アン薔薇ンスな恋
薔薇色の時間
 梅雨が始まった。芸術家はやたらと雨について、一般人とは異なる特別な感覚で『雨ってステキだー!』ってドヤ顔で言いたがるけど、私は正直意味がわからない。傘を差すのは面倒だし、洗濯物も乾かない。野菜やお米でも育てていたら、雨が有り難く感じるのかもしれないけど、普通の人は雨が降るたびにお米や野菜のことを考えたりはしない。芸術家たちが有り難さから、『ステキだー!』って言っているわけではないことぐらいは承知しているが、雨の魅力って他に何がある? 空から液体が落ちてきているだけじゃないか。いつも晴れているのに、たまに雨が降るという特別性がいいのか? なら、反対にいつも雨が降っていたら、芸術家は『晴れってステキだー!』ってドヤ顔で言うのか。芸術家にとっての雨とは、私たちにとってのアイスの当たり棒に非常に似ているのかもしれない。誰かに自慢できるほどの価値はないが、特別なもの。あ~、アイス食べたい。
 とまぁ、こんなことを考えがちな6月のお昼休み。
「ねぇねぇ、聞いてよ」
 私はプリムちゃんと一緒にお弁当を食べていると、いつものようにプリムちゃんから会話がスタートした。
「昨日テレビでさ、みかんが5個あって、それを3人で均等に分けるにはどうすればいいかっていう問題があって~」
「うんうん」
「正解はミキサーを使ってジュースにするってやつだったんだけど」
「あ、正解言っちゃうんだ」
 せっかく考えようと思ったのに。
「ミキサー持ってくるって変な答えだと思わない?」
「そうかな~、普通にみかんを3分の5個ずつ分けるより、工夫があっていいと思うけど」
「でも、なんかずるくない?」
 と腑に落ちない様子のプリムちゃん。
「そこは柔軟な発想ってやつじゃないの? 知らないけど」
「何でも持って来ていいなら、私だったら、ミキサーよりももっといいもの持ってくるけどね」
「えっ、そんなのあるの?」
「聞きたい?」
「うん、聞きたい」
「私だったらね、みかんをもう1個持ってくる。そうしたら、1人2個ずつ配れるでしょ」
「あ~、それ反則」
 自慢げに言うプリムちゃんに、私は食い気味に突っかかった。
「えぇ~、反則じゃないよ~」
「ずるいよ、みかん持ってくるなんか」
「だってミキサー持ってくるぐらいだったら、みかん持って来て分けた方が早いじゃん」
「みかんがなかったらどうするの?」
「なかったらって話するなら、ミキサーこそなかったらどうするのよ。みかんよりもミキサーの方がない確率高そうだよ」
「と、とにかく、みかんはこの世に5つしかないの!」
「どういう状況よ(笑)」
「もうこの世は終わりに向かっていて、みかんが5個しかない。これは過酷な状況で5個のみかんを分けることになった3人の戦士たちの物語なの!」
「そんな状況でどうしてミキサーは生き残っているの?」
 無理にでも考えてみたが、どう頑張ってもミキサーが生き残ってくれない。
「う~ん……あっ、ミキサーだったら、ジュースにするっていう工夫があるじゃん。普通に配るんじゃなくてさ」
「そんな工夫いらないよ。もし、何でも持って来ていいって状況で3人のうちのリーダーがさ、みかんじゃなくてミキサー持って来たら、私だったら『なんでやねん!』って言うよ」
「それは私も言うかも(笑)」
「じゃあ、みかんの勝ちだね」
「みかんの勝ちだね」
 本当にこれでいいのか、と思うところもあるが、みかんの勝ちに決まった。

 友達と話したり、テキトーに授業を聞いたりするという日常を終わらせると、お待ちかねの放課後だ。
「実はね、私全科目で赤点を回避できたんだ~」
「えっ……」
 2人きりの教室にて、いい報告をしたつもりなのだが、アオイ君は困った顔をし、はぁとため息をついた。
「……僕は悲しいよ。嘘をつかないのが、ハナさんのいいところだと思っていたのに」
「嘘じゃないわ!」
