薔薇色になれ
薔薇色の運命
 夜。静かな部屋で私は久しぶりに真面目に勉強している。
「あぁ~、疲れた。休憩休憩」
 ぐ~っと伸びをしてケータイの時間を確認してみると、もう11時だ。9時から始めたから2時間も休憩なしで勉強している。勉強好きな人からしたら大した時間ではないだろうが、私にとって2時間はかなり多い方――ご褒美に私だけゴールデンウィークが欲しいくらい――だ。
 今日はまじめに勉強しているが、ついこの前、体育大会が終わったところだ。練習をしたおかげでアオイ君たちはクラス対抗リレーに勝つことができ、私たちのクラスは優勝することができた。私が参加したのは2人3脚だけでほとんどの時間を応援したり、友達としゃべったりして過ごしていただけだったけど、それでも私なりに楽しかった。
 だが、学校生活というものは楽しいことばかりじゃない。テストという非常に面倒くさいこともやらなければいけないのだ。さっきやった勉強はその中間テストの勉強だ。私は今回の中間テストはかなり厳しい戦いになると予想している。なぜなら、前回の期末テストとは違って今回の中間テストはかなりのブランクがあるからだ。期末テスト後の7月はテスト返しと3者面談の期間があり、それが終わったら終業式とほとんど学校に行くこともなく終わり、8月はずっと夏休み。9月はまだ半分夏休み気分で学校だるいな~って感じで過ごしつつ体育大会の練習をし、体育大会が終わったと思ったら、2週間後に中間テストだ。まじめに勉強していなかった期間がこんなにあるのに、自分を勉強モードに切り替えていくのはなかなか難しい。勉強していたはずが、気が付いたらケータイをいじっていたり、無駄に部屋を片付けたりしてしまい、ほとんど勉強せずに時間だけが過ぎていってしまうこともあった。
「あと1週間か」
 とケータイでカレンダーを確認して、呟いた。
 アオイ君とプリムちゃんの勧め通りに2週間前から私なりのテスト勉強を始めた結果、多少ダラダラ過ごしていた時間があるとはいえ、前回のテストよりも多めに勉強できている気がする。放課後にアオイ君に勉強を教えてもらったり、休みの日にプリムちゃんと一緒に勉強したりという、シンプルに賢い人に教えてもらうという作戦――実際は二人とも私が補習にならないか心配してくれているだけ――は今回も実行している。やれることは全部やっている。あとはテスト当日までこれをきっちりと続けていくだけだ。
「早くテストの日にならないかな」
 まだまだ頭に入っていない部分がたくさんあるが、真面目に勉強するといいう苦行から逃げ出したくなって、口に出てしまう。
「よし、もうちょっとだけやって寝るか」
 キッチンに向かい、冷蔵庫を開けてアイスコーヒーを飲み、最後の気合を入れた。


   ***


 テストが終わると、1週間もしないうちに全てのテストが返ってきた。私は今回もアオイ君とプリムちゃんという二人の秀才のおかげで、なんとか補習を免れることができた。点数は決して褒められたものではなかったが、そんなものは関係ない。補習を受けなくて済んだ。私はこの1点だけの勝負をしている。
「よし、食べよう!」
 ある日の土曜日、いただきますと手を合わせて私はイチゴのショートケーキを一口食べた。
「おいし~い」
「うん、おいしい」
 とプリムちゃんはベイクドチーズケーキを食べて、ニコニコしている。
 今日は私の部屋でプリムちゃんと中間テストの打ち上げだ。中間テストなんて打ち上げをするほどのものでもないが、最近学校の近くにできたケーキ屋さんのケーキを食べたくなり、ケーキを食べるためだけに打ち上げをすることになったのだ。
「もうすぐ文化祭だよね」
 と私はケーキと一緒に用意したインスタントのホットコーヒーを飲んだ。
「あと2週間くらいだっけ? 2学期は忙しいよね~」
 妙に嬉しそうにプリムちゃんは答える。
