アン薔薇ンスな恋
薔薇色の続き
 お祭りがあった次の日。私は今アオイ君の部屋にいる。
「アオイ君、元気?」
「……うん」
 虚ろな目をして頷くが、間違いなく元気ではない。
 昨日クロウに返り討ちにあった後、庭園を出て、救急車を呼び、魔法のことを話しても信用してもらえないことはわかっているので、突然知らない人に襲われ、気づいたらこうなっていたということにして、病院に送ってもらったのだ。病院のお医者さん曰く、傷だらけになっているものの、幸いにして傷が浅かったため、怪我自体はたいしたことはない、とのことだった。しかし、問題はそれだけで終われるほど楽なものじゃない。
「精神が破壊されているみたいね」
 こんなアオイ君は初めて見る。いつもの明るさもなく、無気力にぼ~っとしている。同じ部屋に二人しかいないのに私には興味もない様子で目も合わせず、どこでもない場所を見ている。アオイ君は今、何の目標も持たず、ゆっくりと死んでいくのを待っているかのようにただ生きている。精神を破壊された人間の特徴がそのまま表れている状態だ。
「大丈夫?」
 と俯き加減のアオイ君の顔を覗いてみる。いつもならこんなに顔をじっと見つめたら、頬が熱くなり、胸の鼓動が早くなってしまうのだが、さすがに今は心配が勝ってしまい、そんなことは全くない。精神を破壊された人間は自殺をするほどの意志もなくなるのだが、いざ身内のことになると最悪の事態を考えてしまう。
「早いところ元に戻す方法を見つけないと……」
 目を離した隙に自殺でもされたら大変だ、と悪い想像をしながら呟いた。
「でも、どうしよう」
 私もアオイ君やクロウと同じ魔法を持っているが、治し方までは知らない。治さないといけないということなんか、昨日の夜からずっと考えていたことだが、結局何も思いつかないまま時間だけが経ってしまった。ひょっとしたら1日経てば元に戻っているかもしれないという希望的観測の元、今日ここに来てみたのだが、現実は甘くなかった。
「う~ん」
 改めて考えてみるが、私一人ではどうしようもない。自分の魔法についても昔に教えられたこと以外、何も知らないのだ。調べるにしてもどこかに情報があるわけでもない。
「行くか」
 私は決心をして、立ち上がった。
「アオイ君、ちょっと待っててね」
 無気力なアオイ君にバイバイと手を振り、部屋を後にする。
 こうなったら、この魔法について一番詳しい人に訊いてみるしかない。一番詳しい人、アオイ君をここまで追いつめたムーンナイト・クロウに。


   ***


 花火大会。こんなに賑やかなところに来るのは初めてかもしれない。花火大会の日はいつものランニングコースが人でいっぱいになるため、孤児院の自分の部屋から打ちあがる花火を何発か見たら、自分の庭園に行ってトレーニングをするというのが、毎年の花火大会の日の過ごし方だった。
 別に誰かと一緒にいるのが嫌いというわけではなかったが、俺は自分のことで忙しすぎたため、一人でいることの方が多かった。それでも、孤児院の先生からは友達を作れと言われたことはなかった。一人でいるからと寂しそうに見えなかったのか、一人のクセに楽しそうな奴だと見えたのかは知らないが、今思えば変わった先生だった。先生は30代くらいの男の人で、これといった特徴もない普通の真面目な先生だった。先生は俺にあれこれうるさく言ってこなかったからといって、子供たちに対して無関心でほったらかしにしていたわけではなく、俺が受験で合格したときは人一倍喜んでくれた。普段は表には出さないが、心の中では心配してくれていたのだろう。
 屋台が並ぶ人ごみの中を歩きながら、辺りを見回し、一人で来ているのは俺だけかと当然のことを確認した。俺にも家族がいれば一緒に来ていたのかな。それとも、高校生にもなると親がうっとうしくなって一緒には行きたくなくなるのかもしれない。どっちにしろ、考えるほど虚しいだけだ。
 俺は5歳のとき、大地震で両親を亡くした。
