婚前契約書により、今日から私たちは愛し合う~溺愛圏外のはずが、冷徹御曹司は独占欲を止められない~
それなのに今日はふと気がつくと、誰かが好奇心いっぱいの顔をして奈子を見ている。
今もフロアを横切るふたり組みの女性社員が慌てて目を伏せた。
ひそひそと話しながらオフィスを出ていく。
奈子はついに耐えきれなくなり、すぐそばを通り過ぎようとした男の腕をパッと掴んで引き寄せた。
「ねえ、私になにか言いたいことあるでしょ」
「え、お、俺ですか?」
「この一時間で三回は目が合ったと思うけど」
奈子が問い詰めると、樹宏太は後ろめたそうに顔を逸らした。
樹は投資調査部門の後輩で、異動してきたばかりの頃は奈子が指導を担当していた。
陽気で人懐こく、周囲によく気を配っていて、実は慎重なところもあり、正確な仕事には信頼がある。
「今朝のミーティングで日葵に追い込まれてたの、フォローしてあげたよね」
樹が口もとにえくぼを浮かべながら、困ったように右上を見る。
言い訳を考えているときの癖だ。
「それは本当に、ありがとうございました。俺の勉強不足です。でも壬生さんの追及にあの速さで対応できるの、茅島さんだけっていうか。俺、後半はほとんどなに話してるかわかんなかったですから。主任も冷や汗かいてましたよ。あ、そう、それで茅島さんに質問したいことがあったんですけど、度忘れしちゃったな」
言い返そうとした奈子は、樹の背後から近づいてくる日葵に気がついて口を閉じた。