 うちの学校にも文化祭というものがある。他所の高校からも多少は人は来るらしいが、ほとんどが在校生とその家族しかいないというそれほど大規模でもない文化祭だが、中学のときは文化祭なんてなかった私としては、結構楽しみにしている。テスト前から少しずつ準備が始まっていて、私のクラスもテストが終わると放課後に残ったり、朝早く来たりして本格的に準備を進めている。
「プリムちゃん、ずっと放課後に残っているよね」
「まぁ、そういう役割だからね~」
 プリムちゃんはこのクラスの文化祭実行委員に選ばれている。プリムちゃんはそういう目立つことをやりたがるタイプではないのだが、1年生になってすぐのころにくじ引きで決まったのだ。
「手伝えることがあったら手伝うよ」
「ありがとう。でも、もう一人の人に任せておけば何とかなるから」
 文化祭実行委員はクラスに男子と女子一人ずついる。もう一人というのはサン・フラー君のことだ。彼はアオイ君と一番仲のいい人で、明るくて面白いクラスの人気者だ。運動もできて、体育大会のときはアオイ君と一緒にリレーの練習をしていた。ホームルームの時間も、上手にクラスの指揮をとって文化祭の準備に取り掛かっている。
「確かに頼りになりそうだね」
「うんうん」
 と満足げに頷くプリムちゃんの口角が上がっている。文化祭実行委員なんていう柄にもない面倒ごとを押し付けられているはずが、妙にプリムちゃんの機嫌がいい。きっとそれはベイクドチーズケーキを食べているからではない。なぜなら、最近ずっと機嫌がいいからだ。
「フラー君ってね。意外とまじめな部分があるんだ~」
「へぇ~……というかさ、なんでそんなニヤニヤしているの?」
「えっ」
 急に顔を赤くして、プリムちゃんは何か言おうと口をパクパクしだした。
「し、してないよ!」
 首を横にブンブン振って否定する。
「してたじゃん」
「してない、してない。あ~、このモンブランおいしいわ~」
「それチーズケーキだよ!」


   ***


 文化祭の準備も進んでいき、廊下に宣伝用のポスターが張り出されたり、放課後にはバンドの練習をしている音が聞こえたりするなど、まだ文化祭は始まっていないが、もう学校は文化祭モードと言っていいくらいに賑やかだ。
「何買うんだっけ?」
 と買い出しの手伝いに来ているだけだが、ちゃんとお気に入りのワンピースを着てきた私は同じく手伝いに呼ばれたアオイ君に訊いてみた。
「血のりとか、黒い布とか……色々なものがちょっとずつ足りないみたいだな」
 アオイ君はフラー君に渡されたメモを手にしている。
 私たちのクラスはお化け屋敷をやることに決まっていて、最近は放課後に教室の飾りつけやお化けの衣装など作っていたのだが、準備をしている過程で材料が足りなくなったものが出てきてしまい、今日はその足りなくなったものを追加で買い出しに来ている。1回目の買い出しは荷物が多くなりそうだから、男子に全部任せていたが、今回はそんなに多くはなさそうなので、私とアオイ君が手伝いに来ている。どうして私たちになったのか、面倒くさいから手短に説明するとまずフラー君と仲のいいアオイ君が誘われて、都合よくプリムちゃんと仲がよくて、アオイ君とは彼女である私も手伝いとして来ることになったのだ。
 今日来ているのは駅の近くのショッピングモール。100円ショップや手芸用品店などがあり、とりあえずここにくれば何でも揃うはずだ。
 今はアオイ君と二人で壁に貼られたマップの前にいる。
「一番近い100円ショップから行くか」
「うん」
 頷いてアオイ君と手を繋ぎ、歩き始めた。
「あの二人大丈夫かな」
「大丈夫だよ」
 アオイ君はいつのもように自然に軽く答えるが、私はまだ落ち着かないでいる。
 私が心配しているあの二人とは、プリムちゃんとフラー君のことだ。ショッピングモールで現地集合した後、すぐにアオイ君の提案で二手に別れることになった。
「余計な事しちゃったってことはないかな」
「その心配はいらないから、安心していていいよ」