 大地震が起こったとき、俺はたまたま家の前の空き地で虫を取って遊んでいた。地震なんてものをよくわかっていなかった俺は何が起こったのか理解できず、何か怖いことが起きているからすぐに家に帰ろうとしたところ、揺れが大きすぎたせいで、バランスを崩して地面に手をついた。俺は怖くなってそのまま目をつぶり、揺れが収まるのを待った。何が起きているのか理解できてはいないが、何か怖いことが起きている。だから、早く家に帰らないといけないということだけは本能的にわかっていた。そして、揺れが収まり、顔を上げると丁度自分の家が崩壊し始めたんだ。家が崩れ、瓦礫の下敷きになった両親に俺は呼びかけた。だが、声は返ってこなかった。そのときにはもうすでに魔法を使いこなせていた俺は両親の精神エネルギーを感じ取れたから、生きているという確信が持てた。声が返ってこなかったのは、気を失っているだけみたいだった。
 助け出すこともできずに家の前でどれくらいの時間泣いていただろうか。しばらく泣いていると、俺を見つけたプロの魔法使い――若い男の人だった――に話しかけられた。俺は泣きながら、あそこにまだ両親がいることを伝えた。すると、プロの魔法使いは何を思ったのか、俺の手を握って空を飛び始めたんだ。後ろを振り返ると瓦礫の山から煙が立ち始めていた。家との距離が遠くなるにつれて、感じ取れた両親の精神エネルギーも弱くなっていく。徐々に感じ取れなくなったのは距離だけの問題ではない。あのとき、俺の両親は確実に死んでいっていたんだ。
 プロの魔法使いから、避難所に連れられると知らない大人たちに「助けてもらえたんだね」「よかったね」などといった気持ちの悪い言葉をかけられた。こいつらは何を勘違いしているんだ。俺は助けてなんかもらっていない。
 俺はあのとき、5歳にしてあることを悟った。あいつらは助けやすそうな人を助けてヒーロー面しているだけ。助けようとして、失敗して批判されるくらいなら、初めから助けない。本当に困った人を助けるつもりなんかはない。それから、本当に困ったときは自分の力だけを頼りにしなければならない。誰かを頼った結果、俺は大切な人を失った。
 俺が復讐を考えているってことはハナにしか話していない。何の話の流れで話したのかまでは覚えていないが、この会話をしたことだけははっきりと覚えている。
「俺は必ず復讐する。もっと強くなって、全てのプロの魔法使いを殺す」
「そんなことして、何の意味があるの?」
 当時5歳の俺の宣言に、ハナは当然のことを訊いてきた。
 助けてくれなかった魔法使いだけじゃなくて、全員を殺す意味って? 殺してその後どうする? 亡くなった両親は戻ってこないのに? 頭の中で何度も考えたことだ。
「意味なんか……どうでもいい。俺はあいつらを殺さなきゃならないんだ」
「ふ~ん」
 とハナが対して興味もない返事をしてきたことまでもはっきりと覚えている。あいつのことだから、俺を止めようとか、論破してやろうとか、そういう特別な意味があったわけでもなく、気になったから訊いてみただけなんだろう。たいして知りもしない奴の親が死んだなんてことは他人にとってはその程度のことだろうが、俺は死ぬまであのときの悔しさは忘れない。見知らぬプロの魔法使いが俺の両親を見捨てたあの瞬間に俺の人生は決まったんだ。


   ***


 ムーンナイト・クロウ、私に魔法を教えてくれた人で、5歳のときに私のいる孤児院に入ってきた。特別仲が良かったわけでも、悪かったわけでもない。同じ魔法を使えるという、それだけの繋がりだ。クロウとは中学までは同じ所だったが、私とは別の高校、秋桜(あきざくら)美優(びゆう)学園というこの辺りで一番賢い学校に通っている。
 ほとんどの人間はクロウのことを頭がいいだけで、使える魔法はただの瞬間移動だと思っているが、私だけはクロウの魔法のレベルを知っている。クロウは友達と話す時間も遊ぶ時間も一切作らず、自分の才能に驕ることもなく、努力を積み重ね、あらゆるものを犠牲にして強く賢くなったのだ。全ては復讐のために。