 あはは、と私たちは顔を見合わせて笑い合った。アオイ君とはこうやって冗談を言い合えるくらいにまで仲良くなったのだが、仲良くなったことで、私の頭の悪さも知られてしまったのだ。こんなことはいずれわかることで、初めから隠すつもりもなかったし、今さら恥ずかしいとも思わない。私はこれから先も最低限の勉強だけで乗り切っていくつもりだ。
 ちなみに、今日で全ての中間テストが返却され、順位も知らされたのだが、点数は決して高いとは言えないものだった。厳しいのは始めからわかっていたことだ。元からかなり無理して、受験をし、ギリギリで滑り込んだような学校。それでも、アオイくんに教えてもらったり、プリムちゃんに教えてもらったりしたおかげで切り抜けることができた。
 アオイ君と一緒に勉強して気づいたことは、アオイ君は基本的には、本やノートを読んでいるだけで、書くことはないということだ。ひたすら書いて覚える私とは正反対だ。理由を聞いてみたところ、何回も復習するには書く時間がもったいない、とのことだ。できるだけ少ない勉強時間で一気に覚えたい私からすると、何回も復習するなんて考えたくもないし、やるつもりもない。アオイ君とは目指しているところがかなり違うようだ。結果的には、普通科で2位の成績を取ったアオイ君が正しかった。ちなみに、1位はプリムちゃんだ。私の順位は覚えていない。順位を言いたくないのではなく、順位なんていう高尚なところで勝負をしていない私が、そんなところに注目するわけがない。私にとってテストとは誰かと競い合うようなものではない。自分との闘い、赤点との闘いだ。教科書の文章がそのまま出題される長文読解という名の山張り勝負、選択問題という名の先生との心理戦、公式さえあやふやで、まるで初見の問題が出題される数学の問題などの死闘を繰り広げ、最終的には40点という高いハードルを飛び越えなければならない。こんなギリギリの戦いに、私は美学さえ感じている。
「ハナさん、今日はどうする?」
「どうするって、あっ」
 今日はテスト返しとテストの解説ばかりという超楽ちんな日だったため、宿題ももちろん出されていない。
「何もやることないし、帰りますか」
「う~ん、帰るのもいいけど」
「ん?」
 首をかしげて、何を言うのだろうとアオイ君の顔をじっと見る。
「僕はもう少しハナさんと一緒にいたいかな」
「えっ、はい」
「今日は忙しい?」
「めちゃめちゃ暇ですっ」
 仲良くなっても、甘い言葉には動揺してしまう。私の反応もすべてわかった上で遊ばれているのだろうが、幸せだから、遊ばれていてもかまわない。
「あはは、暇か。それならよかった。駅前のショッピングモールにさ、クレープ屋さんができたんだけど、ハナさんの赤点ギリギリ回避記念に食べに行かない?」
「勝手にギリギリにしないでくれる?」
「ギリギリだったんでしょ?」
「まあね」
「威張るなよ」
 とアオイ君に人差し指でおでこをツンと突かれる。

 ショッピングモール。映画館、ゲームセンター、ブティック、レストラン、カフェなど、たくさんの店が並び、たくさんの人が行きかう施設。来るだけで少しテンションの上がるようなところだが、今日はいつもより胸の鼓動が早い。
 今まで、宿題をして一緒に帰るという地味なことしかしてこなかったが、今日はまるでデートをしているみたいだ。
「平日なのに結構人多いな」
「みんな暇なんだね~」
 と返しながら、周りの人からしたら、私達も暇人に見え、私たちは付き合っているようにも見えるのかと思うとどうにも落ち着かない。自意識過剰なのはわかっているが、見ないでくれと心の中で叫んでしまう。
 アオイ君とは仲良くなれたが、いつまでこんな関係が続くのだろう。今のままでも楽しいけど、もっと欲しい。アオイ君を独り占めしたい。
「ん、どうしたの?」
「はぐれると……死ぬから」
 手を繋いでみようと頑張ってみたが、私の持てる限りの勇気を振り絞っても、袖を掴むのが限界だった。俯いて視線を逸らす私にアオイ君が軽く笑うのが聞こえた。
「そっか、死なれるのは困るね」
 突然、無機質な制服の繊維ではなく、人間の温もりの感じた手にビクリと驚きながらも、すぐさま顔を上げて、アオイ君の顔を見つめた。
