薔薇色になれ
薔薇色の日常
休みの日。必然的に1人の時間が多くなるこの日に、あの人は何をしているんだろうと想像してしまう相手が自分の恋した人なのだろう……と昨日思いついた恋愛評論家による格言めいたことを誰かに自慢げに言ってみたいのだが、急にこんなことを言っても、だから何だよってなるだけだろう。それに、なんとなく思いついただけで実際に私はこんな小難しいことは考えていない。私が実際に考えていることは、私がアオイ君のことを想っているようにアオイ君も私のことを想ってくれていたら嬉しいな~ってそれだけだ。その願望がいつの間にか、自分にとって都合のいい格言を生み出したに過ぎない。
「まだかな~」
テレビに映る時計をちらっと確認して、独り言ちた。昨日の夜に選んでおいたワンピースに身を包み、さっきから何度も時間を確認している。
約束の時間まではあと10分もある。約束の時間がまだなのだから、来るわけがない。来るわけがないのだが、来ることを期待して落ち着きなく時計を見たり、玄関の方を見たりしている。
「今だけ早く時間が進めばいいのにな~」
準備万端の私はケータイを確認した。連絡はない。早く来てくれることはなさそうだ。
大人しくテレビでも見るか、とケータイをバッグへしまい、テレビに視線を戻した。テレビのワイドショーでは毎日同じようなものをやっている。夏のお出かけスポット、暑さ対策など、昨日どころか去年も見たような気がする。
「いつまで暑い日が続くんだろう」
夏休み開始早々色々あったため、かなり時間が過ぎてしまったように感じているが、まだ夏休み中盤なのだ。
というか、まだ夏なのか。夏休みだけじゃない、今年は色々ありすぎた。高校受験をして高校生になり、アオイ君と出会い、付き合うことになった。細かいことを除いて、振り返ってみればこれだけのことだが、やっている方は必死だったのだ。なかなか濃い数か月を過ごしていたと思う。
今日のデートはアオイ君が助けてもらったお礼をしたいということで、ショッピングモールにある喫茶店にて販売されている夏限定のパフェを奢ってもらう予定だ。
しばらくすると、ピンポーンとインターホンの鳴る音が聞こえた。
「はいはーい」
返事をしながら、一応ドアスコープから覗いて確認した。ドアの向こうには長身のすらっとした体、切れ長の目に整った顔立ち、イケメンしか許されないであろうゆるふわなな銀髪。私の待っていた人がすぐそこにいる。
「アオイ君!」
急いでドアを開けて飛び出した。
「久しぶりだね。ハナさん」
「うん、久しぶり」
会っただけなのに嬉しくて顔がにやけてしまう。全く隠すつもりもない私はそのにやけた顔のまま玄関の鍵を閉めて振り返った。
「よし、行きますか」
「ハナさん張り切っているね」
楽しそうに笑って歩き始めると同時に、いつもしていたようにアオイ君は手を繋いできてくれた。
アオイ君はいつもと変わらないが、私だけちょっぴり余裕のない様子でショッピングモールにある喫茶店まで来た。
久しぶりに手をつないで歩いたせいで、ちょっとぎこちなくなってしまった。手の力ってこんな感じでよかったんだっけ、もっと強く握った方がいいのかな、握りすぎかな、あんまり弱いと離してほしそうな感じになっちゃわないかな、と付き合っているのだから、そんな細かいことは気にしなくていいのだろうが、気になってしまった以上は気にしないでいることなんてできはしない。1つ上手くいかないことがあると、なぜか他のことも上手くいかなくなることが私にはよくあり、会話もほとんど相づちのような返事しかできず、ほとんどの時間をアオイ君が話してくれていた。
今日は平日の昼間だが、今日からこのカフェで夏限定イチゴパフェが販売されるということで人は結構多めだ。店内は女子ばっかりで男性はほとんどいない。少しいる男性たちも、アオイ君のような付き添いで来ているような人ばかりだろう。
私たちは店員さんに案内されて席につき、イチゴのパフェとアイスコーヒーを2つずつ頼んだ。
「体はもう大丈夫なの?」
「見ての通り、何ともないよ」
復活させたときからまだ1週間程度しか経っていない。宿題を口実に毎日のように会っていたが、少し休ませてあげた方がいいのかなと思ってあれから会っていなかったのだ。
「結構大変だったんだよ、元に戻すの。クロウは治し方なんか知らないって言うし」
「知っているよ。記憶が飛んでいたわけじゃないからね」
普段と変わらない落ち着いた様子で話すアオイ君を見ていると安心する。
たまたま治ってくれて本当に良かった。アオイ君の精神を破壊したクロウからアドバイスをもらったのだが、クロウからは『このやり方でダメだったら、もう生き返らないと思え』とまで言われていたのだ。だから、もし失敗したらということは本能的に1秒も考えようとしなかった。ただの現実逃避だが、その現実逃避のおかげで私は全力で1つの方法を試すことができた。結果論になるが、私の現実逃避をしてしまう臆病な性格がアオイ君を助けることのできた1つの要因になったのかもしれない。
「大変だったけど、今日のパフェで全部許してあげるよ」
「ありがとう。大好きな僕のために頑張ってくれたんだね」
「……うん」
そんなにストレートに言われると頬が熱くなってしまう。私の様子を見て、可笑しそうに笑うアオイ君の声が聞こえてくる。
「イチゴパフェとアイスコーヒーお持ちしました」
気まずくなりかけたところに、丁度いいタイミングでウェイトレスさんがイチゴパフェとアイスコーヒーを運んできてくれた。
「おいしそ~」
大きなパフェに自然と声が漏れた。
「ごゆっくりどうぞ」
去っていくとすぐに私はパフェの上にの乗っているイチゴを1つ食べた。
「あ~、おいしい~」
アオイ君に誘われてから、ずっとパフェを食べるのを楽しみにしていたせいか、まだイチゴしか食べていないのに感想を言ってしまった。
「本当だ、うまい」
とアオイ君もおいしそうにパフェを食べ始めるのを見て、そういえばアオイ君も甘いものが好きだったなと思い出した。一緒にクレープを食べたときに付き合ったんだっけ、と告白されたときのことを思い出してしまい、再び頬が熱くなるのを感じる。
「ハナさん、どうしたの?」
「な、何がですか?」
勘づかれてしまったかと焦り、突然敬語になってしまう。
「顔が赤いけど」
「もとからこんな顔だよ。何も思い出してないよ?」
「思い出す?」
ダメだ。喋れば喋るほど状況が悪くなる気しかしない。
「あ、そうそう。アオイ君は夏休みの宿題どれくらいやった?」
こういうときは無理やりにでも話を変えるのだ。
「昨日終わらせたよ」
「はやっ! 私なんかまだたくさん残っているのに」
たしかに一緒に宿題しているときもアオイ君の方が進んでいるなとは思っていたが、まさかもう終わっていたとは。
「まだ夏休み始まって2,3週間くらいだよ。いつの間にそんなに進めたの?」
「夏休みが始まる前にだいたい終わらせて、夏休みからは少しずつやっていったら、すぐに終わったよ」
「え~、ずるい」
「ずるくないよ」
「ずるいよ~。夏休みの前に宿題するのは反則なんだよ~。先生に言っちゃお~」
「言っても相手にされるかよ」