 アオイ君の家を出た私は孤児院に電話をして、孤児院の先生にクロウがどこに引っ越したのか教えてもらい、クロウの通う学校の近くにあるボロアパートまで来た。
 私はピンポーンとインターホンを押した。
「はい」
 不機嫌な様子のクロウの声が聞こえてくる。
「クロウ? ハナだけど」
「説教でもしに来たのか」
「クロウにそんなことするわけないでしょ」
 クロウは頭もよく、精神年齢も高い。少しでも悪いと思っていれば、初めからやらないはずだ。
「あぁ、そう。じゃあ、何の用?」
「直接話したいんだけど」
 プツッとインターホンの途切れる音が聞こえ、すぐに玄関の扉が開かれた。
「入って」
 クロウは扉を開けっぱなしにして、部屋の奥へと戻っていった。
「おじゃまします」
 私は背中を追いかけるようにして部屋に入り、脱いだ靴を整えながら、クロウはいつも言葉が少ないと思う。クロウに限らず、男という生き物はもともとあまり話さないものなのかもしれないが、クロウは特に言葉が少ない。さっきのやり取りだって、私でなければ、部屋に入るのを躊躇した女の子も多いはずだ。クロウのことだから、寡黙な自分をカッコいいと思っているわけでもなく、そういう性格なんだろう。
 玄関を入ってすぐのところがキッチンで奥に一つだけ部屋がある。私は部屋に入り、座布団を敷いているクロウの横で、部屋をぐるっと見回してみた。物が散らかっているということもなく、部屋は綺麗にされている。クロウの性格が表れているみたいで、本棚の埃まできっちり掃除されている。
「それで、何の用?」
 と言ってくるクロウはいつの間にか座ってテーブルに頬杖をついている。
「アオイ君を元に戻してほしいの」
 と私も敷いてもらった座布団に座った。
「アオイ君って、邪魔をしてきた奴のことか?」
「うん、その人。アオイ君は別にプロの魔法使いなんか目指していないの。たまたま私と一緒にいただけなの」
 クロウがプロの魔法使いに対して、恨みを持っているのは知っている。アオイ君はそれに巻き込まれただけだ。
「戻すって言ってもなぁ」
 とクロウは腕を組んで考え込んだ。
「俺だって詳しいことは知らないんだ。この魔法は使われた本人も何をされたのかわからないまま、精神を殺すことができる特殊な魔法。誰かにやってみせろと言われて、見せられるようなものでもない。見せられないものである以上、庭園に精神エネルギーを引き込み、破壊するなんてことは、本当はできもしないのに嘘をついていると思われても仕方がない。だから、こんな魔法は使えたとしても、誰かに話そうとも思わない。噂では、国の組織の中に俺たちみたいな精神系の魔法を使うやつもいるっていう話だが、あくまで噂レベルだ。もしかしたら、国が自分の力を大きく見せたくて流したデマかもしれないが、いないとも言い切れない。そいつがどうやって自分の魔法を証明するのかは知らないけどな。絶対にいないと考えるのは難しい。現にアオイって奴は俺たちと全く同じ魔法を使えるみたいだしな」
「うん、それで?」
 結局何を言いたいんだ。
「こんなに珍しい魔法は他の奴らの魔法みたいに研究されているわけでもなく、研究されていたとしても、情報は隠されていると考えた方がいい。つまり、表にある情報はゼロってことだ」
 長々と話していたが、調べようがないと一言いえば終わる話じゃないか。昔、魔法を教えてもらっていたときもそうだったが、普段はほとんど話さないのに、いざ魔法のことになると長々と話し出すのがクロウの悪い癖だ。
「でも、世界で一番この魔法について詳しいのはクロウでしょ」
「お前が何も知らないだけで、俺は何でも知っているわけじゃない」
「クロウがやったことじゃない!」
 無責任な言い草に腹が立ち、声を荒げた。
「何を俺が悪いみたいに言ってんだよ。自分の魔法を最強だと勘違いして、バカみたいに突っ込んできたあいつが悪いんだろ。女の前でカッコつけようとしたのか知らねぇけど、あいつが手を出してこなきゃ、俺は何もしなかったよ」