「嫌でも離さないよ」
「……」
「何か言えよ」
 とはにかみ、肘で小突いてくるアオイ君の耳が珍しく赤くなっている。
「あ、あざっす」
「あはは、なにそれ」
 笑い出すアオイ君に私もつられて笑ってしまった。恋愛経験が乏しいとこんな返し方しかできないのかと情けなくなる。ムードもなにもない。なにが『あざっす』だ(笑)

「ハナさんいちご好きなの?」
「うん」
 と頷きながら、アオイ君に奢ってもらったチョコイチゴのクレープにかじりついた。
「アオイ君ってバナナ好きなの?」
「好きってわけじゃないけど、クレープと言えばとりあえずチョコバナナかなって」
 私たちは今、フードコートの二人席で向かい合って座っている。向かい合って座るなんていつも教室でやっていることなのに、場所が違うだけで妙な気恥ずかしさがある。
「アオイ君は私のことどう思っているの?」
 突然何言っているんだろう。クレープの好みの話の流れで出すようなことでもないのに。
「言わせたいタイプなんだね」
「言わせたいタイプです!」
「えっ」
 と驚いた顔を見せるアオイ君をまじまじと見つめ返すが、正直自分でも驚いている。手を繋ぐ勇気もなかったのに、何でこんな簡単に言えてしまったのだ。これこそ、慎重にならなければならなかったはずだ。
 それでも、どうして言ってしまったのだと反省する私はいない。
「好きだよ。僕をハナさんの彼氏にしてくれる?」
 しっかりと私を瞳に入れられると、言わせた立場のくせに頬が熱くなる。ドキドキするけど、目を離したくない。ずっと見ていたい。
「うん。私も、好きだから」
 たどたどしくも、気持ちを伝える。手を繋いだときのことと言い、私はどうして大事な場面でいいセリフが思い浮かばないのだ。
「ふふっ、かわいいね」
 微笑むアオイ君には何も言い返せず、熱い頬が緩むのを感じた。

 夜。お風呂も上がって、髪を乾かし、ベッドに寝転がった。
「あ~、やばい」
 思い出しただけで胸が高鳴り、枕を抱きしめ、顔を埋めた。アオイ君に告白されたところを何回も頭の中で繰り返しているが、何回繰り返しても、新鮮で、恥ずかしくて、嬉しくて、息が苦しくなる。
 満足いくまで悶え、枕から顔を上げ、落ち着くためにすぅ~っと大きく息を吸った。いつもやっているようにテレビでもつけようかな、と机に置いてあるリモコンを手に取ろうとしたとき、リモコンの隣で大事なものが放置されていることに気づいた。
「危ない危ない。なくさないようにしないと」
 帰りに記念に撮ったプリクラを自分の手に避難させ、部屋をぐるりと見まわし、私は一番安全そうなテレビ台の下の引き出しにしまった。ここならいつでも確認できるし、他に何も入っていないから、滅多に開けることもない。完璧だ。
 今日は記念日。一番仲のいいプリムちゃんに報告しておこう。
 ベッドに腰かけ、コールの音が3回聞こえたところで、すぐにプリムちゃんは電話に出てくれた。
「もしもし、プリムちゃん?」
「なにー?」
「あのね、報告したいことがあって電話したんだけど」
「妊娠でもしたの?」
「してないよ(笑)」
「あはは、流石にそれはないか~。それで報告って何?」
「アオイ君と付き合うことになったの」
「へぇ~」
「……あれ、あんまり驚かないんだね」
 あまりにも冷静な反応に逆に私が驚いてしまう。
「うん、知ってたもん」
「えっ! 知ってたってどういうこと?」
「噂になってるよ。アオイ君とハナちゃんが放課後に毎日教室でイケないことしてるって」
「その噂間違っているから! だからさっき妊娠とか言ったのね!」
 きゃはは、と電話口から笑い声が聞こえてくる。
「そうだよね~。噂だから事実とはちょっと違うよね~」
「うんうん」
「教室じゃなくて保健室だよね」
「そっちにツッコんでないから!」


   ***


 付き合ったのはいいが、アオイ君とは特に何も変わることのない日常を送り、あっという間に夏休みが始まっている。付き合うだけで何かが変わるということはないと、また一つ賢くなった私だが、夏休み前に大きな試練を乗り越えねばならなかったのだ。