軽く笑いながらアオイ君はパフェを食べていく。
「夏休みはまだ半分くらい残っているし、ハナさんはハナさんのペースで進めていけばいいよ」
「うん、そうする」
別に急いでやる必要もない。宿題は夏休みの間に終わればそれでいいのだ。
「アオイ君は夏休みの予定って何かあるの?」
「友達とバーベキュー行ったり、プール行ったりするぐらいかな」
「いいな~」
と冷静なふりをして相づちを打ってみせてはいるが、私の目にアオイ君は輝いて見えている。
眩しい。前からわかっていたことではあるが、レベルが違う。アオイ君と私はクラスでは全然違うグループにいる。アオイ君は明るく賑やかなクラスの中心にいるグループ。それに対して、私は教室の隅っこでプリムちゃんとくだらない雑談をしている絶対に目立つことのないグループだ。付き合えたのは奇跡でしかない。
「ハナさんも夏休みの予定あるでしょ?」
「あ、あるよ」
本当はない。
「どんな予定?」
「え、えっと~……宿題?」
「そっか、予定いっぱいだね」
言い終えてから、はははと笑うアオイ君に私もつられて笑った。
「いつでも呼んでくれれば会いに行くよ」
「うん」
たくさん会いたいし、わざと宿題はゆっくり進めようかな。
「かわいそうだから、イチゴあげるよ。はい」
アオイ君はフォークに刺したイチゴを顔の前に突き出してくる。私は大人しく口を開けた。ちょっとだけクリームの付いた甘酸っぱいイチゴの味が口の中に広がる。
「ありがとう」
「ふふっ、かわいいね」
また赤面する私にアオイ君は微笑した。
***
8月31日。夏休み最後の日、長い長い休みが終わる最後の日だ。せっかくだから、特別な日にしたいものだと思う人も少なくないだろう。私もその一人だ。寂しいなと思いながら思い出を振り返るより、ギリギリまで思い出を作っていきたい。そう思っていながらも、去年まではいつもの休みと同じような過ごし方をしてしまっていたが、今年は違う。今日はプリムちゃんと一緒に何かをする予定なのだ。
昨日の夜にプリムちゃんから電話で、もし暇だったら夏休み最後の思い出作りをしようと誘われ、具体的なことは何も決まってないみたいだったが、面白そうだから話に乗ってみたのだ。
「これより、夏休み思い出めっちゃ作る大作戦大会議を開始します!」
プリムちゃんは私の部屋で高らかに宣言した。イェーイ、と私もパチパチと拍手をして盛り上げる。
私の夏休みにした夏っぽいことはお祭り行ったくらいで、他には何もやっていない。それでも、アオイ君が見てくれていたおかげで、さすがの私も宿題を終わらせられたし、どこかに遊びに行くという予定はほぼなかったが、アオイ君と一緒に過ごせた時間も多く、かなり充実した夏休みだったと言っていいだろう。私は夏休みの思い出が全くないわけではないが、プリムちゃんはほとんど何もなかったようだ。頭が良くて勉強のできるプリムちゃんは、アオイ君と同様に宿題をさっさと済ませてからは毎日家にこもり、涼しい部屋でゲームをしていたらしい。たまにコンビニにお菓子を買いに行くときだけ夏の暑さを実感していたということを昨日の電話で教えてもらった。ある意味誰よりも夏休みを満喫している気がするが、プリムちゃんも最後くらい何かやりたいと思ったのかもしれない。
「何するの?」
「そりゃあ、もちろん夏休みっぽいことだよ」
「夏休みっぽいことって?」
「う~ん……夏休みっぽいことだよ!」
どうやら本当に何も考えずに来たみたいだ。
「今からできることで夏っぽいことか~」
と考えながら、私はケータイで時間をちらっと確認した。時刻は午後2時だ。さすがにバーベキューとかスイカ割りとかは今からはできない。準備するのも大変だし、そもそも2人でやるようなものでもないだろう。
「何がいいかな~……う~ん」
プリムちゃんが唸った後、しばらく沈黙が続いた。
今日はもう最終日なのだ。待っていても何かイベントが起きてくれるわけではない。私たちが自ら動いていくしかないのだ。何かをしないといけない。そんなことはわかっているが、何をやったらいいのだろうか。きっかけというか、ヒントみたいなものがあればすぐに思いつきそうなのだが……。
「最悪、夏っぽくなくてもいい?」
プリムちゃんからのまさかの提案にぷっと吹き出してしまった。
「いいよ、別に」
「よし、しりとりでもしよっか」
「最終手段じゃん。もうちょっと頑張ろうよ」
おかしな提案にまた笑ってしまいながらも、プリムちゃんを励ました。
「最終日っていうのもなんかうまいこと利用したいよね」
「打ち上げ的な?」
「それだ!」
とプリムちゃんは立ち上がり、こぶしを突き上げた。
「それでは、夏休み頑張った記念打ち上げパーティーを開始します!」
やることが決まれば即行動だ。私たちは近くのコンビニでポテチとチョコとジュースを買ってきた。
「外暑かったね」
と部屋に戻ってきた私はすぐにエアコンをつけた。
「早速始めよっか」
プリムちゃんはテーブルに置いたレジ袋からオレンジジュースを取り出し、私にリンゴジュースを渡した。
「それでは、夏休み頑張った記念打ち上げパーティーを始めます。かんぱ~い」
「かんぱ~い」
とペットボトルを合わせ、一口飲んだ。夏休み頑張った記念打ち上げパーティー。一体何を頑張ったのか。何のための打ち上げなのか。そんなことは気にしたら負けだ。
「いや~、お疲れさまでしたって感じだね」
「そうだね~」
と適当に相づちを挟みながら、ポテチの袋を開けた。
それから、私はプリムちゃんと二人でおしゃべりをするという休み時間のようなゆるい時間を過ごした。別に夏っぽいことをやらなくても、楽しい時間を過ごせればそれでよかったのだと気づいたのは、打ち上げをしてしばらくしてからだ。
***
夏休みが終わった。小学生や中学生の頃は久しぶりに会う友達とどんなことを話そうかとわくわくしていたが、高校生にもなるともう落ち着いている。それに私の場合は、アオイ君とはちょくちょく会っていたし、プリムちゃんとは夏休み最終日以外は会わなかったけど、連絡は取り合っていた。他にもクラスメイトはいるが、他の人は別にいいだろう。もともとそんなに話さなかった人達というのは、そもそも出会いもしていなかった人達と変わらない赤の他人、その他大勢だ。
「おはよう、ハナちゃん」
「おはよう」
「昨日は楽しかったね」
うん、と頷いて私はプリムちゃんといつも通りの雑談を始める。
「ねぇ、ハナちゃん。昨日改めて思ったんだけど、ポテチはやっぱりうま塩味が一番おいしいよね」
「あ~、わかる。そういえば前から思っていたんだけど、うま塩味っておいしいけど、何の味がしているのかちょっとわからないよね。何の味か知ってる?」
「うま~い塩の味だよ」
「……」
「……」
「いや、もうちょっと説明ちょうだいよ(笑)」
「だから、うま~い塩の味だよ」
「うす塩味とは違うんだよね?」
「全然違うよ。うす塩味はうす~い塩の味だもん」
「どっちも塩味じゃん」
「使っている塩が全然違うよ」
「どう違うの?」
「うすしお味の塩はいわゆる普通の塩だけど、うま塩味の塩は特別な塩を使っているんだよね」
「特別な塩?」