「そうかもしれないけど……」
 言い返してやりたいが何も言い返せず、唇を結んで少しの間沈黙した。
「……アオイ君は、私にとって大事な人なの」
 必死に考えて出てきた答えがこれだ。言い終わると同時に涙が頬を伝う。私は涙をぬぐって、鼻をすすった。
「クロウしか、頼れる人が、いないの」
「ちょっとは自分で何とかしようと思わないのか」
「考えても、わからないもん」
 上ずった声がで何とか返答する。アオイ君が心配なのはもちろんだが、何もできない自分が悔しくて涙が止まらない。
「……」
「……」
 俯いてただ泣いていると、はぁ~っとため息が聞こえてきた。
「そいつの状態を確認してみるか」
「ありがとう」
「期待するなよ。俺も誰かを元に戻したことなんかないんだから」
「うん」
 私は涙をぬぐいながら、ありがとうと何度もつぶやいた。

 私はさっそくクロウを連れて、アオイ君の部屋へと戻ってきた。
「アオイ君、また来たよ」
「……うん」
 アオイ君は無表情で頷きだけ返してきた。私の隣にクロウがいるのに、興味もない様子でぼ~っと虚空を見つめている。
「完全にやられているな」
「クロウがやったんでしょ。それで、アオイ君は治りそうなの?」
「う~ん」
 クロウはアオイ君を近くでじっくり観察してみるが、わからなかったようで首を傾げた。
「とりあえず、俺たちをお前の庭園に移してくれ」
「わかった」
 と頷いて、私は右手に意識を集中させた。
 漆黒の壁、漆黒の天井、地上にあるのは赤い薔薇の庭園。太陽も月も無く、薔薇の花や葉や茎が幻想的な光を放つ。赤い薔薇の庭園に私とクロウとアオイ君の3人だけがいる。
「お前もわかっていると思うけど、普通、精神を破壊された人間がこっちの世界に再び現れるなんてことはない」
「うん、知ってるよ」
 知っているというか、クロウから教わったことだ。
「俺達と一緒にこいつもここにいるってことは、精神が完全には死んでいないのかもしれない」
「本当!」
 望みが出てきて、思わず声が弾んだ。
「あくまで可能性があるってだけだ。精神は死んでいるけど、こっちの世界に来られるっていうことも考えられる。俺たちの魔法は特殊で、俺たちの体も特殊だからな」
「それで、助けられる方法はあるの?」
「今思いつくのは一つだけだな。俺達3人は特殊な魔法を持ち、特殊な体をしている。それはここにある薔薇も同様だ。ちょっと見とけ」
 とクロウは近くにあった赤い薔薇のイバラを握りだした。反射的に目を背けそうになったが、見とけと言われた以上、目を細めてでも血が垂れ始めた手に注目する。
「移動する」
 クロウは一言いうと、一瞬にして私たち3人を黒い薔薇の庭園へと移動させた。クロウは近くにあった黒い薔薇を操り、傷ついた手のひらにイバラを巻き付けていく。
「痛くないの?」
「痛くない」
 じきにするするとイバラがほどかれ、クロウの手のひらを見てみるとさっきまであったはずの傷が治っていた。
「このイバラは特殊なイバラだ。庭園の(あるじ)以外のもの全てを傷つけていく。その代わり、庭園の主に対しては怪我を治したり、力を与えたりすることもできる」
「そんなことできたんだ」
 と私は感心した声を出した。触れるだけでも痛そうなイバラを自分に巻いてみるなんて、考えたこともなかった。
「アオイが自分で庭園にあるイバラを巻き付ければ、破壊された精神も回復するかもしれない」
「怪我を治すのと同じなの?」
 精神を破壊しているのだから、そんな方法で治るとはにわかに信じ難い。
「本当かどうかやったことないし、わからないよ」
「他に方法はないの?」
「一々聞かないで少しは自分で考えたらどうだ。これだから、頭の悪い奴は嫌いなんだよ」
「ごめん」
 一番困っていて、一番頭を使わないといけないのは私なのに、聞いたら何でも教えてくれると甘えていた。
