エリート脳外科医は契約妻を甘く溶かしてじっくり攻める
「……っ、好きな人が……できたの」

 喉の奥から声を絞り出すようにそう言った。

 もうなにが正解か、正確な判断を下せない。
 長年降り積もった彼への想いの終わらせ方など、知るはずもないのだから。

 それでもとにかく、今なによりも優先すべきなのは文くんに僅かでも自責の念を与えないこと。
 私の頭の中はバカみたいにそのことだけでいっぱいだった。

 スマートフォンを両手できつく握って、震える唇を精いっぱい開いて続ける。

「だから……えっ」

 懸命に嘘の言葉を考えていたら、突然腕を掴まれる。
 驚くと同時に顔を上げると、至極真剣なまなじりをこちらに向けている文くんが瞳に映った。

「それ、俺の目を見てもう一度言って」

 彼の鋭いひと声に瞳が揺れる。

 ここで動揺を見せちゃいけない。一世一代の嘘を言わなきゃ。

 頭の中で自分を急かすものの、実際は嘘どころかひとつも言葉を発せない。
 彼の美しい褐色の虹彩に意識を吸い込まれ、心を丸裸にされている感覚に襲われた。

 文くんはなにも言わない私に苛立ったのか、腕を掴む手に力を込め、グイと引き寄せられる。

「俺と結婚しようか?って持ちかけた時にはそんな話なかった。だったら、その好きな人ってごく最近できたってことだよな? もしかして、この間会った金子さんって人? だって他に最近って言って思い当たる相手がいない」
「あ、いや……その」

 どうしよう。金子さんには申し訳ないけど、今はそういうことにしたほうが自然かな? でも……。

 迷っていると、文くんは整った形の眉根を僅かに寄せる。

「俺、少し挨拶しただけだけど……あの人……ミイにはちょっと。慣れ過ぎてる気がする。鬱陶しいって思うのはわかってる。でも、やっぱり背中は押してやれない」

 彼の視線を間近に感じ、自分の身体なのにまったく思う通り動かせない。

 私を心配してくれている気持ちはひしひしと伝わってきてる。
 その気持ちだけでもう十分うれしいと思った。
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