彼女の居場所外伝 ~たんたんタヌキ~
退勤時間になって秘書室に取引先の会長夫人が緊急入院したとの連絡が入った。
大きな会社ではないけれど、久保山の伯父さまの若い頃からお付き合いしている大事な取引先だ。特に康ちゃんは子供の頃からかわいがって貰っていたので入院先に駆けつけることになった。
今回は副社長秘書の佐伯さんも一緒に行くらしく慌ただしく出かける準備をしている。

「林さん、ちょっといい?」
康ちゃんが秘書室に顔を出し史也さんが廊下に出て行く。
今日、早く仕事が終われば史也さんを食事に誘おうと思っていたのだけど、もしかして康ちゃんは佐伯さんの代わりに史也さんに同行させるつもりなんだろうか。

私の予想に反して史也さんは何事もなかったように残業をし、佐伯さんが康ちゃんと出かけていった。

私の誘いは「残念だけど、今夜は予定があるからまた今度」と断わられてしまった。まさかと思うけど、その予定って谷口早希と出かけるんじゃないよね。
私の不安はどんどん大きくなっている。

早く帰ってもやることもないから、と違うグループの残業を手伝い帰りが遅くなってしまったのが悪かったのかーーー。

人気の少ないエントランスを出たところに電話を片手に立つ史也さんの姿を見つけた。
また電話・・・と思ってしまった。

たかが噂、されど噂。
そんなものに惑わされて嫉妬している自分は醜い。
今もきっとひどい顔をしているはずだ。

顔を合わせたくないな・・・
死角になる柱の裏を通って大通りに出てしまおうか。ちょうどいいタイミングで5人ほどのグループが通りがかり、その人垣に紛れて彼の背後を通り過ぎようとする。
そんなとき耳に入ってしまった彼の声。

「早希さん、林です。メッセージを聞いたらーー」

不思議と”早希さん”なんて単語をはっきりと耳が拾う。





聞きたくなかった、知りたくなかった。
私の知らないところで二人はつながっている。

噂はたぶんクロなのだ。


大通りまで駆けだした私は目に付いたタクシーに飛び乗った。

胸が痛い。

仕事なのか、プライベートなのか、そんなことはどうでもいい。
傷ついたのは私が彼の素を引き出せる特別な相手ではなかったってこと。

昔から異性にモテていた私は自分に自信があった。
健斗兄さんと康ちゃんのイケメン兄弟と血縁にある私。私たちの祖父はイタリア人で、日本人よりやや彫りの深い顔とスタイルは祖父の血だ。
それだけじゃない、勉強だってがんばったし、髪や肌の手入れだって。

私は彼女に負けたの?
史也さんは私より地味な彼女がいいの?

わからない、わからない。

ーーー負けたくない。
時間を作ってもらって史也さんとお話ししよう。

今夜は久保山のおうちに行って伯母さまに甘えて癒やしてもらおう。


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