 それは期末テストだ。中間テストと期末テストの間は意外と短い。中間テストを乗り越えたのだから、期末テストぐらい免除してほしいものだが、そういうわけにはいかず、また同じようなものをやらされる。
 私達はどうしてテストをやらされるのか、テストの存在価値とは何か。私みたいな勉強嫌いで、テストがなくなればいいのにと思ったことのある人間なら、一度は考えたことがあるはずだ。この問いに対して、ニュース番組に出てくるような頭の悪いコメンテーターなら『学校が子供たちに対して、勉強を担保するためにテストは必要だ』とうざったいドヤ顔で答えるだろう。一見良さそうに見える答えだが、これは間違っている。この答えには、高校1年生のときに勉強した内容を一度テストすれば、卒業するまで忘れないという前提があるのだ。私には、1年生のときに習ったことなんか卒業するときには忘れているという絶対の自信があるし、私以外の人間もきっと忘れてしまうだろう。それに、私の想像した頭の悪いコメンテーターの回答が真実なら、卒業する間近に今まで習ったものを全てテストし、合格した者だけが卒業できるような仕組みを取っていないといけないはずだが、実際にはそうはなっていない。
 なら、どうしてテストは存在するのか。テストがないと子供は勉強しないと思っているのなら、それは間違いだ。中間テストや期末テストがなくても、受験や就職のときに必要なものをその都度勉強するのが普通だ。それに、子供は家で勉強しないから、無理やりにでも勉強させるためにテストをするというのは、いくらなんでも初めから諦め過ぎだ。そもそも、家で勉強せずとも、授業中にちゃんと理解できるように説明しない先生が悪いのだ。どうせ家で学校の授業の何倍もの復習の時間を割き、勉強しなきゃならないのなら、学校では勉強以外のことをずっとやらせていればいいじゃないか。体育とか、美術とか、音楽とか……これは学校か?
 改めて、テストの必要性を考えるとしたら、成績をつけるために必要ってことでしかない。では、ここで問題になるのが成績の必要性だ。前述したように、テストというのはある時点での能力を計ることはできるが、ほとんどの人が卒業するまでその能力を維持しているとは限らず、往々にして、低下しているものだ。簡単な話、テストが意味の無いものである以上、それを基にした成績もまた意味が無いのだ。
 テスト前の1人の時間はあまり勉強せずにテストとは何かを考えていたのだが、結局のところ、私は期末テストを乗り越えないといけない。理由なきテストに夏休みを奪われるかもしれないという理不尽な恐怖に脅されながらも、この勝負に勝たなければならないのだ。期末テストを乗り切り、補習から逃れられた者にのみ、夏休みが与えられる。中間テストも赤点を取れば放課後に補習をやらされるが、そんな甘い罰は罰でも何でもない。トントンと肩を叩かれ、振り返ったときに指を立てられているのと同じレベルのちょっとしたいたずらだ。
 私たちにとって中間テストなんてものは、期末テストのための予行練習。あくまで本番は長期休みのかかった期末テストだ。そう、今回のテストは遊びじゃない。みんな大好き夏休みが人質に取られている。私達の夏休みを奪おうとする魔の手から逃れられるためには、テスト前に勉強という名の苦行を行い、当日に備えなければいけない。少なくとも、テストをやらなくていい理由を考えている場合ではないのだ。
 必死に考えれば期末テストがなくなるのではないかという甘い誘惑のせいで多少時間はロスしてしまったが、アオイ君とプリムちゃんという秀才2人に勉強を教えてもらったおかげで、今回も全科目で赤点を回避することができた。
 わからない問題も結構あったが、気にすることはない。テスト数日前の授業中に先生に当てられて、答えられずに先生から割としっかりめに心配されたことも、今となってはいい思い出だ。全てはテストを受けているときのあの一瞬、あの一瞬だけ輝ければ何も問題はないのだ! ドヤッ!