 アオイ君の表情からは希望的観測で言っている様子は感じ取れなく、当たり前のことを当たり前のように話しているように見える。
「どうして心配いらないの?」
「二手に別れようっていうのは、もともとフラーが提案してきたことなんだ」
「そうなの?」
「うん、内緒だよ」
 口元に人差し指を立てて、アオイ君はいたずらっぽく笑う。
「な~んだ、そういうことだったのねぇ~」
 とほっとしながら、ニヤけてしまう。
「というか、気づかなかったの?」
「全然わからなかった」
「そっか。バレバレだと思ったんだけどな~。こんな丁寧に僕らの分までメモを用意してくれてさ」
 ポケットからメモを取り出し、少し見つめてアオイ君はふっと鼻で笑う。
「教えてあげればよかったじゃん」
「教えたよ」
「え? ん?」
 1ミリも理解できず、2回も首をかしげてしまった。教えたのにそのまま突き通したってどういうことだ。
「教えてあげたけど、別にバレてもいいってさ」
「へぇ~、すごいね」
 とっさにいい言葉が出てこず、小学生の読書感想文のような言葉を口にしてしまった。
 バレなければ二人きりで仲を深められ、バレたら少し恥ずかしいが、お付き合いをしてほしいという意味での告白まではしなくても、実はプリムちゃんのことを好きだというくらいの告白をするつもりなのだろう。プリムちゃんにバレてもいいということは、いつかは伝えたいという気持ちがフラー君にはあるということで、今はそのタイミングを探しているのかもしれない。そう考えると、フラー君の気持ちはかなり本気だ。
「うまくいくといいね」
 変な人を好きにならなくてよかったと親心を抱きながら、心の中で2人の仲をお祈りをする。
「そうだね」
 と私を安心させるためにも冷静に優しく頷いてくれているのであろうアオイ君も、きっと心の中では本気で応援してくれているはずだ。


   ***


 時は過ぎて、12月。
「ふんふんふ~ん♪」
 鼻歌を歌い、映画を観ながらつまむ予定のキャラメルポップコーンの準備をする。アオイ君は扉を挟んで隣の私の部屋で待機中だ。
 今はもう冬休み。クリスマスも終わって年末シーズンに突入している。毎年のことだが、私は年末になるとちょうど1年くらい前から振り返りたくなる。
 去年の今頃はプリムちゃんと同じ高校に行くために必死に勉強して、1月も勉強ばっかり、2月に受験をして、3月が合格発表と卒業式だった。中学時代はプリムちゃん以外に仲の良かった人はいなかったが、クラスメイト達はどうしているのだろう……どうでもいいか。気になるとしたら、付き合いの長いクロウくらいかな。クロウならどこに行っても上手くやっていけるだろう。友達をつくるようなタイプではないが、1人でも寂しいと思ったり、1人でいることを惨めだと思わないタイプだし、きっと大丈夫だ。ちょっと過去に問題があって、周りに頼らず1人で何でも背負い込もうとするところがあるが、クロウは精神的にも強いから、きっと克服してくれるだろう。
「わぁっ!」
 火にかけたっポップコーンのはじける音に思わず、びっくりして声を出してしまった。フライパンの蓋越しに中の様子を見てみると、2つ3つと次々にはじけていった。
「もう少しかな」
 ポップコーンがパチパチとフライパンの蓋を叩く音を聞きながら、また1年の振り返りを始めた。
 4月は高校に入学して、5月はアオイ君と色々あって、6月に付き合うことになった。7月は大変なことがあったけど、アオイ君と初めてキスして、8月は夏休みを満喫して、9月はなんだかんだあったけど、アオイ君ともっと仲良くなれて、10月は体育大会があって、11月は文化祭でプリムちゃんとフラー君が仲良くなった。勉強もプライベートも文句なしの1年間だったと言える。
「よし、全部できたかな」
 フライパンが静かになったところで火を止めて、ポップコーンをお皿に移す。
「次はキャラメルだね」
