愛のない結婚のはずが、御曹司は懐妊妻に独占欲を放つ【憧れの溺愛シリーズ】
[2]

「とりあえずここなら何とかしのげるか」

土砂降りの中飛び込んだのは、一番近くにあった温室。
ひな壇式の棚に所狭しと並べられた鉢植えのわずかな隙間で、彼はそう言いながら足を止めた。

「ずいぶん急な雨だったな」

しっとりとしたバリトンボイスと共に、その人は天を仰ぎ見る。つられて上を向くと、ひっきりなしに屋根を叩く雨が次々とガラスを滑り落ちていた。

「あの…、」

声をかけたのに、彼は返事はおろか、こちらを見ようともしない。閉園間近のせいか温室に他に人はおらず、聞こえてくるのはガラス屋根を叩く雨音だけ。

「あのっ」と、さっきより声を張って呼ぶと、彼はやっとこちらを向いた。

「あの……」

「なんだ」

濡烏(ぬれがらす)のように艶のある黒い瞳が、まっすぐわたしに向けられた。

血管が脈打つ「ドクン」という音が、耳の奥で響く。

「……て、」

「は?」

「手を……、手を離して」

わたしが言うと、その人はわたしの右手に視線を向けた。わたしの手首はまだ、彼の手にしっかりと握られている。

今度こそわたしが言いたいことが分かったはずなのに、彼はなぜか離すどころかその手に力を込めくる。

「っ、」

振り仰ぐと濡羽色(ぬればいろ)の瞳とぶつかる。
彼に掴まれた手首が、痛い。―――ううん、それよりも『熱い』の方が近い。

漆黒の瞳と大きな手の両方に囚われたように、体が動かない。
彼の反対の手がこちらに伸ばされる。無意識に体が後ずさった。
すると彼は、伸ばしかけた手をピタリと止め、わたしの手を解放した。
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