堅物な和菓子王子は一途に愛を貫く
*◇*◇*
「百合ちゃん、これコピーお願いね。10部。両面コピーで、ホッチキス止めまでしてきてね」
「は、はい」
「ゆっくりでいいから。落ち着いてね」
こくんと頷いて、百合ちゃんはコピー室に向かった。
後ろ姿を見送って、思わずため息が出る。
ちょっと難度が高かっただろうか。最近のコピー機は機能がすごくて、会議の資料もホッチキス止めまでしてくれる。だが、その分設定がややこしい。
何回か一緒に作業をしてきたので、出来ると信じたいところだけど…
「30分経って戻ってこなかったら、様子を見に行きます」
美鈴さんに了承を取ると、美鈴さんは何とも言えない顔をした。
「思った以上に、大変やったね…」
「そうですね…」
それ以上話すと愚痴になる。彩芽は口をつぐんだ。
百合ちゃんが秘書課に配属されてから、一週間が過ぎた。正直、これほど大変な一週間を過ごしたのは初めてだ。
百合ちゃんは何というか、要領が悪い子だった。
一つ一つの作業が遅く、ミスも多い。丁寧で遅いのならいいのだが、自信の無さからか、おっかなびっくり仕事をするので失敗につながる感じなのだ。
そして、一つ失敗をするとパニックになり、どんどん失敗を増やしていくタイプだった。
例えば、お茶を淹れるときに急須に茶葉を入れ損ねると、慌てて茶葉をぶちまける。そして、さらに焦って茶碗まで落とし、割ってしまうという具合だ。
茶碗が割れる音が聞こえて給湯室に駆け付けると、なぜか百合ちゃんが茶葉だらけになって、割れた茶碗の横で涙ぐんでいる。
お茶を淹れるだけなのになぜそんなことに、と言いたくなるくらいの大惨事になってしまうのだ。
百合ちゃんが片付けるとさらに被害が拡がるので、彩芽が片付け、百合ちゃんの汚れも落としてやる。彩芽が一人ですると10分もかからない仕事が、倍の時間かかってしまう。
コピーをすると、なぜかいつも用紙を詰まらせ、パソコンのデータ入力をすると、データそのものを消してしまう。
一事が万事そんな具合なので、彩芽の仕事はどんどん増える一方だった。
百合ちゃん自身は、真面目だし何をするのも真剣だ。でも、一生懸命であることが余計に彩芽を辛くさせる。
ちゃんと面倒をみなければという指導係の責任感と、自身の仕事が進まないイライラとで、彩芽はほとほと疲れ果てていた。
百合ちゃんをコピー室に送り出してから30分が経った。予想通り戻ってこない。
「ちょっと様子を見てきますね」
そう言い残して、彩芽はコピー室に向かった。
コピー室では、百合ちゃんが膝まづいて何かしている。
「百合ちゃん、大丈夫?」
声をかけると、百合ちゃんの背中は大きく跳ねた。
「紙が詰まってしまって…」
震える声で言いながら、振り向くと目には涙が浮かんでいる。
ため息をこらえて、彩芽が作業を代わった。
詰まった紙を取り除き、もう一度手順を説明しながら一緒に作業をする。ホッチキス止めが終了するまで10分だった。
「わからなかったら、途中で呼びにきてくれていいのよ」
「す、すみません」
大きな目からは今にも涙がこぼれそうだ。
この涙が余計に彩芽を困らせる。責めているわけではないのだ。仕事がスムーズに進むことが大事なわけで、10分で済む仕事に40分以上かかっていては、会社は回らなくなる。
でも、何かを言うたびに泣きそうになる百合ちゃんを見ると、いじめているような罪悪感があった。
励ましながら席に戻り、簡単な仕事を割り振る。でも、百合ちゃんはいつもの百合ちゃんのまま、失敗を繰り返した。彩芽は仕事が全く進まず、途中でもう相手をしきれなくなる。悪いとは思いながらも、とにかく座ってて、と放ったらかし状態になった。
結局、就業時間内に仕事は終わらず残業も余儀なくされる。心配する美鈴さんを笑顔で送り出し、黙々と仕事を続けた。
仕事が終わって時計をみると、もう9時だ。彩芽は一日分の大きなため息を吐いた。
どうすればいいんだろう。
このままでは、百合ちゃんも彩芽も共倒れになりそうだ。
でも、今は何も考えたくない。明日は土曜日でやっと休みだ。
働き出してから四年、これほどまでに休みを心待ちにしたのは初めてだった。
真面目な顔で三笠を焼くタロちゃんを思い浮かべる。少し心が温かくなって、彩芽は帰り支度をした。