれど。
ただ、やっぱり即答はできない。
失礼を承知で常務には時間をもらった。
どうしたものか。
コーヒーを飲みながらもう三年くらい使っているスマートフォンを見ると、一件のメッセージが来ていた。
それをタップして確認する。
"今日飲みに行きたい。話聞いて。やけ酒したい"
その文章に続くように、落ち込んだ顔のスタンプが三つ送られてきた。
……あぁ、これ、多分ヤバいやつだ。
コイツがこんな風にスタンプを送ってくる時は大抵爆発寸前の時だ。文面を見るだけで切羽詰まっているのがよくわかる。
しかしまだ時刻は十五時。定時まではまだ時間がある。どうにかそれまで爆発しないでほしい。
ひとまず了承の返事をして、定時であがれるように急いで来週の常務のスケジュール調整に取り掛かった。