婚前契約書により、今日から私たちは愛し合う~溺愛圏外のはずが、冷徹御曹司は独占欲を止められない~
幅広の上がり框に鞄を置いて、両手を差し出す。
「おいで」
奈子はギュッと口を引き結んだ。
これじゃまるきり、癇癪を起こしてあやされる二歳児だ。
よりにもよって誰より完璧な宗一郎の前で、どうしてなにもできない子どもみたいになってしまうんだろう。
奈子はテーラードジャケットの裾をギュッと握り、なんとか体勢を立て直そうとしたけれど、手遅れだった。
「ほら、奈子」
宗一郎には抗えない。
奈子は抵抗をあきらめ、傘をそばに立てかけて、とぼとぼと宗一郎の目の前まで進み出た。
スーツの下襟に額をコツンと押し当てる。
宗一郎が奈子の体を抱き寄せ、腕の中に閉じ込めた。
つむじの上にキスをして、ハーフアップにした髪をそっとなでる。
「警備システムのせいで調べはついている。いつもより帰るのが二時間遅いな」
奈子は宗一郎の背中にしがみついた。
たったひとりでこの家にいることがどれほど寂しいか、宗一郎は知らない。
あちこちに宗一郎の匂いが残っていて、時計ばかり見てしまうし、絶対に仕事を妨げたくないのに、次はいつ帰ってくるだろうとか、結婚式で会ったホーズキの秘書がすごくすてきな女の人だったとか、余計なことをたくさん考えてしまう。
それで仕方なく、日葵に外食を付き合ってもらったり、キャパオーバーしている同僚の業務を引き受けて遅くまで会社に残ったりしている。