「だいたい、一度破壊した精神をもとに戻すなんて、一度死んだ人間を生き返らせるようなものなんだ。俺らがやろうとしていることは滅茶苦茶なんだよ。このやり方でダメだったら、もう生き返らないと思え」
 イライラした様子で捲し立てるクロウ。
「うん、わかったよ。やってみるよ」
 何も方法が思いつかずどうしようもなかったところ、一つ希望が見えただけでも十分だ。どうにかして無気力な状態のアオイ君に魔法を使わせないといけないが、でも、どうやって。

 夜。つけっぱなしのテレビを眺めながら、う~んと唸った。
「どうしよう」
 クロウの力を借りたおかげでかすかな希望が生まれたのだが、具体的な策が思いつかない。どうすればアオイ君に魔法を使わせることができるのか。簡単にできそうなことなのに、いいアイデアが出てこない。
「ん?」
 わぁーっとテレビから盛り上げっている様子の声が聞こえて、何が起きたのだろうとテレビに注意を向けた。やっているのはクイズ番組だ。どこかの有名な大学を出ているらしい人が、難しい問題を答えてやたらと盛り上がっている。問題文と答えがまだ表示されているが、答えを見ても私はピンとこない。出演者たちは解答した人に「よくわかったね!」と言って盛り上がっているが、きっとこの人たちもわかっていないだろう。本当に答えが合っているのかどうかもわかっていない人間が、ピンポーンと正解の音が聞こえただけで「よくわかったね!」なんて言えたものだ。無責任というか、テキトーというか……こんな番組のいったい何が面白いんだ。出演者だけでなく、どうせテレビを見ている人も答えが表示されてもピンとこないなら、解答者が間違った答えを言っても、ピンポーンと正解の音を鳴らして、みんなで盛り上がっていたら、ごり押しできるんじゃないか。
 私はリモコンを手に取り、ピッとテレビの電源を落とした。
「あぁ、そうか」
 テレビを消した瞬間、何も考えていなかったはずだが、不意に思いついた。
 アオイ君が魔法を使わざるを得ないギリギリまで追い込めばいいのか。ナイフを突きつけてでも生命の危機を感じさせれば、嫌でも自分の庭園に引きずり込もうとするんじゃないか。
「ダメだ」
 いい考えだと思ったが、すぐさま首を振って、考えを振り払った。精神を破壊された人間なら、そんなことをしても抵抗することなく、死ぬのを選ぶだけだ。また考えなければ、と私は腕を組んで頭を働かせる。
 追い込むというのは間違っていたが、一瞬でもいいから魔法を使わせるという考え方は間違っていないはずだ。アオイ君は精神を破壊されているだけで記憶を消されているわけではない。ということは、趣味や好みといったものは変わっていないということか。それなら、やる気を出させる方法はあるかもしれない。アオイ君の好きなことをさせて、気持ちを高ぶらせることができれば、あの状態でもほんの一瞬やる気が起こるかもしれない。その一瞬を見つけて、青い薔薇が見たくなったとか適当な理由をつけて魔法を使わせれば……。
「よし、これだ」
 ぐっと拳を握って作戦を決めた。


   ***


 夏休みということもあって、ショッピングモールは大いに賑わっている。アオイ君と手を繋いで歩いているから、傍から見たらデートっぽく見えるだろうが、今日はそんなに楽しい気分じゃない。
「今日も人多いね~」
「……」
 返事はない。おそらく、人が多いか少ないかなんてどうでもいいと思っているのだろう。
 アオイ君は意外にも外に出ようと言えば、すんなり付いてきてくれた。
 何も考えずにただ生きるというのはこういう感じなのか。積極的に何かをしようというやる気は起きないが、反抗するという気も起きないみたいだ。これは外に出るという簡単な行為、もっと厳密に言うと、誰かが連れて行ってくれるという、実質的に自分は何もしなくていい行為だから、言う通りに動いてくれたのだろう。一人で外を出歩くとか魔法を使うなど、少しでも自分の意志のいる行為に関してはきっとやってくれない。精神を破壊された人間が頭で考えてアレをやりたいとか、コレはやりたくないとかを決めているわけではなく、本能的に面倒くさそうな行為を避けているだけだと思われるから、多少のブレはあるに違いない。ということは、このブレを意図的に起こさせることができれば、魔法を使わせることだってできるはずだ。