 軽くふいたフライパンに牛乳、バター、砂糖を入れていく。いい感じの色になるまでしばらくかかりそうだ。混ぜて炒めながら、今頃プリムちゃんたちも仲良くやっているのかなと想像した。
 ついこの前あった期末テストもプリムちゃんとアオイ君という2人の秀才と一緒に勉強していたおかげで、今回も切り抜けることができ、私はもう冬休みを満喫するだけだが、クラスメイトのフラー君には魔法科へ入るための試験が残っていた。魔法科の人が学校に戻ってくることがほとんどないであろうと判断した学校が、特別に普通科から募集をかけていて、それに応募したのだ。もちろん、誰でも簡単に入れるわけではない。ちゃんと試験があり、その試験も元々はエリートしかいなかった魔法科の欠員を埋めるための試験なのだから、試験もかなり厳しいものになっているはずだし、実際プリムちゃんがフラー君から聞いた話ではかなり難しいテストだったらしい。私と同様にプリムちゃんやアオイ君もそっちの道には進む気はないみたいで、これまたプリムちゃんがフラー君から聞いた話では、1年生で魔法科への試験を受けた人はたったの5人だけだったとのことだ。
 プリムちゃんがやたらとフラー君について詳しいのは、12月の初めの頃に付き合うことになったからだ。魔法科への募集があることを知り、試験を受けることを決めたフラー君が、もし合格したら別のクラスになって二人で話せる機会も会える機会も少なくなってしまうけど、俺はプリムちゃんのことを誰にもとられたくないから付き合ってほしい、という感じで告白されたとプリムちゃんからノロケ話を聞かされたことがある。
「ずっと下を見ていると首がだるいな」
 いい感じに煮詰まってきたキャラメルにポップコーンを入れて、首を回してリラックスした。
「あっ、あれも食べようかな」
 首を回したついでに、冷蔵庫の上の棚にジンベエザメの絵が描かれたクッキーの缶が置いてあるのが目に入った。3日前のクリスマスの日に水族館へ行ったときにお土産でアオイ君に買ってもらったやつだ。
 水族館はプロの魔法使いの人たちも警備に来るほど人でごった返していたが、クラゲを見て癒されたり、大きいジンベイザメの写真を撮ったり、イルカのショーを観たり、帰りにお土産屋さんでクッキーとジンベイザメのぬいぐるみ――ベッドの枕元に置いてある――を買ってもらったりと十分すぎるほど楽しむことができた。
「ふぅ~、できたできた」
 ポップコーンをお皿に移して、アオイ君の待っている隣の部屋に運びにいく。
「お待たせ」
「おっ、できた?」
 炬燵に座って、テレビを見ていたアオイ君が嬉しそうな顔をこちらに向ける。
「うん。簡単に出来たよ。水族館で買ったクッキーもあるけど、食べる?」
「食べる」
 頷いて答えるアオイ君。
「とってくるね」
 と扉を開けて、クッキーを手に取るとインターホンの鳴る音が聞こえてきた。
「誰だろう?」
 クッキーを炬燵に置き、宅急便も何も頼んでないのになと思いながらドアスコープを覗くと、そこにはスーツを着た20代前半くらいの見知らぬ女の人が立っていた。
「宅急便か何か?」
「ううん、違うみたい」
「知っている人?」
「知らない人」
 宗教の勧誘か、何かの押し売りか、それとも……いずれにしても面倒そうな人には変わりない。
「無視しとけばそのうち帰るんじゃない?」
「そうだね」
 と部屋に戻ろうとすると、ピンポーンと再び鳴った。返事はせずに無視して部屋へと戻り、扉を閉めた。
「映画の準備するね」
 ブルーレイの準備をしようとしたら、またピンポーンと鳴る。
「なかなか帰らないね」
 ため息交じりに呟くアオイ君に、私はうんと苦笑した。すると、ピンポーンと鳴り、またまたピンポーンと鳴る。
「はぁ~、僕が代わりに出るよ」
 ここで待ってて、と扉を閉めて玄関に向かうアオイ君。
「どちら様ですか?」
 私は扉越しに聞こえる声に耳を集中させる。
