何も言わないで。ぎゅっと抱きしめて。
両親には電話での報告になってしまったものの、驚きながらも心配してくれてベビー用品や新生児用の服をたくさん送ってくれた。
周りの人に恵まれていることに感謝しながら日々を過ごして、十一月に無事に元気な男の子を出産。隼也から一文字取って、名前は隼輔にした。
仕事は半年間の育休を経て、その後は一年間時短のテレワークのみに変更してもらえたのも本当にありがたい配慮だった。
これも常務の提案で、小さいうちは子どもはよく熱を出すから、保育園に慣れて少しずつ免疫がつくまではそうした方がいい。そう言われて実現した特例措置だった。
普通なら解雇されたり東京に返されてもおかしくなかったのに、常務はそれを許さなかった。
『私には津田島さんが必要だからね』
そんな言葉が、何よりも嬉しかった。
それから常務が定年退職するまで、それはそれは目まぐるしい毎日だった。
出産でボロボロの身体。子育てに追われながらの仕事。そして一時も休めない育児。
出産してから最初の一年はほとんど記憶に無い。二年目も三年目も自分がどうやってあの頃自我を保っていたのかわからないくらいの忙しさだった。