 私たちは今、ショッピングモールにいるが、何の当てもなく来たわけではない。付き合ったときの思い出とクレープという単純においしいものの合わせ技で何とかしようという作戦だ。
 てなわけで、私たちはクレープ屋さんにやってきた。
「私チョコイチゴにするけど、アオイ君は何がいい?」
「……何でもいい」
「そ、そっか~」
 妙なやり取りに店員さんも苦笑している。
「じゃあ、チョコイチゴとチョコバナナで」
 と私が代わりに注文してあげる。初めてアオイ君に奢ってあげて、クレープを受け取り、フードコートのテーブルに着いた。
「おいしい?」
「うん」
 頷きだけかえってくる。特に話すこともなく、アオイ君は黙々と食べている。必要以上にしゃべろうとしない。表情からは読み取れないが、美味しいという感覚はあるみたいだ。クレープを食べても何も変わったところはないが、マイナスなことはしていなはず。だから、ここでさらに追い打ちをかけたいところだが、いい案が思いつかない。
「ねぇ、アオイ君」
 アオイ君は返事はせずに眼だけを向ける。
「付き合った時のこと覚えてる?」
「うん」
 アオイ君は表情一つ変えずに返してくる。
「ここでアオイ君が私に告白したんだよね」
「うん」
「あのときめちゃくちゃ嬉しかったんだ~」
「……」
 返事をするのも面倒くさくなったのか、とうとう何も返ってこなかった。顔を窺うと、アオイ君は無表情でクレープにかじりついた。
 その様子を見て、私はごめんねと心の中でつぶやいた。

「アオイ君楽しい?」
「……別に」
「そうだよね~」
 反省しながら、ゆっくり帰る。
 今日は結局何もできなかった。今思えば、恋愛経験なんてほとんどなかった私が積極的に動くのは無理があったのだ。相手の気持ちを考えることも十分にできず、デートらしいことをやろうとしても何をやっていいのかわからず、今日は前にやったことのあることをなぞっているだけだった。
 本当にイバラを巻けば元に戻るのかなんてわからないが、今はこの方法にすがるしかないのだ。魔法を使わせるためにまた何か作戦を考えないといけない。
「おい!」
 学校の近くの道を通ると、誰かに声を掛けられた。顔を上げると見覚えのある人が立っていた。
「おい、アオイ。なんで俺を見捨てたんだ! 友達なら助けて当然だろ!」
 オシャレさゼロの丸坊主の頭、カッコよさの欠片も感じない全剃りの眉毛、不気味に吊り上がった目。名前は知らないが、前に私をヤバそうな人たちに売ろうとした自称友達だ。アオイ君の肩を掴んで詰め寄る自称友達に私は驚いて思わず手を離してしまった。
「聞いてるのか?」
「……」
「あのことなら、もう解決したんじゃないの?」
 黙ったまま、肩を揺すられているアオイ君の代わりに私が訊いてみた。
 できることなら、魔法を使ってこの人から逃げていきたいが、あのときアオイ君はこの人を見逃したのだ。全員まとめて精神を破壊してもよかったのに、わざわざこの人を見逃したのには何か理由があるはず。もしかしたら、本当はそんなに悪い人じゃないのかもしれない。たまたま付き合った相手が悪かったという運の無い人なのかもしれない。
「あのグループは解散したさ」
「なら、いいじゃない」
「よくねぇーよ!」
 急に怒鳴られてビクッと体が反応してしまう。
「次に入ったグループでもヘマをしちまって、それでまた女を用意しろって言われたんだ」
 理由を聞いて、ため息が出そうになるのをぐっと我慢した。
 人間の性格というものは、生まれ持ってしまった不治の病だ。ここでまた助けてあげても、どこかでまた同じ失敗をするんじゃないか。あのときも親しい関係だったから、アオイ君は見逃しただけで、赤の他人なら簡単に殺していただろう。