「警察のデンドロン・リューカです。ここってフラワーガーデン・ハナさんのお宅ですよね?」
 何も悪いことはしていないのに、警察という言葉を聞いただけでドキッとしてしまう。
「警察が何の用なの?」
 アオイ君は素直に質問には答えずに話を進めようとしているみたいだ。
「私はあなたたちの通う学校の魔法科の生徒たちの件について調べているの」
「それで?」
「学校側が生徒に何か無茶なことをやらせていたものだと思って調べていたけど、何も出てこなかったのよ」
 たしかに、先生たちが事情聴取などで警察の捜査に協力していた影響で、何度か授業が自習になるという生徒としてはラッキーなことがあったが、実際に誰一人として学校を去った先生はいない。
「知っているよ。うちの先生誰もやめていないし。そんなことを報告しに来たの?」 
「それから、私たちは同じ学校の生徒が仕掛けたんじゃないかと思って、生徒の資料をもらって調べてみたわ。でも、精神に働きかける魔法を持つ生徒は1人も見つからなかったの」
「ふ~ん」
 たいして興味なさそうな返事をするアオイ君。
「私たちがわかっていることは、魔法科の生徒たちが最後に活動したのが夏休みにあった夏祭りの警備だということ。ここから活動が一切ない。私たちの調べたところによると、夏祭りには他の生徒たちもいたのにその子たちは無事だったことから、犯人はおそらくプロの魔法使いやその卵たちを狙ってやったと考えられるの。だから、私たちはプロの魔法使いが警備にあたるような人の集まるイベントにひたすら張り込むことにしたの」
「そうですか。お疲れ様でーす」
「ちょっと、待って!」
 おそらくアオイ君が扉を閉めようとしたのだろう。
「なんだよ、来ていきなり説明ばっかり。その上、話が長いし面白くないよ。結局何しに来たの?」
「あなたたちに話が聞きたいの」
「話って?」
「3日前のクリスマスの日に水族館に行ったわよね。私たちはそこで張っていたの」
「あぁ~、人でいっぱいだったね」
「私は心を読む魔法を使えるの。でも、あなたとフラワーガーデン・ハナさんの二人の心だけどうしても読めなかったのよ。それから……まぁ、二人について色々調べてみたけど、怪しいところは何もなかったわ」
「それなのに、ここに来たの? 怪しくない人から話を聞いても何も出てこないだろ(笑)」
「でも、この辺りで精神に働きかける魔法を使える可能性があるのはあなたたち2人しかいないの」
「はぁ~、そもそも心を読む魔法を使えるなんて信用していないけど、もし本当だとしたら、あなたの修行が足りないだけなんじゃないの?」
「それは…………」
「いい加減にしないと警察呼ぶよ」
「私が警察よ!」
「本当?」
「これが警察手帳よ」
「そんなもの見せられても、本物を見たことないのにわからないよ。それに、どうせ名前も嘘なんでしょ?」
「……」
「わかりやすい人だね。もう帰ってくれない?」
 アオイ君は優しい口調で帰らそうとする。
「帰らなかったら、今のやり取りを録音したものを全部ネットにでも公開するよ」
「本当は録音なんかしていないんでしょ」
「しているよ。ドアスコープを覗いたときに全く知らない人がいたからね」
「噓つき」
「僕の心は読めないんじゃなかったの?」
「……それを消してくれたら、帰るわ」
「あはは、消したら帰らないつもりでしょ? そんなことインチキ臭い人の心を読める魔法なんか使えなくたってわかることだよ」
「私の魔法は本物よ!」
「証明できないものは全部インチキだ。いい加減帰れよ」
 語気が荒くなり、イライラしているのが伝わってくる。
「さっきから帰れ帰れって、ここはあなたの家じゃないじゃない」
「僕の彼女をこんな怪しいやつに会わせるわけないだろ」
「……はぁ~、わかったわ。今日のところは帰らせてもらうわ」
「はいはい」
 ドアを閉め、鍵も閉める音が聞こえた。扉から離れて炬燵に座ると、アオイ君がこちらの部屋に戻ってきて、私の隣に座った。
