愛のない結婚のはずが、御曹司は懐妊妻に独占欲を放つ【憧れの溺愛シリーズ】
「お嬢さん―――いや、寿々那さん」
急に名前を呼ばれて、脈が不穏に波打った。
朱銀に縁取られた白い裾から出た両手を痛いくらいに握りしめて、背中の悪寒と込み上げそうになる吐き気をこらえていると、不意に伸びてきた手に顎を掴まれた。
「やっ…、」
「今宵はもう逃げようだなんて思うなよ。あんたは俺の嫁になるしかないのだから」
早口にそれだけ言うと、彼はわたしに顔を近付けてきた。
何をされるのか頭では分かったけれど、体が固まって動けない。
わたしが顔を背けるのを読んだかのように、あごを掴んだ手に力が込められている。
(………っ)
口を真横に引き結んで、『その時』に備えようと固く目をつぶった時―――。
なにやら廊下の向こう側がガヤガヤと騒がしくなった。
あと数センチ、というところで動きを止めた荒尾が、「チッ」と小さく舌打ちをしたのをわたしは聞き漏らさない。
「……もう少しだけ……お待ちくださいっ……」
聞こえてきたのは母の声。あんなふうに切羽詰まった声を出すのを、最後に聞いたのはいつだろう。
それくらい母の声には動揺が表れている。
「何かあったのか……?」
荒尾が廊下の方を振り返り、そう呟いた時。
「パンッ」と威勢の良い音を立て、両側に開いた襖。
その間に立っている人が目に入った瞬間、わたしは息を呑んで両目を見開いた。