堅物な和菓子王子は一途に愛を貫く
月曜日の朝、通勤電車から降りたホームで、彩芽は一日分のため息を先に吐いた。
今日も一日、グッと我慢しなければならない。今吐き出しておけば我慢できるだろう。そう思ったのだ。
結局、昨日は一日どこにも行かず、ずっと家で休んでいた。
「来ちゃダメよ」と念を押すように祖母からの電話が入ったのだ。
タロちゃんにお詫びを言いたい気もしたが、言う通りにした。引っ込められた指のことを考えると、まだ胸が痛む。明るく「ありがとう」と言える自信がなかった。
休養は充分なので、体調はいいはずだ。気持ちの問題だけ。明るくいこう。
そう言い聞かせて、会社へと向かった。
今日は午後一時から、二号店に関する会義がある。出店予定のお店の方々に来てもらって顔合わせをする、大事な会議だった。
資料はもう作成してある。あとは、万能なコピー機に頑張ってもらうだけだ。
この資料は百合ちゃんにも手伝ってもらったが、なかなか苦労した。表紙の部分をお願いしたのだが、表紙一枚を作成するのにどれだけ時間がかかったことか…
いや、出来たのだからそれでいい。何も考えるまい。
頭を振って、秘書課のある部屋に入った。
朝イチで急ぎの仕事が入り、片付けてから会議の資料に取り掛かる。パソコンを操作し、保存先のフォルダを開けると、ファイルがない。
データは、秘書課の人なら誰でも見ることができる共通のフォルダに保存したのだが、あるはずのファイルがなかった。
焦って他のフォルダを確認する。でも、どこにもなかった。
「美鈴さん!今日の会議で使う資料のファイルがないんですけど。知りませんか?」
「えっ!!」
驚いた美鈴さんがやってきて、二人で探す。
「ないわね…」
途方に暮れたような声で、美鈴さんが呟いた。そして、ハッとしたように、百合ちゃんに声をかける。
「百合ちゃん、まさかファイル触ってないわよね?」
百合ちゃんは真っ青な顔で、震えるように答えた。
「金曜日、彩芽さんに表紙を確認してもらってOKをいただいた後、やっぱり文字の大きさをもう少し大きくしようと思って、やり直しました…」
まさか…
美鈴さんが頭を抱える。
「大丈夫ですよ。消してもゴミ箱に残ってますし」
彩芽は自分に言い聞かせるように明るく言って、ゴミ箱のアイコンをクリックした。
空っぽだ。まさか、このタイミングで結城さんが消した?
大事なファイルを間違って削除してしまうことはある。それをチェックするために、ゴミ箱フォルダの中身を消すのは課長の結城さんの仕事だった。
「ゴミ箱フォルダが溜まっていたので、私が消しました。する事がなくて、何かしようと思って…」
消え入るような声で、百合ちゃんが言った。
金曜日。コピー騒動の後は彩芽も忙しくて、あまり百合ちゃんを構うことができなかった。簡単な仕事だけを割り振って、確かに放ったらかしにしてしまっていたけど…
「百合ちゃん、このフォルダの中身を消すのは結城さんの仕事なの…」
美鈴さんが、どうしようもないという感じでうなだれた。
『どうして余計なことをするのよっ!』
唇をかまないと叫んでしまいそうだ。彩芽は、グッと唇を噛み締めた。
血の味がする。
息を整え、頑張って笑顔を顔に張り付けた。
「百合ちゃん、ゴミ箱フォルダの説明するの忘れてた。ごめんね。でも、とりあえず今は、私と美鈴さんが言うこと以外の仕事はしないでね」
百合ちゃんは今にも倒れそうな青い顔でコクコクと頷いた。
優しい言葉をかけるべきなのかもしれない。でも、それ以上、彩芽も声をかける余裕はなかった。
「彩芽ちゃん、とにかく資料の作成をお願い。急いで!」
「わかりました!」