堅物な和菓子王子は一途に愛を貫く
「御影百合(みかげ ゆり)です。よろしくお願いします」
小さく震える声で言い、ぴょこんと頭を下げる。
今日から配属された新人さんだ。秘書課には結局、新入社員が一人入ってくることになった。
おどおどと顔をあげる様は、まるで新しい家に連れて来られた子猫のよう。
「近江美鈴です。よろしくね」
美鈴さんは、柔らかな印象を与える人だ。励ますように微笑む美鈴さんに対しても、怯えが目に浮かんでいる。
「よ、よろしくお願いいたします」
既に涙目のように見えるのは気のせいか…
「松野彩芽です。いちおう私が指導係ということになるので、よろしくね」
努めて優しく言ったつもりだが、『指導係』という言葉に御影さんはビクンと揺れた。
「よ、よろしくお願いいたします」
ガバッと頭を下げる姿に、思わず美鈴さんと顔を見合わせる。
これは…
チーム秘書が二人しかいないところに入ってきた、おびえた子猫のような御影さん。先行きの不安を感じさせる新人さんだった。
結城さんは珍しく、というか課長なので当たり前なのだが、上司らしく声をかける。
「チーム秘書はこれから三人体制になります。御影さんは、先輩二人の指示を仰いで、早く力になれるようにがんばってください」
その言葉にますます小さくなり、聞こえないほどのか細い声で「がんばります」と御影さんは答えた。
「近江さんと松野さん、ちょっとこちらへ」
朝礼が終わったあと、結城さんに呼ばれて会議室に入る。
「ちょっと不安に感じたかもしれないけど、御影さんのことよろしく頼みます」
困ったような顔で結城さんは頭を掻いた。
「御影さんは、神戸の『御影堂』のお嬢さんなんです。うちの社長と『御影堂』の社長さんが昔から懇意にしている関係で、うちで面倒をみることになりました」
『御影堂』は神戸の老舗の洋菓子店。
京都の『京泉』と並んで、関西を代表する製菓会社だ。
『くらき百貨店』の社長と『御影堂』の社長が懇意なのも納得だけど…
「普通に指導していいんですよね?」
彩芽が不安に思っていたことを、美鈴さんが訊ねてくれた。有名な会社のお嬢様と言われたら、特別な対応が必要なのか気になる。
「もちろん、普通の新入社員として指導してください。御影さんはいずれ『御影堂』に戻って、会社を支えてくことになる。お兄さんがいるので跡継ぎではないですが、なんせあんな感じなので、社会勉強も兼ねて京都に武者修行に出されたってとこです」
武者修行って。入社するだけなのに大変な覚悟だ。
「うちの副社長も若いころは、いろいろな会社に出向して勉強していました。『御影堂』にも一時お世話になってるんですよ」
なるほどね。持ちつ持たれつということか。それを聞いたら、納得するしかない。
「二号店を出すのに伴って、秘書課に増員するのかと思っていました」
呆れたように、美鈴さんが言った。
結城さんは大きく頷き、美鈴さんをなだめにかかる。
「役員が増えると思うので秘書も増やす予定ですが、それは新人じゃなく、既存社員から出す予定です。即戦力のある人を入れますので安心してください」
ふっと息をついて、美鈴さんが引き下がった。
「わかりました。懐いてもらうのに時間がかかりそうですけど、頑張ってみます」