堅物な和菓子王子は一途に愛を貫く
今日は九時半から入社式がある。
役員は全員早めに出勤してくるので、朝のお茶も早めに出すことになった。
副社長室をノックすると、「どうぞ」という渋いバリトンが聞こえる。
「失礼します」
一礼して入室すると、結城さんと副社長が朝のブリーフィングの最中だった。
「あっ!すみません」
慌てて引き返そうとすると、「かまわん、お茶くらい置いていけ」と声をかけてくれたのは、倉木大(くらき ひろむ)副社長だ。
スッキリとしたツーブロックの髪に、彫の深い顔立ち。何よりも痺れるようなバリトンの持ち主の副社長は、女子社員全員の憧れの的だ。
副社長は一ヶ月半前に社内結婚をしたのだが、ショックで会社を休んだ女性社員がいるとかいないとか…
アイドルの結婚並みの騒ぎだった。
置いていっていいと言われたので、ペコペコしながらお茶を出す。
副社長はすぐさま手に取り、ゆっくり一口飲むと、大きく息をついた。
「松野の淹れるお茶はほんまに美味いな。今度淹れ方を教えてくれ。家で嫁さんに飲ませてやりたい」
副社長は家で奥様にお茶を淹れるのか!
倉木家の意外な内情を聞いて目を丸くした。
副社長の奥様は、吉木美織(よしき みおり)さんという方だ。この四月に催事部から人事部に異動になったが、今でも旧姓で仕事をしている。
セレブな奥様になったのだから悠々と生活を過ごせそうなのに、結婚前と変わることなく淡々と仕事をしている。彩芽にとっては、副社長の結婚より、そちらの方が驚きだった。
結婚とは関係なく、自分の人生を生きるために仕事を続ける。そんな姿勢の吉木さんをカッコイイと思う。
副社長が共働き家庭の夫ととして、奥さんを支えようとしていることが垣間見え、彩芽は嬉しくなった。
「お湯を沸騰させて少し冷ましてから淹れるのがコツです。お暇なときに声をかけてください。淹れ方をお教えしますね」
にっこりと微笑んで答えると、副社長は照れたように笑って頷いた。