過保護な御曹司の溺愛包囲網~かりそめの妻かと思いきや、全力で愛されていたようです~
「わるい、話を戻そう。とにかく美香のデザインは、俺のイメージするこの教会での結婚式によく合うと思ったんだ」
本当にそうなのかはわからないものの、自分の仕事が認められるのは嬉しい。
「それに、美香の携わった顧客の反応は、どれも高評価ばかりだった。親身に相談に乗ってもらえただとか、理想のドレスになった、とかね。接客態度についてはもちろん、ドレスの仕上がりに対しての満足度はかなり高かった」
「高評価?」
お世話になったと、直接感謝の言葉をかけられることは普通にある。思い入れの強い女性になると、後にメールや手紙でお礼を伝えてくれる人もいる。
でも、〝高評価〟と言われると首を傾げてしまう。
フェリーチェと朔也の勤めるエテルナとの間に結んだ契約の中には、情報の共有が含まれている。エテルナの実施する挙式後の顧客アンケートの欄に、ドレスの担当者の対応と、ドレスに対して感想や満足度などを具体的に尋ねる項目が組み込まれており、そこで上がってきた内容は必ずフェリーチェにフィードバックすると決められている。
そうすることによって、顧客側が何度もアンケートに答えなければならない事態を防ぐのと、一か所に集約して確実に答えてもらうようにするためだ。
私が担当するようになって以来、アンケートから大きな苦情は上がっていないし、私の対応については概ね満足いただいていた。
ただ、ドレスに対して拓斗の言う〝高評価〟と受け取られるようなものは、それほど記憶にない。
不満が出たことはない。利用者のほとんどが満足していると、可もなく不可もない評価で、それがそのままフェリーチェ内でのざっくりとした私に対する捉えとなっている。
もちろんエテルナ以外の仕事もあるため、それが全てではない。
社内では、ほかのデザイナーからプロの視点でその出来を評価する制度もあるし、久々莉のような発言力のある人物に取り上げられれば、それも評価につながっていく。パリへの研修もそのひとつで、私の仕事が認められたということだ。
本来はもっと多角的に評価をされていたはずだが、パリへ行く直前の私の仕事は久々莉の補佐以外はエテルナからの発注がほとんどだった。そのため、自身の評価はエテルナから上がってきたものが全てになりつつあった。
今にしてみればずいぶん閉鎖的な状況だったと違和感を抱くが、当時の自分はそういうものだと何も疑問に感じなかった。
けれどこうして距離を置いて考えてみれば、フェリーチェでは在籍しているデザイナーが互いの作品を評価し合う機会がどんどん減っており、かなり異様な状態だったのではないかと思えてくる。
本当にそうなのかはわからないものの、自分の仕事が認められるのは嬉しい。
「それに、美香の携わった顧客の反応は、どれも高評価ばかりだった。親身に相談に乗ってもらえただとか、理想のドレスになった、とかね。接客態度についてはもちろん、ドレスの仕上がりに対しての満足度はかなり高かった」
「高評価?」
お世話になったと、直接感謝の言葉をかけられることは普通にある。思い入れの強い女性になると、後にメールや手紙でお礼を伝えてくれる人もいる。
でも、〝高評価〟と言われると首を傾げてしまう。
フェリーチェと朔也の勤めるエテルナとの間に結んだ契約の中には、情報の共有が含まれている。エテルナの実施する挙式後の顧客アンケートの欄に、ドレスの担当者の対応と、ドレスに対して感想や満足度などを具体的に尋ねる項目が組み込まれており、そこで上がってきた内容は必ずフェリーチェにフィードバックすると決められている。
そうすることによって、顧客側が何度もアンケートに答えなければならない事態を防ぐのと、一か所に集約して確実に答えてもらうようにするためだ。
私が担当するようになって以来、アンケートから大きな苦情は上がっていないし、私の対応については概ね満足いただいていた。
ただ、ドレスに対して拓斗の言う〝高評価〟と受け取られるようなものは、それほど記憶にない。
不満が出たことはない。利用者のほとんどが満足していると、可もなく不可もない評価で、それがそのままフェリーチェ内でのざっくりとした私に対する捉えとなっている。
もちろんエテルナ以外の仕事もあるため、それが全てではない。
社内では、ほかのデザイナーからプロの視点でその出来を評価する制度もあるし、久々莉のような発言力のある人物に取り上げられれば、それも評価につながっていく。パリへの研修もそのひとつで、私の仕事が認められたということだ。
本来はもっと多角的に評価をされていたはずだが、パリへ行く直前の私の仕事は久々莉の補佐以外はエテルナからの発注がほとんどだった。そのため、自身の評価はエテルナから上がってきたものが全てになりつつあった。
今にしてみればずいぶん閉鎖的な状況だったと違和感を抱くが、当時の自分はそういうものだと何も疑問に感じなかった。
けれどこうして距離を置いて考えてみれば、フェリーチェでは在籍しているデザイナーが互いの作品を評価し合う機会がどんどん減っており、かなり異様な状態だったのではないかと思えてくる。