「うん、特別な塩。食べたら気持ちが高揚してきて、何もおかしなことなんか起きていないのに笑っちゃうんだよね」
「それ本当に塩かな?」
「塩だよ。一回食べるとクセになって、生活の中心がうま塩味のポテチになっちゃうけど」
「塩かな?」
「塩だよ。バレなきゃ合法だし」
「絶対に塩じゃないじゃん! というか、本当はうま塩味がどういうものか知らないんでしょ?」
「……知っているよ」
「嘘だ! 今の間はしらないときの間だよ」
「知ってる知ってる! もう何百回食べたと思ってるの?」
「それじゃあ改めて聞くけど、うま塩味って具体的に何味なの?」
「うま~い塩の味だよ」
「もういいよ(笑)」
しばらく雑談をしていると、今日の教室はいつもより若干騒がしいことに気づいた。小学生とは違うのだから、高校生にもなって夏休み明けにわくわくしている人はいないが、いつもと様子が違うのはちょっとだけ問題が発生しているからだ。
夢幻ノ桜学園。ここに通う生徒の多くは普通科だが、プロの魔法使いになることを目指した魔法科が学年に1つだけある。その魔法科の人間が、あと10分で登校しないといけない時間の8時30分になるというのに誰1人として学校に来ていないのだ。クラスの中にはどこかに強化合宿でも行っているのかと呑気なことを言っている人もいれば、魔法科にたまたま知り合いがいて、その子はやる気がなくて、ただ休んでいるだけだから、今回の件とは関係ないかもしれないという、かなり惜しい推理をする人もいた。
理由はわかっている。夏祭りの日に警備の手伝いをしに来ていた魔法科の人間の精神をクロウが破壊したからだ。今日まで誰も異変に気づきもしなかったのは、それぞれがただやる気がないだけにしか見えなかったからだろう。魔法科の人たちの家族は心配していただろうが、他のクラスメイトも全員同じ症状が出ているとは思いもしなかったはずだ。だから、具体的に全員が休むという異常な事態が起きるまで気づくことができなかったのだ。
精神を破壊された人間は何の目標を持つことなく、ただ生き続ける。自殺するほどの決意を持つこともなく、ただ生き続ける。ゆっくりと死んでいくのを待っているかのようにただ生き続ける。生きているのに何もしないというのは、死んでいるのと何も変わらない。精神を破壊するというのは、人を殺すということだ。これを大人数に仕掛けて大事にならないわけがない。
「魔法科の人たちどうしたんだろうね」
「さぁ?」
とプリムちゃんの問いに首をかしげておく。さっきまで全く別の話をしていたが、プリムちゃんも少しは気になるようだ。
「何かあったのかな。まぁ、関係ないから別にいいか」
「うん、そうだね~」
なるべく自然になるように努めて相づちを挟み、プリムちゃんと呑気に雑談を再開する。
何が起きているのか説明することはできるが、信じてもらえないに決まっている。そもそも私の魔法についてもその特性上、信じてもらえないことはわかりきっているため、本当のことは同じ魔法を持つアオイ君とクロウにしか話したことがない。
プリムちゃんと雑談を続けながらも、クロウのことが心配になる。クロウのことだからこれくらいのことは想像の範囲内なのだろうが、この後何をどうするつもりなのか私には見当もつかない。私がしてあげられることは知らないふりを続けて、全員揃って理由が不明なのだと思うようになるときを待つことぐらいだ。
***
2学期の幕が開けると同時にプロの魔法使いや警察が学校を出入りするようになった。どうやら警察の人たちは学校側が生徒に何かを仕掛けたとして調べているみたいだ。こんな具合でスタートした2学期だから、初めの1、2週間は魔法科の生徒が全員欠席しているという話題で持ち切りだったが、3週間目となるといないことが当たり前となったのか、考えても原因がわかりそうにないと思ったのか、単純に飽きたのか知らないが、ほとんど誰も魔法科の話をしなくなった。
というわけで、今はいつもの学園生活を送れている。
「休憩しよっか」
「うん、疲れた~」
と私は汗をぬぐってプリムちゃんと共にグラウンドの隅にある大きな木の下に入った。外はそこまで暑くはないが、運動するとすぐに汗をかいてしまうくらいには暑い。
「明日筋肉痛かも」
「あはは、私もそうかも」
私は手でパタパタと扇いでいるプリムちゃんに笑いながら返した。
今は体育の授業中。10月に行われる体育大会に向けて、それぞれ出場種目の練習をしているところだ。夢幻ノ桜学園で行われる体育大会は魔法の使用禁止という自分の肉体だけで勝負する特殊ルールとなっている。どこかの筋肉バカが考えたのだろう。ちなみに私とプリムちゃんは2人3脚に出る予定だ。別に運動ができないわけではないが、もっとできる人が他にいるから、短距離走やリレーには出場しない。
水分補給をしたり、おしゃべりをして休憩しているとアオイ君がよろよろと力なく歩いてきた。
「アオイ君も休憩?」
うん、とアオイ君は弱弱しい頷きだけで返す。声を出すのも億劫になるほど疲れている様子で、どしっと私の隣に座りこんだ。
「おーい、アオイー!」
1人の男子が駆け寄ってきた。
「お前はまた女子としゃべってるのか」
「またって人聞きが悪いな」
「だって、いつも女子としゃべってるじゃん」
「いつもじゃないよ。だいたい学校ではお前と1番しゃべっているだろ」
「そうか?」
「そうだよ」
「ふ~ん……まぁ、そんなことはどうでもいいんだよ。ほら、練習するぞ」
「もうやるの?」
「当たり前だ。ほら、立て」
と座っているアオイ君の手を引っ張って立ち上がらせる。
「もうちょっと休憩してもいいんじゃない?」
「お前はマジで体力ないな」
「運動はそんなに得意じゃないんだよ」
弱音を吐くアオイ君を初めて見たかもしれない。
アオイ君も私もクロウも薔薇の庭園にいるときだけは人間を超越した力を発揮できるが、庭園を一歩出るとそうはいかない。
「そんなこと言っても仕方ないだろ。お前は短距離走ではこのクラスで4番目に早いんだから、ギリギリで短距離走のメンバーにもなるし、リレーの4人のメンバーにもなるんだよ」
「それくらいわかってるよ」
アオイ君と仲のいい男子は今にも走り出しそうなぐらい気合が入っている。本来なら日ごろから体を鍛えまくっている魔法科のクラスがぶっちぎりで優勝することが目に見えているため、練習なんかしてもほとんど意味がないはずであるが、今年の体育大会は魔法科の人間がいないということで、普通科の男子たちは大いに張り切っているのだ。
「わかってんならいいんだ。よし、ウォーミングアップがてら走っていこう!」
「え~、歩いていけばいいじゃん」
「ダメだ。もう決まったから」
そう言うと、彼はアオイ君の腕を掴んで強引に走り去っていった。
「ねぇ、ハナちゃん」
「ん? なに?」
「若いっていいねぇ~」
「同級生だよ」
とプリムちゃんにツッコミながら、笑ってしまった。
***
学校を終えて自宅へ戻り、スーパーで買ってきたお弁当をレンジに放り込んだ。
「はぁ~」
制服から部屋着へと着替えながら、ため息をついた。今日もアオイ君と話せなかった。もともと学校では放課後しか話さなかったのに、体育の授業以外にも放課後も練習しているため話せる機会がなくなっている。練習が終わったころに電話をしてみてもいいのだが、疲れているだろうし悪い気がしていつも掛ける直前の画面で手を止めてしまう毎日だ。
