堅物な和菓子王子は一途に愛を貫く
朝起きると、頭に鈍い痛みがあった。
疲れが溜まっているのを感じるが、『まつの』にはどうしても行きたかった。今は肉体的な疲労より、精神的な疲労を癒したい。
柔らかい笑顔で「大丈夫よ」と背中を撫でてくれるおばちゃんの温かい手、タロちゃんが彩芽の為に作ってくれる特別なお菓子。
今、彩芽に必要なのはその二つだ。
午前中はゆっくり休んで、午後から『まつの』に向かう。
新緑の季節、五月も観光客の多いシーズンだ。隣のお土産物屋さんにもたくさんのお客様が入っていて、今日は宮本さんも彩芽に声をかける余裕がないようだった。
『まつの』も店の外には、数人のお客様が並んでいる。5月に入ってかき氷を始め、お客様の数も多くなっていた。
「おばあちゃん、来たよー」
今日は母屋側からお店に入る。
「あぁ、彩芽ちゃん、疲れてるのにありがとねぇ」
忙しそうにパタパタと動きながら、祖母が声をかけてくれた。
最近はのんびりとしていることの多い祖父も、今日はせっせと働いている。
「タロちゃんは?」
姿が見えないので聞いてみると、「お店に出てもらってるの」という返事が返ってきた。
お店を覗くと、確かにタロちゃんはいた。
真剣な顔で、かき氷にかける抹茶をシャカシャカと点てている。女性客は、嬉しそうにタロちゃんを見ていた。
この仕事はいつも祖母と彩芽が担っているが、忙しいときはタロちゃんもやってくれる。
かき氷を始めるにあたって、「うちではお客様の目の前で抹茶を点てて、氷にかけるのよ」と祖母が説明したところ、「わたしもお茶は点てられますので、お手伝いします」という驚きの返事が返ってきたのだ。
「タロちゃん、茶道もしてるの?」
驚いて訊ねると、
「和菓子とお茶は切っても切れない関係なので、茶道の勉強はしていました。抹茶以外に煎茶の勉強もしています」
いかにも研究熱心なタロちゃんらしい返事が返ってきた。
彩芽は『自分で抹茶を点てたらおばあちゃんのおはぎがより美味しく食べられそう』なんていう軽い気持ちで、高校、大学と茶道部に所属していた。
それなりに長い間やっていたわけだが、タロちゃんがシャカシャカと点てる抹茶は彩芽の比ではなかった。
タロちゃんが点てた、まったりと滑らかに仕上がった抹茶を初めて頂いたとき、思わず「結構なお手前で」と言ってしまって、タロちゃんに笑われた。
でも、思わずそう言ってしまうほど、クオリティの高い抹茶だったのだ。こんなお店の片隅で頂くのはもったいない。
「タロちゃんの抹茶を頂きながら、上生菓子を食べたら最高かも」
感心して彩芽がそう言った日の翌週には、タロちゃんが特別に上生菓子を作ってくれていた。
五月にふさわしく新緑をイメージした鮮やかな緑色の練り切り。
美味しい上生菓子と、タロちゃんの点てた抹茶をいただきながら彩芽は大喜びしたのだ。
タロちゃんは、いつも驚きを与えてくれる。タロちゃんに会うと、彩芽も頑張ろうという気持ちになれた。
今は、お店でシャカシャカと抹茶を点てるタロちゃん。出来上がった抹茶をトロリとかき氷にかけると、女性客からは歓声が上がった。
いつも真面目な顔のタロちゃんも、接客の時は柔らかい表情になる。それは接客態度としては当然のことだが、なんだか面白くない気持ちになった。
タロちゃんが奥に戻ってきて、「いらしてたんですか」と声をかけてくれたのに、素直に返事が出ない。
「うん。すぐにお店に出るね」
そう答えるのが精一杯で、急いで支度をしに母屋へ向かった。
何やってんの、私。タロちゃんはただ接客をしていただけなのに…
軽い自己嫌悪に陥る。
最近、こんなことばっかりだ。すぐイライラする。カルシウム不足?
落ち込みそうな気持を整えて支度をした。
今日は忙しい最中に来たので、着物には着替えない。タロちゃんと同じように、黒いエプロンをしてお店に戻った。