エリート心臓外科医の囲われ花嫁~今宵も独占愛で乱される~
 もしあの時、野良猫が鳴かなかったら、清司郎は思うままに彼女に愛をぶつけてしまっていただろう。
 まだ男女の愛がなにかもわからない、生まれたてのような彼女に。
 ……卑怯だろうか、と清司郎は自問する。
 まだなにも知らない千春に、まだなにもわからないうちに、自らの想いを告げて、自分のものにしてしまう。
 彼女が外の世界を知る前に。
 ……卑怯だろう、と清司郎は思う。
 本来なら千春が元の彼女に戻ってから、気持ちを打ち明けるべきなのだ。そうでないと正常な判断をすることなどできないのだから。
 ましてや治療費のことで清司郎に負い目を感じている今の状態では……。
 それでも。
 どうして千春がほしいと清司郎の中の獣じみた部分が言う。
 今までの血の滲むような努力は、すべて彼女のためなのだ。今さらほかの誰かに触れさせるなど絶対に耐えられない。
 彼女に出会った頃の清司郎は、人生のどん底にいた。母を失ってまだ一年とたっていなかったのだ。
 医師になるのがあたりまえ。祖父のように父のように、立派な外科医になれと常に周囲に言われていた清司郎の、唯一の理解者だった母。
 突然倒れて亡くなった母の死をまだ受け止められていなかった。
 医者のくせに家族も救えなかったのかと、心の中で父を憎んで。
 医者になる意義を見失い、すべてにやる気を失っていた。
 一方で千春は両親を亡くし自らも治療が困難な病を抱えていた。しかも引き取られた家族からはひどい仕打ちを受けていた。
 でも彼女は、前を向いていた。
 自分の未来を信じていた。
 一生懸命に九九を覚えて、清司郎が作ったプリントに真剣に取り組むその姿に、清司郎はまた前向きな気持ちを取り戻したのだ。
 愛している、そんな言葉では言い表せない。
 千春がいないと自分は生きられないとすら思うほどに。
 待つべきか。
 今すぐ手に入れるべきか。
 答えの出ない問題を、清司郎は考え続けた。
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