「こっちの部屋で聞いていたけど、あの人なんだったの?」
「警察らしいね。魔法科の生徒の件について調べているってさ」
「偽物の警察ってことはない?」
「それはない」
 とアオイ君は首を振る。
「おそらく本物だよ。ハナさんの家に来たのに、話し相手をハナさんにこだわらなかったあたりがどうも引っかかる。僕でもよかったってことは、あの人にとって僕もハナさんも同じ価値の人物ってことだったんだと思うよ」
「なるほど」
 と冷静な分析に感心してしまう。
「たぶん、人の心も読めるっていうのも本当だと思う。僕たちの心を読めなかったのは、僕たちの魔法が関係しているんだろうね」
 たしか、私たちは特殊な魔法を持ち特殊な体をしているとクロウが言っていた。
「これからどうすればいい?」
「しつこくするなら、こっちもやることをやるだけだよ」
 優しく言っているが要するに精神を殺すということだ。
「そっか。でも、クロウはどうしよう……電話した方がいいかな」
「やめた方がいい。なかなか帰ろうとしなかったあたり、まだこの部屋には何もしかけられていないはずだけど、どこまで監視されているかわからない」
「じゃあ、どうすれば」
「直接会いに行こう。立って、移動するよ」
 漆黒の壁、漆黒の天井、地上にあるのは青い薔薇の庭園。太陽も月もなく、薔薇の花や葉や茎が幻想的な光を放つ。
「あの人、口では帰ると言っていたけど、あまり長い時間家を空けるのも心配だ。できるだけ手短に済ませるよ。クロウの家はどこ?」
 なるほど、これなら後をつけられるということもない。私は庭園にある泉を覗いてクロウの家を指さした。
「えっと~、ここ」
「ここね……おじゃましまーす」
 一瞬にしてクロウの部屋に移った。
「うわぁっ! びっくりした。なんだよいきなり」
「ちょっと話がある」
 漆黒の壁、漆黒の天井、地上にあるのは青い薔薇の庭園。太陽も月もなく、薔薇の花や葉や茎が幻想的な光を放つ。
「話って何?」
 突然のことでまだ落ち着かない様子で、クロウが訊いてくる。
「お前が夏休みにやった事件について、さっき警察の人がハナさんの家に来て話しにきた」
「あぁ~、そのこと。わざわざ報告しに来てくれたのか」
「僕はどうでもよかったけど、ハナさんが心配していたからね」
「ハナが? あぁ、そう」
 クロウはちらっとこちらを見たが、すぐにアオイ君の方に向きなおした。
「それで?」
「学校の方で調べるのはもうやめたらしい。今は同じことがもう一度行われないか、人が集まるところで尚且つプロの魔法使いが警備をしているところを手あたり次第に調べているみたいだね。この前は僕とハナさんが行っていた水族館で張っていたみたいで、そこでデートをしていた僕たちに目をつけて、今は僕たちが疑われている」
「なんでお前たちが疑われているんだよ」
「警察の中に人の心を読む魔法を使える奴がいて、僕とハナさんだけ心を全く読めなかったんだってさ」
「精神系の魔法かぁ~、俺たち以外にもやっぱりいるんだな」
「関心している場合じゃないでしょ」
 と思わず私が口を挟んでしまった。
「いつまで捜査を続けるつもりなのかは知らないけど、クロウ君も疑われるのは時間の問題だと思うよ」
「そんなこと初めからわかっているよ」
 ははは、と大したことないかのように笑って答える。
「心配しなくても二人は何もしていないんだから、調べられても困らないだろ」
「そうだけど、クロウはどうするの?」
「俺は俺でうまくやるよ。だから――」
 とクロウは私とアオイ君の顔に順に視線を送る。
「ハナもアオイも、もう俺とは会うな」
「えっ?」
 そんな話をしに来たつもりはないのにと戸惑い、言葉が出ない。隣にいるアオイ君も黙ったままだ。
「俺と会えば会うほど、俺がやったことがバレたときに、お前たちも共犯だと思われる可能性が高くなる」
「そこまでしなくてもいいんじゃないかな。別に今までだって、そんなしょっちゅう会っていたわけじゃないし」
