彼と彼女の好きなもの
「新しいお部屋はどう? 片付いた?」
「ああ、割と片付いたよ。言っても、普段使いしている物を段ボールから出した程度だけどね」
「やっぱり、お手伝いに行きましょうか?」
「いや、大丈夫。ぼちぼちやるさ」
「本当にいいの?」
「ああ。心配いらない。元々一人分の荷物なんて大した事ないし。君が越してくる頃までにはすっかり綺麗にしておくから」

 そんな事心配してないわ、と言いながら彼女はちょっと恥ずかしそうにする。僕は微笑んでしまう。

「楽しみだな」

 呟いてしまってから、内心で照れ臭くなる。

「え?」
「えっと、だから、君の引っ越しがさ」
「ええ」

 彼女は晴れやかに笑うと付け加えた。

「でも、私、荷物多いの」
「僕は少ない。だいぶ捨ててきたしね。だから気にせずなんでも持っておいで」

 実際かなり捨ててきた。引っ越し後の片付けなんて付け足しに思えるぐらい、そっちの廃棄の方が大変だった。
 あれは、予想外にすごく疲れた。
 不必要になった物を捨てるだけだから、すぐに終わると思っていたのにな。

 不意に、どこかから、着信音が小さくした。彼女が慌てて置いてあったバックから取り出して着信を切る。

「……母からだわ……」

 彼女が画面を見ながら小さく呟いた。

「いいの? 出なくて?」
「ええ。きっとそんなに大した用事じゃないと思うわ。いつもそうだし……」
「気になるならかけ直すといい。僕のことは気にしないで」
「ええ、でも……」

 彼女は躊躇したが、もう一度促すと、「じゃあ、かけ直すわ、ありがとう」と言って、ここではなんだからと、席を立った。

 僕は一人残され視線を遠くに向けると、相変わらず青い空が目に入った。さっきまでいくつか浮かんでいた雲がなくなっている。日差しがちょうど良く室内に降り注いでいて、まるで絵に描いたような午後のカフェだな、と思う。

 テーブルの上の彼女の食べかけのアップルパイの横に添えてあるバニラアイスが溶け出している。
 僕は手持ち無沙汰でポットから二杯目の紅茶を注いで口にする。紅茶も悪くない。今まで食わず嫌いならぬ飲まず嫌いだったけど。

 そう何気に思ったと同時に、「嘘だあ、どうしちゃったの?」と脳内で声がした。ついでに「静かに飲んでくれるならなんでもいいけど」と。
 自分で自分の脳に出てきた映像相手に「別に蘊蓄なんて言ってないだろ」とむっとする。


 
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