堅物な和菓子王子は一途に愛を貫く

四ヶ月というのは短いようで意外と長い。この期間に『まつの』にも彩芽にもいろいろな変化があった。

タロちゃんが修行を終えた後、『まつの』には『京泉』からたくさんの職人さんが修行という名の手伝いに来てくれた。
中でもとりわけ、菊田さん(通称〝菊ちゃん〟)という誰よりも熱心な職人さんがいた。

菊ちゃんの勤める『京泉』は大きな会社だ。自分が作った和菓子が直接お客様に届くところまで見届けることができない。一方、『まつの』では目の前でお客様が食べてくれ、喜ぶ様子を間近で見ることができる。それが菊ちゃんの職人魂に火をつけてしまったようだ。

菊ちゃんは、『京泉』を辞めて『まつの』で働きたいと言い出した。

『京泉』のような給料を出すことは無理よと祖母が説得したのだが、「まつので働けるならお金のことはどうでも構いません」と菊ちゃんは頑張った。

そこまで言ってくれるならと、またしても祖母が菊ちゃんを連れて『京泉』に突撃し、上の人と話をした結果、菊ちゃんは『京泉』の社員のまま『まつの』専属の職人さんになることが決まった。無期限の出向という形だ。

何という祖母の交渉力!いや、それ以上に『京泉』の上の人の懐の深さよ!

「菊ちゃんを雇いたいと頭を下げたんだけど、『京泉』から給料は出すので、菊田をお願いしますと逆にお願いされちゃって。おばあちゃん、心の中で〝ラッキー〟って喜んじゃったわ」

ペロッと舌を出して、祖母は喜んだ。


菊ちゃんは25歳で、職人さんとしては若手な方だ。しかも、新婚ほやほや。すみれちゃんという可愛い奥さんがいる。

結婚してすぐに、夫が会社を辞めると言い出して、さぞかし新妻は気を揉んだだろうと心配したのだが、すみれちゃんは「私は菊田のやりたいことを応援するだけです」ときっぱり言い切った。

菊田すみれちゃん、名前が花畑みたいな23歳。既に肝っ玉母さんの貫禄十分だ。

すみれちゃんの応援も受けて、菊ちゃんは無事『まつの』で働くことになった。

いい職人さんに来てもらえてよかったと松野家一同で喜んでいたら、今度は肝っ玉すみれちゃんが「私もお手伝いします」と言い出した。

「いずれ菊田がお店を出すときに備えて、私も修行をします!」

握りこぶしを作り意気込むすみれちゃんは、〝頼もしい〟の一言に尽きる。

すみれちゃんのお給料くらいは出せるかもとお金の算段をしていると、驚くべきことに、すみれちゃんのお給料も『京泉』が出してくれると言い出した。

さすがにこれは都合がよすぎる。『京泉』に甘えすぎでは?
誰だかわからないままだけど、『京泉』の上の人の懐が深すぎでしょ。

彩芽は心配したのだが、「おばあちゃんもそう言ったんだけど、いいって言うんだもの」と、祖母はコロコロと笑った。

そういった経緯で、今『まつの』は祖父母と菊ちゃん夫妻で切り盛りされている。

「彩芽ちゃんは充分働いてくれたから、もう『くらき』の仕事に専念するのよ」

祖母にそう言われて、彩芽はたまーに様子を見に行くだけになったのだ。

突然お役御免になり、暇になった彩芽は、和食の料理教室に通い始めた。
何か『食』に関することを勉強したいと思ったのだ。

出汁を取るところから丁寧に教わる。

いつかタロちゃんに食べてもらいたいと思いながら、楽しく勉強をしていた。

また、和菓子、洋菓子を問わず、美味しいと評判のお菓子を食べ歩くようになった。

タロちゃんの目指す『洋菓子、和菓子という垣根を越えた美味しいお菓子』を彩芽も一緒に追いかけたいと思ったのだ。

同期の瑠花は驚くほどの情報通で、美味しいものをよく知っている。いろいろなお店を教えてくれるので、一人で行ったり、時には瑠花や百合ちゃんと一緒に行ったりしている。

今まで『まつの』だけで生きてきた彩芽にとって、この生活は新鮮だった。

お菓子の食べ歩きで気づいたことは全部ノートにまとめてある。これもいつかタロちゃんに見せたいなと思いながら丁寧に書き留めていた。

離れていてもタロちゃんを感じながら過ごす、こんな日々が彩芽に取っての毎日だった。

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