はぁ~、と着替え終えたころにもう一つため息をつくと、チンと電子レンジの音が聞こえた。ゆっくり歩いて電子レンジの前に行き、温められたお弁当を取り出した。丁度いい感じに温められている。私はお弁当をテーブルに持ってきて、いただきますと小さくつぶやいて手を合わせ、一口食べた。いつも食べている味だ。いつも通りおいしい。
黙々とお弁当を食べ、何も考えていなかったはずが自然とアオイ君とのことを考えてしまう。
思えば2学期になってすぐに体育大会の練習が始まったから、この9月はアオイ君とほとんど話せていない。アオイ君と何回二人きりになれただろうか。付き合っているって何だろう。
「あ、テレビみよう」
やけに静かだと思ったら、いつもBGM代わりにつけているテレビがついていなかった。夕方の情報番組なんか見ても面白くはないが、私の思考を止めるにはこれくらいで十分だ。
テレビでは今年の秋はこのファッションが流行ると言って、最新のファッションを紹介している。
「流行るまでテレビでやるつもりなんだろうな」
適当な感想をテレビに向かって言いながら、お弁当を食べ終えた。
「はぁ~あ」
湯船につかって、今日何度目かのため息をついた。学校にいる間はプリムちゃんとおしゃべりばかりしていたから、ため息をつくことはなかったが、1人になるとずっとこんな感じだ。
夕食を終えるとすぐにお風呂のお湯を入れに行き、お湯が張るまでの間も洗い物をしたり、テレビを見たり、ケータイをいじったりしてなるべくアオイ君のことを考えないようにしていた。それなのに、湯船につかって1人でボーっとするとすぐに考えてしまう。
何かいい答えを求めて安心したくて考えているはずなのに、考えれば考えるほど不安になってくる。そもそもアオイ君は学校では同じクラスでも話すことのないくらい別の世界にいる人間だ。当たり前のように一緒にいたが、一緒にいられるのは当たり前じゃない。付き合えている今の状況が異常なのだ。それがアオイ君が忙しくなって話す機会がほとんどなくなり、私たち本来の姿に戻っただけなのかもしれない。正直もっと一緒にいたかったが、面倒くさい女と思われそうで怖くて言えなかった。
お風呂から上がり、パジャマを着て髪を乾かし、決心した。自然消滅するくらいなら、私から別れてやる。
部屋に戻ってテーブルに置かれたケータイを手に取りメールを打った。
『今までありがとう。さようなら』
こういうのは直接会って話した方がいいんだろうけど、アオイ君のなかではもう自然消滅してしまっているのかもしれないし、そのことを少しでも考えてしまった以上、電話で話すことなんかできそうにもかった。
なんて返ってくるだろうか、プリムちゃんにも別れたことを報告しないと……。
ずずっと鼻をすすると、涙が頬を伝った。自分で決めたことのはずなのに、やってしまったという後悔しかない。私はアオイ君ともっと一緒にいて笑っていたかっただけだ。1歩踏み込んで話ができればアオイ君も応えてくれただろうが、それができなかった。
自分の不器用さに呆れながら、涙があふれてくる目をこすり、ティッシュで鼻をかんだりしていると、ピンポーンとインターホンの鳴る音が聞こえた。こんな時間に誰だろう、とドアスコープを覗くとアオイ君が立っているのが見えた。
「えっ……どうしよう」
と1回握ったドアノブから手を離したが、無視するわけにもいかずドアノブに手を伸ばした。
「ハナさん、大丈夫?」
ドアを開けると、アオイ君は少し焦った様子で心配した表情をして立っていた。
「何が?」
「何がって、このメールだよ」
とアオイ君はケータイの画面を見せてきた。
「自殺でもするのかと思って、急いで飛んできたんだけど」
「あっ……ごめん。長くなりそうだから、中で話しよう」
「え、うん」
戸惑っている様子の返事を背中で聞いて、私はさっさと部屋に戻ると、少し遅れてアオイ君は後から丁寧に靴を並べて部屋にあがってき、私の隣にある座布団に座った。
「それで、あのメールはなんだったの?」
優しく落ち着いた様子でアオイ君は訊いてくれる。
「9月になってから、アオイ君とほとんど話せてないからじゃない」
「うん」
「だから、その……アオイ君の中で自然消滅していたらと思って」
俯いたまま、かろうじて頭の中に出てきた言葉を口にした。本当はもっといろいろ話したいのにうまく言葉が出ない。
「あはは。ごめんね、気づいてあげられなくて」
「え?」
顔を上げて、涙があふれそうになるのを我慢した。勝手なことをして怒られるような気がしていたのに、ずっと優しい。どうして。
「実は僕も気にはしていたんだけど、ハナさんはしっかりしているからさ、それに甘えちゃっていたんだよね」
何か返事をした方がいいのだろうが、何も出てこない。
「これからはもっと二人の時間を大切にするから、ハナさんは僕のそばにずっといてくれないかな」
「……うん」
頷くと同時に涙があふれ出てきた。
「ハナさんはちょっと気を遣いすぎなんだよ」
「そうだよね」
パジャマの袖で濡れた頬をこすった。気を遣いすぎだということぐらい頭ではわかっている。わかってはいるけど、直せないのは生まれ持った性格の問題なのだろう。
「何をしたら嫌われるかって、そんなことを考えたらきりがないよ。相手にどうしたらもっと好きになってもらえるかを考えなよ。まぁ、ハナさんに寂しい思いをさせた僕が言えるようなことじゃないけどね」
ははは、とアオイ君は軽く笑う。
「ハナさんはもっとわがままに好きなときに甘えてきたらいいんだよ」
「うん」
「本当にわかってる?」
こくりと頷くと突然アオイ君は抱きしめて押し倒してきた。
「えっ、なに」
久しぶりにこんな至近距離にアオイ君を感じて、鼓動が聞こえてしまいそうなほど高鳴っている。
「ハナさんが甘えてこなさそうだったから、甘えてみた」
か、かわいい。
「重たい?」
「ちょ、ちょっと重たいです」
「なんで敬語なんだよ」
体を起こして、可笑しそうに笑うアオイ君に私もつられて笑ってしまった。
「次はハナさんが甘えてみてよ」
「うん!」
普段ならできないけど、今ならできる気がして思いっきり押し倒して抱きしめてやった。
「今日はありがとう」
言い終わるころにアオイ君はゆっくりと抱きしめ返してきた。
「ねぇ、アオイ君」
「なに?」
「今日はこの後どうするの?」
「どうするって、泊まってほしいの?」
「そ、そういうつもりで言ったんじゃ」
急に熱が上がってくる。きっとアオイ君にも気づかれただろう。
「冗談だよ、冗談。もうすぐしたら帰るよ」
アオイ君は相変わらず冷静だ。
「もうすぐって?」
「ハナさんが離れたくなったら」
「……いじわる」
と呟き、顔を伏せてぎゅっと抱きしめた。
***
体育の授業中。私は休憩しながら、少し遠くで練習しているアオイ君を見た。
今日もきっとほとんど話すことはないのだろう。アオイ君は、昨日は何もなかったかのようにいつも通り過ごしている。いつも通り、きらきらした人たちと一緒にいる。そんなアオイ君が私を選んでくれて、大事にしてくれている。これが事実である以上、何も心配することはないのだ。それに、甘えたいときに甘えればいいんだから、もう大丈夫だ。
