婚前契約書により、今日から私たちは愛し合う~溺愛圏外のはずが、冷徹御曹司は独占欲を止められない~
(だけどそれなら、あの小さな書斎をどう説明するの)
宗一郎のいたずらっぽい笑い方を思い出すと目眩がする。
権力ですべてを操る高慢で冷酷な御曹司というだけでは、宗一郎を理解できない。
奈子の好きな本を揃えてくれたことも、法律を学んだ理由を話してくれたことも、額に残されたキスのことも。
奈子は冷静になろうとして、ホーズキの財務諸表を分析し、経済誌の取材記事を読み込み、政財界での鬼灯家の評判を徹底的に調査した。
でも、宗一郎がなにを考えているのかはわからなかった。
戯れのようなキスも優しさも、なにもかも宗一郎の策略なのだとしたら、本当はただじっと見つめられるだけで初恋に戸惑う少女みたいにドキドキするなんて、絶対に知られちゃいけない。
奈子はため息をつき、ノートパソコンの画面を閉じた。
仕事に集中できないのは宗一郎の責任だ。
そして、さっきからなんだか妙に見られているせい。
烏丸証券の本社十一階はフリーアドレス式のオープンオフィスになっていて、機密性の高い内容でなければ、どの部署に所属していてもここに仕事を持ち込める。
シンプルなデスクにカウンターテーブル、掘りごたつ式の座席や、寝転んで作業ができるひとり掛けのソファもある。
奈子は窓辺にあるお気に入りのスタンディングデスクで損益計算書の分析を進めていた。
メイクはいつもと変わらないはず。
髪型は昨日と同じポニーテールだし、色は宗一郎と会う前に染め直した。
ハイネックのカットソーとミモレ丈のタイトスカートは何度も着回しているから、うっかりタグを切り忘れているわけでもない。