エリート脳外科医は契約妻を甘く溶かしてじっくり攻める
 勝手に人のものに触れてはいけない。

 そうわかっていても、好奇心に負けてそっと手を伸ばしてしまう。
 僅かに開いた瞬間、嫌な動悸がした。中身は和服姿の女性だ。

 これ、多分お見合い用の……。

 慌てて閉じたものの、女性の顔を見てしまった衝撃は拭えない。

 こんなところに何枚も乱雑に入れているところを見れば、彼は私に説明した通り、縁談話にまったく興味はないのだと思う。
 だけど、写真の女性はとても美しかったし、品もあった。言わずもがな、家柄もいい才色兼備なお嬢様なのだろう。

 途端に無力感に襲われた。

 もし、今私が文くんと離れたとしても、母も私が傷心してるとでも感じてしばらくはお見合いだとか結婚だとかしばらく言ってこないはず。

 文くんは初めこそ気遣って、自分も私を利用して縁談を断れるからと説明してくれていたけれど、それも現実では必要ないのだとこの間知らしめられた。

 となると、残す理由は私の文くんへの片想いだけ。

 それも、成就する可能性は限りなく低いとわかりきっていた。だからこそ、『いい思い出作り』なんて、修学旅行にも似た感情で文くんのもとへやってきた。

〝旅行〟は楽しくても、長ければ長くなるほど疲れが出てくるし、いつかは帰らなければならない。いつまでも楽しい時間は続かない分、その時の思い出を胸にしまって、時折キラキラした時間を懐かしんで、前を向いて歩いていく。

 駄々をこねて終わりだを延ばしたところで、もっと苦しくなるのはわかってるでしょう。時間は有限なのから、私も彼も有益な使い方をしたほうがいいに決まってる。

 思い立った私はテレビボードの引き出しを閉め、すっくと立ち上がる。

 掃除で使ったものを片付けて、部屋に急ぐ。残してあったダンボールを組み立てて、私物を片っ端から入れた。

 パソコンは大切なものだから持ち歩くとして、あとは……。

 デスクの上に置いてあった腕時計をそっと手に取る。
 あの日の楽しかった時間を噛みしめて、左手首に着けた。

 文くんからもらった本を見つめ、ブックスタンドからそっと抜き取る。

 大丈夫。どれも宝物として、素敵な思い出に変えられる。いや、変える。だから、もう少しだけ――。

 両手で抱きしめて、瞼を下ろす。
 数秒経って、ゆっくり目を開くと、私はスマートフォンを操作した。
< 76 / 138 >

この作品をシェア

pagetop