唐突に昨日のことを思い出してしまい、休憩しているのにまた汗をかいてしまった。
「まだかな~」
テレビに映る時計をちらっと確認して、独り言ちた。昨日の夜に選んでおいたワンピースに身を包み、さっきから何度も時間を確認している。
約束の時間まではあと10分もある。約束の時間がまだなのだから、来るわけがない。来るわけがないのだが、来ることを期待して落ち着きなく時計を見たり、玄関の方を見たりしている。
「今だけ早く時間が進めばいいのにな~」
準備万端の私はケータイを確認した。連絡はない。早く来てくれることはなさそうだ。
大人しくテレビでも見るか、とケータイをバッグへしまい、テレビに視線を戻した。テレビのワイドショーでは毎日同じようなものをやっている。夏のお出かけスポット、暑さ対策など、昨日どころか去年も見たような気がする。
「いつまで暑い日が続くんだろう」
夏休み開始早々色々あったため、かなり時間が過ぎてしまったように感じているが、まだ夏休み中盤なのだ。
というか、まだ夏なのか。夏休みだけじゃない、今年は色々ありすぎた。高校受験をして高校生になり、アオイ君と出会い、付き合うことになった。細かいことを除いて、振り返ってみればこれだけのことだが、やっている方は必死だったのだ。なかなか濃い数か月を過ごしていたと思う。
今日のデートはアオイ君が助けてもらったお礼をしたいということで、ショッピングモールにある喫茶店にて販売されている夏限定のパフェを奢ってもらう予定だ。
しばらくすると、ピンポーンとインターホンの鳴る音が聞こえた。
「はいはーい」
返事をしながら、一応ドアスコープから覗いて確認した。ドアの向こうには長身のすらっとした体、切れ長の目に整った顔立ち、イケメンしか許されないであろうゆるふわなな銀髪。私の待っていた人がすぐそこにいる。
「アオイ君!」
急いでドアを開けて飛び出した。
「久しぶりだね。ハナさん」
「うん、久しぶり」
会っただけなのに嬉しくて顔がにやけてしまう。全く隠すつもりもない私はそのにやけた顔のまま玄関の鍵を閉めて振り返った。
「よし、行きますか」
「ハナさん張り切っているね」
楽しそうに笑って歩き始めると同時に、いつもしていたようにアオイ君は手を繋いできてくれた。
アオイ君はいつもと変わらないが、私だけちょっぴり余裕のない様子でショッピングモールにある喫茶店まで来た。
久しぶりに手をつないで歩いたせいで、ちょっとぎこちなくなってしまった。手の力ってこんな感じでよかったんだっけ、もっと強く握った方がいいのかな、握りすぎかな、あんまり弱いと離してほしそうな感じになっちゃわないかな、と付き合っているのだから、そんな細かいことは気にしなくていいのだろうが、気になってしまった以上は気にしないでいることなんてできはしない。1つ上手くいかないことがあると、なぜか他のことも上手くいかなくなることが私にはよくあり、会話もほとんど相づちのような返事しかできず、ほとんどの時間をアオイ君が話してくれていた。
今日は平日の昼間だが、今日からこのカフェで夏限定イチゴパフェが販売されるということで人は結構多めだ。店内は女子ばっかりで男性はほとんどいない。少しいる男性たちも、アオイ君のような付き添いで来ているような人ばかりだろう。
私たちは店員さんに案内されて席につき、イチゴのパフェとアイスコーヒーを2つずつ頼んだ。
「体はもう大丈夫なの?」
「見ての通り、何ともないよ」
復活させたときからまだ1週間程度しか経っていない。宿題を口実に毎日のように会っていたが、少し休ませてあげた方がいいのかなと思ってあれから会っていなかったのだ。
「結構大変だったんだよ、元に戻すの。クロウは治し方なんか知らないって言うし」
「知っているよ。記憶が飛んでいたわけじゃないからね」
普段と変わらない落ち着いた様子で話すアオイ君を見ていると安心する。
たまたま治ってくれて本当に良かった。アオイ君の精神を破壊したクロウからアドバイスをもらったのだが、クロウからは『このやり方でダメだったら、もう生き返らないと思え』とまで言われていたのだ。だから、もし失敗したらということは本能的に1秒も考えようとしなかった。ただの現実逃避だが、その現実逃避のおかげで私は全力で1つの方法を試すことができた。結果論になるが、私の現実逃避をしてしまう臆病な性格がアオイ君を助けることのできた1つの要因になったのかもしれない。
「大変だったけど、今日のパフェで全部許してあげるよ」
「ありがとう。大好きな僕のために頑張ってくれたんだね」
「……うん」
そんなにストレートに言われると頬が熱くなってしまう。私の様子を見て、可笑しそうに笑うアオイ君の声が聞こえてくる。
「イチゴパフェとアイスコーヒーお持ちしました」
気まずくなりかけたところに、丁度いいタイミングでウェイトレスさんがイチゴパフェとアイスコーヒーを運んできてくれた。
「おいしそ~」
大きなパフェに自然と声が漏れた。
「ごゆっくりどうぞ」
去っていくとすぐに私はパフェの上にの乗っているイチゴを1つ食べた。
「あ~、おいしい~」
アオイ君に誘われてから、ずっとパフェを食べるのを楽しみにしていたせいか、まだイチゴしか食べていないのに感想を言ってしまった。
「本当だ、うまい」
とアオイ君もおいしそうにパフェを食べ始めるのを見て、そういえばアオイ君も甘いものが好きだったなと思い出した。一緒にクレープを食べたときに付き合ったんだっけ、と告白されたときのことを思い出してしまい、再び頬が熱くなるのを感じる。
「ハナさん、どうしたの?」
「な、何がですか?」
勘づかれてしまったかと焦り、突然敬語になってしまう。
「顔が赤いけど」
「もとからこんな顔だよ。何も思い出してないよ?」
「思い出す?」
ダメだ。喋れば喋るほど状況が悪くなる気しかしない。
「あ、そうそう。アオイ君は夏休みの宿題どれくらいやった?」
こういうときは無理やりにでも話を変えるのだ。
「昨日終わらせたよ」
「はやっ! 私なんかまだたくさん残っているのに」
たしかに一緒に宿題しているときもアオイ君の方が進んでいるなとは思っていたが、まさかもう終わっていたとは。
「まだ夏休み始まって2,3週間くらいだよ。いつの間にそんなに進めたの?」
「夏休みが始まる前にだいたい終わらせて、夏休みからは少しずつやっていったら、すぐに終わったよ」
「え~、ずるい」
「ずるくないよ」
「ずるいよ~。夏休みの前に宿題するのは反則なんだよ~。先生に言っちゃお~」
「言っても相手にされるかよ」
軽く笑いながらアオイ君はパフェを食べていく。
「夏休みはまだ半分くらい残っているし、ハナさんはハナさんのペースで進めていけばいいよ」
「うん、そうする」
別に急いでやる必要もない。宿題は夏休みの間に終わればそれでいいのだ。
「アオイ君は夏休みの予定って何かあるの?」
「友達とバーベキュー行ったり、プール行ったりするぐらいかな」
「いいな~」