 とまぁ、話は戻るが、色々あって今は夏休みだ。
「どっちがいいかな~」
 と鼻歌をしながら、私は姿見の前で服を合わせる。今日は夏祭り。アオイ君と久しぶりのデートだ。
 お祭りということで、魔法科の人たちは授業の一環として、警備をさせられている。プロの魔法使いの指示通りに警備をし、ついでに花火を見ることができるという、おいしい訓練だ。こんな地域のお祭りで暴れるような輩は滅多に出てこないが、たまに現れる不良を捕まえるためにプロの魔法使いや魔法科の人間が働いてくれているおかげで、普通科の私がお祭りを楽しめるというわけだ。
「何を着て行けばいいんだろう」
 友達と遊ぶ時でさえも、着て行く服がなかなか決められない私だが、デートとなるともっとだ。そんなにたくさん持っているわけではないが、これといった一枚が決まらない。私は候補となる服やスカートを狭い部屋に並べて、眺めた。
「う~ん……」
 腰に手を当て、首をかしげた。近くではなく、ちょっと遠くから眺めてみることで何か変わるかと思ったが、何も変わらない。こういうものに正解が何かとは決まっていないが、自分なりの正解を出さなければならない。
「これかな」
 困ったときの赤いワンピースを手に取り、姿見の前に立った。
「よし、これでいこう」
 パパッと着替えて、再び姿見の前に立ち、納得のいった私はうんと頷いた。
「かわいい」
 自分で自分を褒めたあとは、鼻歌と共に散らかった部屋を片付けていく。普段なら億劫な服をクローゼットに戻す作業も、このあとに楽しいことが待っていると思うと、全く苦には思わない。
 部屋を片付け終えるとしばらくして、ピンポーンとインターホンの音が聞こえた。
「はいはーい」
 テレビを消して、鞄を持ち、小走りで向かって玄関のドアを開けた。
「アオイ君!」
 ドアの向こうにはやっぱりアオイ君がいた。宿題を手伝ってもらうという口実で夏休みもほとんど毎日会えているのだが、いつ会えても嬉しいものだ。
「ちゃんと相手が誰か確認しないとダメだろ」
「確認したもん」
「してないだろ。何の嘘だよ」
 あはは、と可笑しそうに笑うアオイ君に私もつられるようにして笑った。
「でも、会ってすぐに言うことがそれなの?」
 玄関の鍵を閉め、振り返り、今度は私が文句を言ってやった。
「今日も可愛いね」
「……えへへ」
「そのワンピースもわざわざ選んでくれたんでしょ」
「いや~、そうなんだよね~」
「とっても似合っているよ」
「そう?」
「……いくよ。なんだよ、このやり取り」
 アオイ君は照れている私に鼻でふっと笑って、手を繋いでくる。
 まだお祭りにも行っていないのに、今日はとってもいい日だ。

 お祭りをやっている場所まで、歩いて15分。遠いと文句を言うには近い距離にある河川敷へ近づくにつれて徐々に周りはお祭りの色へと賑やかになっていき、河川敷まで来ると、一気に空気が変わった。浮かれた人間の集団が作り出した雰囲気。誰も明日のことなんか考えず、今が楽しいことしか考えていないという、私の好きな純粋な楽しさが空気中に溢れている。
「今年も多いな」
「そうだね~」
 まだ始まったばかりで、メインの花火まではだいぶ時間があるが、ぶつからずに歩くのも苦労なぐらい、もうすでに人で埋め尽くされている。
「はぐれるなよ」
「うん」
 ワーワーガヤガヤと聞こえてくるなか、いつもより近い距離で話し、繋いだ手を離さないようにする。金魚すくい、わたあめ、くじ引きなど、様々な屋台が立ち並んでいるのを眺めがら歩いていく。何か食べたいな~と思いながら、ぶらぶらしていると、ふと、おいしい匂いが鼻をかすめ、私は匂いの方向へと顔を向けた。
「イカ焼きだ」
「ハナさんイカ焼き好きなの」
 うんと頷いて答え、アオイ君の手を引っ張って屋台に歩を進め、アオイ君も一緒に購入する。
「めっちゃいい匂い」
 と私はプラスチックに入ったイカ焼きに顔を近づけ、鼻をクンクンさせた。途中でジュースを買い、邪魔にならない様に端っこによって、イカ焼きにかじりついた。
「あ~、おいし~い」