「今日まで1カ月くらい金を渡し続けて、なんとか先延ばししてもらっていたけど、もうどうしようもねぇんだ。助けてくれよアオイ。その女を俺にくれ」
「……」
 アオイ君は何も答えることは無く、視線も合わせる気もないようで、俯き加減のままだ。
「今度の奴らはマジでやばくて、殺されるかもしれねぇんだ」
「……」
「黙ってねぇで何か言えよ!」
「……」
「ふざけやがってぇえ!」
 アオイ君の自称友達は拳に炎を纏わせ、アオイ君に殴りかかった。何も抵抗せず、アオイ君はばたりと地面に倒れ、顔を歪めて痛そうに殴られた頬をさすった。魔法を使えば簡単に逃げられるのに、精神を破壊されたアオイ君は魔法を使う様子もない。
「お前、俺について来い」
 怒りをむき出しにした声を出し、人差し指を突きつけてくる。
「行くわけないでしょ」
「なんでだ?」
「当たり前でしょ」
「女のくせに……黙って言うこと聞けよ!」
 自称友達は再び手に炎を纏わせた。そして、この拳は絶対に外さないというような強い意志のこもった目をぎろりと向け、拳を振り上げた。やるしかないと覚悟を決め、私は右手に意識を集中する。やばいと思いながらも、拳よりも早く魔法を発動させようとするが間に合いそうにない。男の手が伸び、やられると思った瞬間、場面が一瞬にして変わった。
 漆黒の壁、漆黒の天井、地上にあるのは()()薔薇の庭園。太陽も月もなく、薔薇の花や葉や茎が幻想的な光を放つ。
「私の薔薇じゃない」
 私の庭園は赤い薔薇だ。私が魔法を発動するよりも早く、アオイ君が発動してくれたみたいだ。アオイ君の方を見ると、アオイ君は無言で自称友達の精神エネルギーにイバラを巻き付け、締め上げている。
「アオイ君、治ったの?」
「……」
 返事がない。まだ治っていないみたいだ。魔法を使ったのは反射的なものだったのだろう。
「イバラを自分の体に巻き付けて!」
「……」
 アオイ君は何も返事をしてくることは無く、ただ立っている。迷っているのかもしれないが、能動的に動くのに抵抗があるのだろう。ここにある薔薇は特殊な薔薇。庭園の主以外は全て傷つけてしまうため、私がイバラを握って巻き付けるわけにはいかず、アオイ君に自分でやってもらうしかない。
 アオイ君は何も返事をしないまま、泉の方に歩き出した。元の世界に戻るつもりだ。
「待って、アオイ君!」
 泉には行かせまいと思いっきり蹴り倒し、うつ伏せになったアオイ君を逃がさないように背中を足で踏みしめた。
「ごめんね。すぐ終わると思うから」
 謝りながら、すぐさま近くにあるイバラを手に取った。
「いてっ」
 トゲが刺さり、痛みが走る。イバラを離して、手の平を見ると血が流れている。今度はトゲに気を付けてイバラを優しく触ってみるが、しっかり握らないと硬い茎は思うように動かせそうにない。
「怪我ぐらい、後で治せばいいよね」
 と自分に言い聞かせて覚悟を決め、イバラを手にした。
「うぅっ」
 手にトゲが刺さり、声が出てしまった。覚悟を決めても痛いものは痛い。流れる血を見たら余計に痛む気がするから、血は気のせいだと見て見ぬフリをし、足元にいるアオイ君の腕にイバラを巻いてみた。
「これでいいのかな」
 イバラを巻くのに精神を破壊されたアオイ君が抵抗しないのは好都合だったが、治っているのかどうか、見た目では全く分からない。そんなにすぐには治らないというだけなのかもしれないが、胸の鼓動はどんどん早くなり、体から嫌な汗がわいてくる。すぐに結果が出ないというだけで、焦りが出てしまう。
「もっとイバラを巻けばいいのかな」
 様子をうかがいながら、頼りなげに呟いた。疑問というより、願望だ。
 きっとイバラが足りないだけだ。私たちは特殊な体をしているんだから、たぶん大丈夫。これで治らないなんか信じたくない。
 ――このやり方でダメだったら、もう生き返らないと思え。
 唐突にクロウから言われた言葉が思い出され、私は次のイバラを手に取った。
「治ってよ!」