と冷静なふりをして相づちを打ってみせてはいるが、私の目にアオイ君は輝いて見えている。
眩しい。前からわかっていたことではあるが、レベルが違う。アオイ君と私はクラスでは全然違うグループにいる。アオイ君は明るく賑やかなクラスの中心にいるグループ。それに対して、私は教室の隅っこでプリムちゃんとくだらない雑談をしている絶対に目立つことのないグループだ。付き合えたのは奇跡でしかない。
「ハナさんも夏休みの予定あるでしょ?」
「あ、あるよ」
本当はない。
「どんな予定?」
「え、えっと~……宿題?」
「そっか、予定いっぱいだね」
言い終えてから、はははと笑うアオイ君に私もつられて笑った。
「いつでも呼んでくれれば会いに行くよ」
「うん」
たくさん会いたいし、わざと宿題はゆっくり進めようかな。
「かわいそうだから、イチゴあげるよ。はい」
アオイ君はフォークに刺したイチゴを顔の前に突き出してくる。私は大人しく口を開けた。ちょっとだけクリームの付いた甘酸っぱいイチゴの味が口の中に広がる。
「ありがとう」
「ふふっ、かわいいね」
また赤面する私にアオイ君は微笑した。
***
8月31日。夏休み最後の日、長い長い休みが終わる最後の日だ。せっかくだから、特別な日にしたいものだと思う人も少なくないだろう。私もその一人だ。寂しいなと思いながら思い出を振り返るより、ギリギリまで思い出を作っていきたい。そう思っていながらも、去年まではいつもの休みと同じような過ごし方をしてしまっていたが、今年は違う。今日はプリムちゃんと一緒に何かをする予定なのだ。
昨日の夜にプリムちゃんから電話で、もし暇だったら夏休み最後の思い出作りをしようと誘われ、具体的なことは何も決まってないみたいだったが、面白そうだから話に乗ってみたのだ。
「これより、夏休み思い出めっちゃ作る大作戦大会議を開始します!」
プリムちゃんは私の部屋で高らかに宣言した。イェーイ、と私もパチパチと拍手をして盛り上げる。
私の夏休みにした夏っぽいことはお祭り行ったくらいで、他には何もやっていない。それでも、アオイ君が見てくれていたおかげで、さすがの私も宿題を終わらせられたし、どこかに遊びに行くという予定はほぼなかったが、アオイ君と一緒に過ごせた時間も多く、かなり充実した夏休みだったと言っていいだろう。私は夏休みの思い出が全くないわけではないが、プリムちゃんはほとんど何もなかったようだ。頭が良くて勉強のできるプリムちゃんは、アオイ君と同様に宿題をさっさと済ませてからは毎日家にこもり、涼しい部屋でゲームをしていたらしい。たまにコンビニにお菓子を買いに行くときだけ夏の暑さを実感していたということを昨日の電話で教えてもらった。ある意味誰よりも夏休みを満喫している気がするが、プリムちゃんも最後くらい何かやりたいと思ったのかもしれない。
「何するの?」
「そりゃあ、もちろん夏休みっぽいことだよ」
「夏休みっぽいことって?」
「う~ん……夏休みっぽいことだよ!」
どうやら本当に何も考えずに来たみたいだ。
「今からできることで夏っぽいことか~」
と考えながら、私はケータイで時間をちらっと確認した。時刻は午後2時だ。さすがにバーベキューとかスイカ割りとかは今からはできない。準備するのも大変だし、そもそも2人でやるようなものでもないだろう。
「何がいいかな~……う~ん」
プリムちゃんが唸った後、しばらく沈黙が続いた。
今日はもう最終日なのだ。待っていても何かイベントが起きてくれるわけではない。私たちが自ら動いていくしかないのだ。何かをしないといけない。そんなことはわかっているが、何をやったらいいのだろうか。きっかけというか、ヒントみたいなものがあればすぐに思いつきそうなのだが……。
「最悪、夏っぽくなくてもいい?」
プリムちゃんからのまさかの提案にぷっと吹き出してしまった。
「いいよ、別に」
「よし、しりとりでもしよっか」
「最終手段じゃん。もうちょっと頑張ろうよ」
おかしな提案にまた笑ってしまいながらも、プリムちゃんを励ました。
「最終日っていうのもなんかうまいこと利用したいよね」
「打ち上げ的な?」
「それだ!」
とプリムちゃんは立ち上がり、こぶしを突き上げた。
「それでは、夏休み頑張った記念打ち上げパーティーを開始します!」
やることが決まれば即行動だ。私たちは近くのコンビニでポテチとチョコとジュースを買ってきた。
「外暑かったね」
と部屋に戻ってきた私はすぐにエアコンをつけた。
「早速始めよっか」
プリムちゃんはテーブルに置いたレジ袋からオレンジジュースを取り出し、私にリンゴジュースを渡した。
「それでは、夏休み頑張った記念打ち上げパーティーを始めます。かんぱ~い」
「かんぱ~い」
とペットボトルを合わせ、一口飲んだ。夏休み頑張った記念打ち上げパーティー。一体何を頑張ったのか。何のための打ち上げなのか。そんなことは気にしたら負けだ。
「いや~、お疲れさまでしたって感じだね」
「そうだね~」
と適当に相づちを挟みながら、ポテチの袋を開けた。
それから、私はプリムちゃんと二人でおしゃべりをするという休み時間のようなゆるい時間を過ごした。別に夏っぽいことをやらなくても、楽しい時間を過ごせればそれでよかったのだと気づいたのは、打ち上げをしてしばらくしてからだ。
***
夏休みが終わった。小学生や中学生の頃は久しぶりに会う友達とどんなことを話そうかとわくわくしていたが、高校生にもなるともう落ち着いている。それに私の場合は、アオイ君とはちょくちょく会っていたし、プリムちゃんとは夏休み最終日以外は会わなかったけど、連絡は取り合っていた。他にもクラスメイトはいるが、他の人は別にいいだろう。もともとそんなに話さなかった人達というのは、そもそも出会いもしていなかった人達と変わらない赤の他人、その他大勢だ。
「おはよう、ハナちゃん」
「おはよう」
「昨日は楽しかったね」
うん、と頷いて私はプリムちゃんといつも通りの雑談を始める。
「ねぇ、ハナちゃん。昨日改めて思ったんだけど、ポテチはやっぱりうま塩味が一番おいしいよね」
「あ~、わかる。そういえば前から思っていたんだけど、うま塩味っておいしいけど、何の味がしているのかちょっとわからないよね。何の味か知ってる?」
「うま~い塩の味だよ」
「……」
「……」
「いや、もうちょっと説明ちょうだいよ(笑)」
「だから、うま~い塩の味だよ」
「うす塩味とは違うんだよね?」
「全然違うよ。うす塩味はうす~い塩の味だもん」
「どっちも塩味じゃん」
「使っている塩が全然違うよ」
「どう違うの?」
「うすしお味の塩はいわゆる普通の塩だけど、うま塩味の塩は特別な塩を使っているんだよね」
「特別な塩?」
「うん、特別な塩。食べたら気持ちが高揚してきて、何もおかしなことなんか起きていないのに笑っちゃうんだよね」
「それ本当に塩かな?」
「塩だよ。一回食べるとクセになって、生活の中心がうま塩味のポテチになっちゃうけど」
「塩かな?」
「塩だよ。バレなきゃ合法だし」
「絶対に塩じゃないじゃん! というか、本当はうま塩味がどういうものか知らないんでしょ?」
「……知っているよ」