 柔らかく焼かれたイカが甘いたれと絶妙にマッチしている。もっとデートっぽいものを食べればよかったのだろうが、においを嗅いだ時にはもう遅かった。アオイ君も隣でうまっと一言言ったきり、黙々と食べ続ける。
 イカ焼きを食べ終えた私たちはからあげ、フランクフルトと食べ歩いた。
「結構食べたな~」
 至福の呟きに、アオイ君はふふっと微笑んだ。
「食べてばっかりだね」
「お祭りは食べるイベントだからね」
「ちげーよ」
 とゆっくり歩きながら、肘で小突かれる。
「あっ」
 と何かを見つけた様子でアオイ君は歩みを止めた。
「ハナさん、りんごあめ買わない?」
「いいよー。デザートだね」
 さっそくりんごあめの屋台に入って購入し、少し歩いて運よく空いていたベンチに腰掛けた。
「アオイ君も食べ物選ぶんじゃん」
「りんごあめは食べないとダメなんだよ。お祭りなんだから」
「なるほど。私にとってのイカ焼きと同じか」
「イカ焼きそんなに好きなんだ」
 ちょっとおかしそうに笑う。
「アオイ君って甘いもの好きだよね。この前も私と一緒にクレープ食べたし」
 私はりんごあめをがりっとかじった。硬くて外側の飴の部分しか食べられていないが、さっぱりした甘さが口に広がる。味の濃いものばかり食べていた人間にはちょうどいいお口直しだ。
「うん、甘いもの好きだよ」
「どれくらい好きなの?」
「ハナさんの次ぐらい」
「そ、そっか~」
 私は恥ずかしくなって視線を外し、俯いた。改めて言われると、照れてしまい、鼓動も早くなる。急に会話ができなくなり、黙ってしまっていると、アオイ君にほっぺをつつかれた。
「んむっ、なに?」
「かわいいから、触りたくなった」
 恥ずかしくて再び視線を逸らしたくなるが、目を見つめたまま、今度はうまく対応しなければと頭をフル回転させる。
「もっと、触っていいよ」
 何と返答していいやらわからず、つい変態的な言葉を口にしてしまった。
「じゃあ、お構いなく」
 アオイ君はリンゴ飴を膝に置いて、両手で顔を優しく挟んでくる。
「えっ……」
 至近距離で見つめられ、私は反射的に目を閉じた。なんで目を閉じたの、と自分でも驚いている間に、今度はおでこが合わさるのを感じた。ドクンッドクンッと心臓がアオイ君に聞こえそうなくらいの大きな音を立てて鼓動する。
「……」
「……」
 何もされず、沈黙が続いている。頭の中では起こるはずのことが起こらないせいで、時間の流れが遅く感じる。やるなら一思いにやってくれ、とじれったい気持ちをなんとか抑える。
「……」
「続きは二人きりのときにね」
 ふっと笑うのと同時に手を離される。目を開け、現実にほとんどついていけていない私はとりあえず、手元にあったりんご飴をかじってみた。まだ緊張状態にいるせいか、全然味がわからない。
「バカ」
 小さくつぶやき、アオイ君の肩にもたれかかった。
「ごめんね。あまりにも可愛かったから、こんな人前じゃなく、独り占めしたくなったんだ」
 とアオイ君は肩に手を掛けてくる。きっと、アオイ君もちょっとは顔が赤くなっているに違いない。
 目を閉じたときはものすごくドキドキしたし、2人きりになったら何をされるのだろう。

 もうすぐ花火が始まるということで私達は見やすそうなところに移動し、空を見上げて花火が上がるのを待った。
「まだかな」
 と気持ちが逸り、私の声が弾む。
「もうすぐじゃない? おっ」
 アオイ君が声を上げたかと思うと、一つの光が空に向かって飛んで行く。途端に周りは静まり返り、会場にいる全員が一点を見つめる。そして、ドーンと音を響かせ、大きな花火が空に咲いた。
「始まった」
 待ちに待った花火に歓声を上げる観衆のなか、誰に言うでもなく、私はぼそりと呟いた。どんどん花火が打ち上がっていく。近くで見ると、音も光もすごい迫力だ。
「えっ、なに」
 漆黒の壁、漆黒の天井、地上にあるのは黒い薔薇の庭園。だが、庭園というには広すぎる。黒い薔薇だけが咲く、異様な野原。庭園の広さは魔力の大きさに影響されると教えられたことがある。
「ハナさん、僕から離れないで!」
