愛のない結婚のはずが、御曹司は懐妊妻に独占欲を放つ【憧れの溺愛シリーズ】
わたしはずっとうつむいていた。『最後に大好きな場所を目に焼き付けたい』という当初の目的も忘れて。
視界に映るのは、膝上のワンピース。それを握りしめる自分の手は冷えすぎて感覚がない。
少しでも自分を鼓舞しようとお気に入りのワンピースを着て来たのに、気分は一向に上らない。春らしい小花柄のふんわりとしたそれは、長い間握りしめられてしわになっているだけ。立ち上がろうと思えば思うほど、お尻に根が生えたみたいに動けなかった。
いっそこのまま、自分もここのハーブになれたらいいのに―――。
そんなバカげた現実逃避くらいしか出来ることがない。
まぶたがじわりと熱を持ち視界がぼやけだしたとき、手の甲にぽたりと大きな雫が落ちてきた。
慌てて頬を拭うけれど、なぜかそこは乾いて。
「あ、」と言いながら上を向くと、緑の梢の隙間からのぞく空が黒くなっていた。
いつのまに―――。
ロンドンは日本に比べて降水量が少ないけれど、その割ににわか雨が多い。「さっきまで晴れていたのに」ということはざらで、出掛ける時の手荷物には折り畳み傘が欠かせない。
今だってちゃんと折り畳み傘はある。スーツケースの中ではなく、肩から下げているショルダーバッグの中に。
出そうと思えばすぐに出せるのに、わたしがした唯一のことと言えば、空から顔を下ろして、手の甲に増えていく雫を見つめることだけ。