「嘘だ! 今の間はしらないときの間だよ」
「知ってる知ってる! もう何百回食べたと思ってるの?」
「それじゃあ改めて聞くけど、うま塩味って具体的に何味なの?」
「うま~い塩の味だよ」
「もういいよ(笑)」
しばらく雑談をしていると、今日の教室はいつもより若干騒がしいことに気づいた。小学生とは違うのだから、高校生にもなって夏休み明けにわくわくしている人はいないが、いつもと様子が違うのはちょっとだけ問題が発生しているからだ。
夢幻ノ桜学園。ここに通う生徒の多くは普通科だが、プロの魔法使いになることを目指した魔法科が学年に1つだけある。その魔法科の人間が、あと10分で登校しないといけない時間の8時30分になるというのに誰1人として学校に来ていないのだ。クラスの中にはどこかに強化合宿でも行っているのかと呑気なことを言っている人もいれば、魔法科にたまたま知り合いがいて、その子はやる気がなくて、ただ休んでいるだけだから、今回の件とは関係ないかもしれないという、かなり惜しい推理をする人もいた。
理由はわかっている。夏祭りの日に警備の手伝いをしに来ていた魔法科の人間の精神をクロウが破壊したからだ。今日まで誰も異変に気づきもしなかったのは、それぞれがただやる気がないだけにしか見えなかったからだろう。魔法科の人たちの家族は心配していただろうが、他のクラスメイトも全員同じ症状が出ているとは思いもしなかったはずだ。だから、具体的に全員が休むという異常な事態が起きるまで気づくことができなかったのだ。
精神を破壊された人間は何の目標を持つことなく、ただ生き続ける。自殺するほどの決意を持つこともなく、ただ生き続ける。ゆっくりと死んでいくのを待っているかのようにただ生き続ける。生きているのに何もしないというのは、死んでいるのと何も変わらない。精神を破壊するというのは、人を殺すということだ。これを大人数に仕掛けて大事にならないわけがない。
「魔法科の人たちどうしたんだろうね」
「さぁ?」
とプリムちゃんの問いに首をかしげておく。さっきまで全く別の話をしていたが、プリムちゃんも少しは気になるようだ。
「何かあったのかな。まぁ、関係ないから別にいいか」
「うん、そうだね~」
なるべく自然になるように努めて相づちを挟み、プリムちゃんと呑気に雑談を再開する。
何が起きているのか説明することはできるが、信じてもらえないに決まっている。そもそも私の魔法についてもその特性上、信じてもらえないことはわかりきっているため、本当のことは同じ魔法を持つアオイ君とクロウにしか話したことがない。
プリムちゃんと雑談を続けながらも、クロウのことが心配になる。クロウのことだからこれくらいのことは想像の範囲内なのだろうが、この後何をどうするつもりなのか私には見当もつかない。私がしてあげられることは知らないふりを続けて、全員揃って理由が不明なのだと思うようになるときを待つことぐらいだ。
***
2学期の幕が開けると同時にプロの魔法使いや警察が学校を出入りするようになった。どうやら警察の人たちは学校側が生徒に何かを仕掛けたとして調べているみたいだ。こんな具合でスタートした2学期だから、初めの1、2週間は魔法科の生徒が全員欠席しているという話題で持ち切りだったが、3週間目となるといないことが当たり前となったのか、考えても原因がわかりそうにないと思ったのか、単純に飽きたのか知らないが、ほとんど誰も魔法科の話をしなくなった。
というわけで、今はいつもの学園生活を送れている。
「休憩しよっか」
「うん、疲れた~」
と私は汗をぬぐってプリムちゃんと共にグラウンドの隅にある大きな木の下に入った。外はそこまで暑くはないが、運動するとすぐに汗をかいてしまうくらいには暑い。
「明日筋肉痛かも」
「あはは、私もそうかも」
私は手でパタパタと扇いでいるプリムちゃんに笑いながら返した。
今は体育の授業中。10月に行われる体育大会に向けて、それぞれ出場種目の練習をしているところだ。夢幻ノ桜学園で行われる体育大会は魔法の使用禁止という自分の肉体だけで勝負する特殊ルールとなっている。どこかの筋肉バカが考えたのだろう。ちなみに私とプリムちゃんは2人3脚に出る予定だ。別に運動ができないわけではないが、もっとできる人が他にいるから、短距離走やリレーには出場しない。
水分補給をしたり、おしゃべりをして休憩しているとアオイ君がよろよろと力なく歩いてきた。
「アオイ君も休憩?」
うん、とアオイ君は弱弱しい頷きだけで返す。声を出すのも億劫になるほど疲れている様子で、どしっと私の隣に座りこんだ。
「おーい、アオイー!」
1人の男子が駆け寄ってきた。
「お前はまた女子としゃべってるのか」
「またって人聞きが悪いな」
「だって、いつも女子としゃべってるじゃん」
「いつもじゃないよ。だいたい学校ではお前と1番しゃべっているだろ」
「そうか?」
「そうだよ」
「ふ~ん……まぁ、そんなことはどうでもいいんだよ。ほら、練習するぞ」
「もうやるの?」
「当たり前だ。ほら、立て」
と座っているアオイ君の手を引っ張って立ち上がらせる。
「もうちょっと休憩してもいいんじゃない?」
「お前はマジで体力ないな」
「運動はそんなに得意じゃないんだよ」
弱音を吐くアオイ君を初めて見たかもしれない。
アオイ君も私もクロウも薔薇の庭園にいるときだけは人間を超越した力を発揮できるが、庭園を一歩出るとそうはいかない。
「そんなこと言っても仕方ないだろ。お前は短距離走ではこのクラスで4番目に早いんだから、ギリギリで短距離走のメンバーにもなるし、リレーの4人のメンバーにもなるんだよ」
「それくらいわかってるよ」
アオイ君と仲のいい男子は今にも走り出しそうなぐらい気合が入っている。本来なら日ごろから体を鍛えまくっている魔法科のクラスがぶっちぎりで優勝することが目に見えているため、練習なんかしてもほとんど意味がないはずであるが、今年の体育大会は魔法科の人間がいないということで、普通科の男子たちは大いに張り切っているのだ。
「わかってんならいいんだ。よし、ウォーミングアップがてら走っていこう!」
「え~、歩いていけばいいじゃん」
「ダメだ。もう決まったから」
そう言うと、彼はアオイ君の腕を掴んで強引に走り去っていった。
「ねぇ、ハナちゃん」
「ん? なに?」
「若いっていいねぇ~」
「同級生だよ」
とプリムちゃんにツッコミながら、笑ってしまった。
***
学校を終えて自宅へ戻り、スーパーで買ってきたお弁当をレンジに放り込んだ。
「はぁ~」
制服から部屋着へと着替えながら、ため息をついた。今日もアオイ君と話せなかった。もともと学校では放課後しか話さなかったのに、体育の授業以外にも放課後も練習しているため話せる機会がなくなっている。練習が終わったころに電話をしてみてもいいのだが、疲れているだろうし悪い気がしていつも掛ける直前の画面で手を止めてしまう毎日だ。
はぁ~、と着替え終えたころにもう一つため息をつくと、チンと電子レンジの音が聞こえた。ゆっくり歩いて電子レンジの前に行き、温められたお弁当を取り出した。丁度いい感じに温められている。私はお弁当をテーブルに持ってきて、いただきますと小さくつぶやいて手を合わせ、一口食べた。いつも食べている味だ。いつも通りおいしい。