 祈るように叫び、イバラの痛みに堪えながらも、しっかり握って巻き付けていく。
「治ってよ! 治ってよ!」
 反対の腕も両脚も胴体も乱雑に巻き付け、息はできるように顔だけは巻かずに仰向けに寝かせた。
「治ってよ、アオイ君……」
「……」
 隣に座って顔を覗いてみるが、血で汚れたイバラに巻き付けられたアオイ君は未だに無反応だ。その様子に私は自然と流れてきた涙を拭い、鼻をすすった。
「ごめんね。まだイバラが足りないんだよね」
 きっとそうだ。だから、まだ治らないだけなんだ。
「ちょっと待っててね。私、もうちょっと頑張るから……うぅっ」
 立ち上がろうと膝に手をついたとき、急激に痛みが走り、私は地面に膝をついた。手の平を見ると、皮膚がめくれ、トゲは刺さり、赤黒く汚れた血でボロボロになっている。何も考えずに無我夢中にイバラを巻き付けていたから、そこまで気にならなかったのか。少し休憩してしまったせいで、再開をためらうほどの痛みが手の平から感じる。怪我ぐらい後で治せばいいと頭ではわかっていながらも、周りにある無数の青い薔薇を見るだけで手が震えてくる。
 アレに触ればまた痛い思いをする。それをまたやるのか。
「アオイ君……」
 呼びかけてみるが、返事はない。
 自分の薔薇のイバラを巻けば怪我を治せることはわかっているが、こんなボロボロの手では赤い薔薇の庭園に移動するような簡単な魔法は使えても、ここに赤い薔薇を出現させるような細かい魔法は使えそうにもない。
「イバラ、持ってくるね」
 次に青い薔薇の庭園が開かれることはないかもしれないのだ。どれだけ苦しい思いをしようが、今やらないという選択肢はない。
 立ち上がろうとした瞬間、私はまた地面に膝をついた。でも、それは手に痛みが走ったわけではない。立ち上がろうとした手を掴まれたからだ。
「もういいよ、ハナさん」
 声の方を見ると、アオイ君からするするとイバラがほどかれていく。
「治ったの?」
「治ったよ。ありがとう」
 そう言うと、アオイ君は元気に立ち上がって見せた。
「ごめんね、心配かけて」
「ちゃんと私のこと覚えてる?」
「覚えてるよ。精神をやられただけで、記憶を飛ばしたわけじゃないからね」
 あはは、とアオイ君は軽く笑って見せる。
「あ~そっか。良かった……いてて」
 ほっと胸をなでおろし、涙を拭った手がズキズキと痛みだした。
「その傷大丈夫?」
「大丈夫よ、これくらい」
 アオイ君と私を赤い薔薇の庭園へと移動させ、イバラを操り、血だらけの自分の手に巻き付けていった。
「ほらね」
 とアオイ君に自慢げに治した手の平を見せつけてやった。
「治せるからって、そんなに無理するなよ」
 安心した様子のアオイ君におでこをツンとつつかれた。
「えへへ」
 注意されているのに、嬉しくて照れ笑いしてしまう。
「ごめんね。本当は僕が守ってあげないといけない立場なのにね」
「いいよ、気にしないで」
「顔にも血がついてるよ」
 と私の頬を素手で拭ってきた。
「あ、ありがとう」
 とおとなしくこすられる私。
「……まだついてる?」
「まだ」
 まだこすられる私。
「……もういいよ。あとは自分で拭くから」
「いや、もうちょっと」
 と右の手でアオイ君は目の下やら頬やらをこすってくれる。お礼のつもりでやってくれているのかな、と黙ってやられていると、ほっぺたを優しくつまみ、ぐにぐにと動かしだした。
「本当に拭いてるの?」
「バレた?」
 アオイ君はふふっと微笑む。
「かわいいから、もっと触りたくなったんだ」
「ど、どうぞ」
 一昨日もあった光景のはずだが、心労が絶えなかったせいか遠く昔にあったことのように思え、胸のときめきさえも懐かしく感じてしまう。
「二人きりだね」
 アオイ君は両手で私の顔をそっと包み込んだ。
「あのときの続きだよ」
 目をつぶると、自分の唇にアオイ君の唇が重なるのを感じた。

     おしまい
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