小さな願いのセレナーデ
(……夢、なんじゃないかな)

この歪んだ音の世界全てが夢のようで。
あのウィーンでの日々も、あの事故も、この妊娠も、テレビの婚約報道も、全てが夢を見ているようだった。

心配した秀機君や蒲島先生は、よく様子を見にきてくれていた。
だけど二人の言葉は響かずに、やっぱりずっと、夢の境をさ迷っていた。

楽団を辞めて毎日ぼうっと過ごす中、ただ一つだけが現実だった。
次第に大きくなるお腹。それだけが、私の現実だった。


ようやく目が覚めたのは、碧維が産まれてから。
『この子の為に生きよう』と、ようやく前を向くことができた。


「退団した後は全くバイオリンに触ってなかったけど、碧維が産まれて……蒲島先生が『誰かにバイオリンを教えてみないか』って言ってくれて。それで、ようやくバイオリンを再開することができた」

碧維が産まれてしばらくすると、蒲島先生から音楽教室の先生に誘われた。
提示された待遇は、ただの講師としては破格の条件。
恐らくだが、先生なりの罪滅ぼしだったのだろう。
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