黙々とお弁当を食べ、何も考えていなかったはずが自然とアオイ君とのことを考えてしまう。
思えば2学期になってすぐに体育大会の練習が始まったから、この9月はアオイ君とほとんど話せていない。アオイ君と何回二人きりになれただろうか。付き合っているって何だろう。
「あ、テレビみよう」
やけに静かだと思ったら、いつもBGM代わりにつけているテレビがついていなかった。夕方の情報番組なんか見ても面白くはないが、私の思考を止めるにはこれくらいで十分だ。
テレビでは今年の秋はこのファッションが流行ると言って、最新のファッションを紹介している。
「流行るまでテレビでやるつもりなんだろうな」
適当な感想をテレビに向かって言いながら、お弁当を食べ終えた。
「はぁ~あ」
湯船につかって、今日何度目かのため息をついた。学校にいる間はプリムちゃんとおしゃべりばかりしていたから、ため息をつくことはなかったが、1人になるとずっとこんな感じだ。
夕食を終えるとすぐにお風呂のお湯を入れに行き、お湯が張るまでの間も洗い物をしたり、テレビを見たり、ケータイをいじったりしてなるべくアオイ君のことを考えないようにしていた。それなのに、湯船につかって1人でボーっとするとすぐに考えてしまう。
何かいい答えを求めて安心したくて考えているはずなのに、考えれば考えるほど不安になってくる。そもそもアオイ君は学校では同じクラスでも話すことのないくらい別の世界にいる人間だ。当たり前のように一緒にいたが、一緒にいられるのは当たり前じゃない。付き合えている今の状況が異常なのだ。それがアオイ君が忙しくなって話す機会がほとんどなくなり、私たち本来の姿に戻っただけなのかもしれない。正直もっと一緒にいたかったが、面倒くさい女と思われそうで怖くて言えなかった。
お風呂から上がり、パジャマを着て髪を乾かし、決心した。自然消滅するくらいなら、私から別れてやる。
部屋に戻ってテーブルに置かれたケータイを手に取りメールを打った。
『今までありがとう。さようなら』
こういうのは直接会って話した方がいいんだろうけど、アオイ君のなかではもう自然消滅してしまっているのかもしれないし、そのことを少しでも考えてしまった以上、電話で話すことなんかできそうにもかった。
なんて返ってくるだろうか、プリムちゃんにも別れたことを報告しないと……。
ずずっと鼻をすすると、涙が頬を伝った。自分で決めたことのはずなのに、やってしまったという後悔しかない。私はアオイ君ともっと一緒にいて笑っていたかっただけだ。1歩踏み込んで話ができればアオイ君も応えてくれただろうが、それができなかった。
自分の不器用さに呆れながら、涙があふれてくる目をこすり、ティッシュで鼻をかんだりしていると、ピンポーンとインターホンの鳴る音が聞こえた。こんな時間に誰だろう、とドアスコープを覗くとアオイ君が立っているのが見えた。
「えっ……どうしよう」
と1回握ったドアノブから手を離したが、無視するわけにもいかずドアノブに手を伸ばした。
「ハナさん、大丈夫?」
ドアを開けると、アオイ君は少し焦った様子で心配した表情をして立っていた。
「何が?」
「何がって、このメールだよ」
とアオイ君はケータイの画面を見せてきた。
「自殺でもするのかと思って、急いで飛んできたんだけど」
「あっ……ごめん。長くなりそうだから、中で話しよう」
「え、うん」
戸惑っている様子の返事を背中で聞いて、私はさっさと部屋に戻ると、少し遅れてアオイ君は後から丁寧に靴を並べて部屋にあがってき、私の隣にある座布団に座った。
「それで、あのメールはなんだったの?」
優しく落ち着いた様子でアオイ君は訊いてくれる。
「9月になってから、アオイ君とほとんど話せてないからじゃない」
「うん」
「だから、その……アオイ君の中で自然消滅していたらと思って」
俯いたまま、かろうじて頭の中に出てきた言葉を口にした。本当はもっといろいろ話したいのにうまく言葉が出ない。
「あはは。ごめんね、気づいてあげられなくて」
「え?」
顔を上げて、涙があふれそうになるのを我慢した。勝手なことをして怒られるような気がしていたのに、ずっと優しい。どうして。
「実は僕も気にはしていたんだけど、ハナさんはしっかりしているからさ、それに甘えちゃっていたんだよね」
何か返事をした方がいいのだろうが、何も出てこない。
「これからはもっと二人の時間を大切にするから、ハナさんは僕のそばにずっといてくれないかな」
「……うん」
頷くと同時に涙があふれ出てきた。
「ハナさんはちょっと気を遣いすぎなんだよ」
「そうだよね」
パジャマの袖で濡れた頬をこすった。気を遣いすぎだということぐらい頭ではわかっている。わかってはいるけど、直せないのは生まれ持った性格の問題なのだろう。
「何をしたら嫌われるかって、そんなことを考えたらきりがないよ。相手にどうしたらもっと好きになってもらえるかを考えなよ。まぁ、ハナさんに寂しい思いをさせた僕が言えるようなことじゃないけどね」
ははは、とアオイ君は軽く笑う。
「ハナさんはもっとわがままに好きなときに甘えてきたらいいんだよ」
「うん」
「本当にわかってる?」
こくりと頷くと突然アオイ君は抱きしめて押し倒してきた。
「えっ、なに」
久しぶりにこんな至近距離にアオイ君を感じて、鼓動が聞こえてしまいそうなほど高鳴っている。
「ハナさんが甘えてこなさそうだったから、甘えてみた」
か、かわいい。
「重たい?」
「ちょ、ちょっと重たいです」
「なんで敬語なんだよ」
体を起こして、可笑しそうに笑うアオイ君に私もつられて笑ってしまった。
「次はハナさんが甘えてみてよ」
「うん!」
普段ならできないけど、今ならできる気がして思いっきり押し倒して抱きしめてやった。
「今日はありがとう」
言い終わるころにアオイ君はゆっくりと抱きしめ返してきた。
「ねぇ、アオイ君」
「なに?」
「今日はこの後どうするの?」
「どうするって、泊まってほしいの?」
「そ、そういうつもりで言ったんじゃ」
急に熱が上がってくる。きっとアオイ君にも気づかれただろう。
「冗談だよ、冗談。もうすぐしたら帰るよ」
アオイ君は相変わらず冷静だ。
「もうすぐって?」
「ハナさんが離れたくなったら」
「……いじわる」
と呟き、顔を伏せてぎゅっと抱きしめた。
***
体育の授業中。私は休憩しながら、少し遠くで練習しているアオイ君を見た。
今日もきっとほとんど話すことはないのだろう。アオイ君は、昨日は何もなかったかのようにいつも通り過ごしている。いつも通り、きらきらした人たちと一緒にいる。そんなアオイ君が私を選んでくれて、大事にしてくれている。これが事実である以上、何も心配することはないのだ。それに、甘えたいときに甘えればいいんだから、もう大丈夫だ。
唐突に昨日のことを思い出してしまい、休憩しているのにまた汗をかいてしまった。
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