「お前は自分の魔法を誰かに証明できるのか?」
「それは……」
「俺たち3人が同じ場所にいて、俺だけが誰かの精神を破壊したとき、俺だけが犯罪をやったとお前は証明できるのか? できないだろ?」
「それはそのとき一緒にいなければいいだけじゃ――」
「いや、それは違う。警察側が俺たちの魔法についてわかっていないということは、この魔法がどれくらい離れたところから使えるのかもわかっていないということだ。ハナとアオイなしで、俺だけ現場にいたとしても、俺が現場から何らかの方法で指示を出して2人が遠くから魔法を使ったという線は捨てきれないだろ?」
「そうかもしれないけど」
 反論してみたいが、何も思いつかない。
「夏祭りの日に俺たちは会っていない。今日も俺たちはここで会っていない。これからも俺たちはどこでも会わない」
「……」
「ここまでやっても、俺とハナは幼馴染だから、俺が疑われればすでに疑われているハナは黒くなりやすいかもしれないけど、これさえ徹底すれば俺とアオイの繋がりを切れる。今のところできるのはこれくらいだ」
「でも――」
「お前みたいなバカに足を引っ張られたくないんだよ!」
 言いかけたところで、クロウがギッとにらみつけてきた。
「これで最後だ」
 じゃあな、と踵を返して泉の方へ歩いていき、クロウはすぐに姿を消してしまった。
「あっ」
 最後なのに、何も言えなかった。私はなぜか誰もいなくなった空間にクロウの姿を脳内で映し出してしまい、喪失感に襲われ、頬が濡れた。
 もう会えないとわかってから気づいたが、クロウとは小さいときから同じだったせいで無意識のうちにいつまでも会おうと思えば会えるような存在と思ってしまっていたのだ。
「戻ろうか」
「うん」
 頷いて私たちは部屋へと戻った。


   ***


「もう会えないのか」
 帰ってきた1人の部屋、座椅子に座り、炬燵に頬杖をついて苦笑した。
 自分であんなことを言っておいて、俺は何を言っているんだ。あれでよかったんだ。
 ハナは俺と同じ魔法を持ち、俺のことを理解してくれていた。本当は理解してくれていたのではなく、ただの無関心だっただけなのかもしれないが、俺のやることに否定もせず、ただ傍観してくれていた。たったそれだけのこと、本当にそれだけのことだったけど、俺にとってはすごく嬉しくて、いつの間にかすごくいい奴に思えてきて、そして……自分の気持ちに気づいたと同時に、もう一つ気づいてしまったんだ。この気持ちは絶対に伝えてはいけないものだと。
 自分ではハナを幸せにすることはできない。復讐のために生きている自分の生き方では絶対に無理なことだ。いつかはまともに生きていける、やり直せる、自分でも幸せにできる、と不可能だとわかっていながらも、どこかで期待していた自分がほんの少しいたことは確かだが、結局最後まで他人から見たらどうでもいいことにこだわってしまう性格が変わることはなかった。
 あの瞬間に自分の運命が決まったとか、そんなことは捨ててもっと普通の人みたいに生きていける、そういう器用な人間、例えば……アオイ? アオイのことはほとんど何も知らないけど、顔もカッコいいし、きっとクラスでも人気者なんだろう。そういう人間はみんな切り替えが早くて、いつまでもくだらないことに固執しないで生きている。アオイみたいな器用で生きていくのが上手な人間こそ、人間の理想的な姿で本来目指すべきところだが、今さらそんなものを目指したいと思わない。
 俺はアオイみたいに器用に生きられるわけじゃない。ハナのことはアオイに任せよう。あいつ弱いけど。
「俺のこと、嫌いになっただろうな」
 別れ際を思い出し、ニヤッと笑った。
 最後までお前には伝えなかったけど、これでよかったんだ。

     おしまい
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