 アオイ君は危機迫る声を出し、私の手を握って辺りを見回す。
 花火に見惚れていると、突然、私たちは庭園に巻き込まれていた。ここにあるのは私の赤い薔薇でも、アオイ君の青い薔薇でもない。黒い薔薇。この黒い薔薇は間違いない。私に魔法を教えた人のものだ。
「あ、あの人」
 と私は視界の右奥にいる一人の男子を指差した。
 私の思った通り、ムーンナイト・クロウだ。私と同い年で、黒い長髪に中性的な顔をしたかわいらしい見た目の男の子だが、性格は全くかわいくない。気難しい奴だ。
 クロウの反対の左側には、首を下に向け、腕をぶらりと下げて、ただ立っているだけの大量の魔法科の人たちの精神エネルギーの群れがいる。
 クロウは右手を大量の精神エネルギーに向け、イバラを巻き付け、破壊していった。
「やっぱり、クロウだ」
「ハナさん知っている人?」
「うん、知っているけど」
「止めないと」
 前に出ようとするアオイ君の腕を掴んだ。
「行かないで! お願いだから!」
 止めている間も、クロウは次々とイバラで精神エネルギーを締め上げていく。
「やめるんだ!」
「あっ」
 アオイ君は私の手を振り払って、突っ走った。気持ちはわからなくはないが、絶対にかなうわけがない。
 アオイ君はクロウに向かって走りながら、自分の周りに青い薔薇を出現させる。他人の庭園でも、魔力を消費して、自分の薔薇を出して操ることができる。アオイ君は私以外に同じ魔法を使える人なんか知らなかった。だから、ぶっつけ本番でやってみたのだろうが、薔薇を出せたところでそんなものは役に立たないだろう。目標のために何もかもを犠牲にし、強さに貪欲であり続けているクロウにアオイ君が敵うわけがない。
「ちっ、邪魔するな」
 イラついた様子でクロウは、近づいてくるアオイ君をぎっと睨みつけた。すると、クロウの黒い薔薇のイバラがアオイ君を捕らえようと動き出した。襲い掛かるイバラに対しアオイ君もイバラで防ごうとするが、クロウのイバラがそれを引き裂くように貫き、破壊していく。突き刺さそうとしてくるイバラを体の至る所にかすり傷を負いながらもギリギリでかわし、強行突破はできないと考えたのか一旦、アオイ君は高く上に飛んで回避した。私達は庭園にいる間はイバラを操れるだけじゃなく、身体能力も大幅に上昇する。これは自分の庭園じゃなくても、同様だ。
「はぁ、はぁ……」
 ほんの短い間のやりとりにアオイ君は息を切らすほど、全力を出している。それに対して、クロウはこちらに顔を向けているだけ。右手でイバラを操り魔法科の人たちの精神エネルギーを破壊しながら、少し注意を向けているだけだ。手や足を使わなくても魔法を使えるのは普通のことだが、手や足を使った方がコントロールしやすいし、力も出せる。だから、本気の戦いで、手も足も使わずに魔法を使う魔法使いはいない。クロウにはそれだけ余裕があるということだ。
 地上に降りたアオイ君は地面を蹴り上げ、真っすぐ飛ぶようにしてクロウに向かって行った。近づいてくるイバラを弾き飛ばすほどの速さで距離を詰めていく。全力でいけばもしかしたら、と見ていることしかできない私が期待を抱き始めた次の瞬間、クロウは全く動かしもしなかった、だらんと下げた左手をぐっと握った。
 すると、上から鞭の様にしならせた1本のイバラが襲い、アオイ君を地面に叩きつけた。
「うっ、ぐぅ……」
 苦しそうな声が聞こえる辺り、アオイ君の意識は飛んでいないようだが、クロウは次の行動をとらせることもなく、あっという間に黒い薔薇でアオイ君の全身を覆い、軽く持ち上げる。
「あぁああ!」
 アオイ君の悲鳴と共にイバラの隙間から光が飛んだ。ついには声も聞こえなくなり、イバラがほどかれると、全身から血が滴り落ちるアオイ君が地面に放り出された。
「ちょっと、大丈夫!」
 殺しを再開したクロウの次々と精神を破壊する音が聞こえる中、私は急いで駆け寄り、遠くなるアオイ君の意識に呼びかけ続けた。
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