まき
過去
『真希ちゃんっていうの?』
これはいつの記憶だったか。
『私、唯』
ああ、そう···これは私とお姉ちゃんが初めてあった時···
『また来るね』
笑顔で手をふるお姉ちゃんに、私も手を振り返していた。
頭がグラグラする。
寝ているはずなのに、脳がゆれる。
頭が痛い。凄く気持ち悪い。
重い瞼を開ければ、感じたことのない視界の揺れ方をして。重すぎる体をどうにかして起こし、ここはどこだろうと考えようとすれば、ぐわんぐわんと目眩がし、吐き気が襲ってきた。
······気持ち悪い·········。
体があつい。···まるで40度以上の熱を出した時のようで。
ここは······どこ?
私の部屋じゃない·········。
視界がぼやける。
虚ろな瞳で見渡せば、近くにはソファがあった。
どうやら私がいる場所は誰かの部屋で、ベットの上にいるらしく······。
この部屋は、確か·········。
起き上がろうと腕をつこうとした時、ガタガタと、私の体はベットから転げ落ちた。
ぼーっとする頭のせいで何が起こってるかも分からず。視界に見えたのは机。そして体の痛み。
体に力が入らない······。
本当に気持ち悪い······。
私は瞼を閉じた。
もう動いてないのに、脳が揺れてる······。
「────っ!」
なに······
なにかの音がする。
「─────真希」
音······、ああ、誰かの声。
誰?
「落ちたのか?大丈夫か?」
···気持ち悪い······
「真希?」
脳が、揺れる······
「起こすぞ」
やめて、うごかさないで······気持ち悪いの···
「真希?」
重い指先で、近づいてきた誰かの何かを掴んだ。
「気持ち悪ぃのか?」
その台詞に、私は小さく顔を動かし。
「我慢できなかったら吐いていいから」
そんな声が聞こえたけど、もう限界だった。
指先1つ動けそうになくて。
体が浮いている感覚がしたと思ったら、温かい何かに包まれ。
「真希、もう大丈夫だから」
体を下ろされ、横向きに寝転ばされ、何かが私の背中をさする。
優しい声が、頭に響く。
背中をさすられ、吐き気が少しずつおさまってきて、私はいつの間にか気を失っていた。
次に目覚めて、感じたのは経験したことのないぐらいの喉の乾きだった。
一呼吸すれば血が出るんじゃないかってほど、喉の奥がカサカサだった。もう唾さえ出ないほどの。
頭がすごく重いけれど、意識はハッキリしていて。
「起きたのか?」
聞いたことのある声に、びくっと体が動いた。
見渡す限り、見覚えのあるこの部屋は、最近何度も来ていた晃貴の部屋だった。どうやら今部屋の中へ入ってきたらしい晃貴は、上半身を起こしている私を見つめていて。
どうしてあたし、晃貴の部屋に······?
どうして?なんで?
頭がグルグルまわる。
「真希?」
「い、いやっ、やだっ······」
何故か分からないけど、近づいてきた晃貴が怖くて堪らなかった。
私はどうしてここにいるの?
必死に記憶を手繰り寄せるけど、うまく頭が動かなくて。
「真希、落ち着け」
「やっ···、こ、来ないで······」
私、確か、晃貴とはもう2度と関わらないって決めてたはずで。
決めた時、晃貴から「良の女」という噂が流れていると教えてくれて···。教えてくれて?
教えてくれて·········、私は·········。
「いやっ、いやっ、やめて···」
「真希っ」
「た、たすけて···っ」
清光高校の人に拉致られて、薬を飲まされて···。
その後、どうなった?
「真希落ち着け、俺が分かるか?」
「し、知らないっ」
「落ち着けって」
「いや···、やだぁ、たすけて···」
「真希」
「こ、き······、やだぁ」
ガクガクと震えてくる私の体を、近づいてきた晃貴の手が、ゆっくりと背中をさすってきて。
「大丈夫だから、落ち着け」
「······っ」
「もうアイツらはいないから」
アイツら···?
その言葉に体が震える。
「俺が分かるか?」
「······っ」
「真希」
ゆっくりと私の背中を撫でる晃貴。
恐る恐る晃貴の方を見つめれば、晃貴はまるで子供をあやす様に穏やかな瞳で私を見ていて。
「こ、き···」
ぽつりと呟けば、晃貴は一瞬だけ、ホットしたような顔をして。
「······無事で良かった」
小さな声を呟いた晃貴は、ゆっくりと横から私の頭を包み込むように抱きしめてきて。
「こうき······」
「なに?」
無事で良かった···とは。
「どして、あたし、ここに····」
薬を飲まされたことは覚えている。
それから…。
そのあとは?
全く思い出せなくて。
「···無理して思い出す必要ねぇよ」
そのまま抱きしめながら、晃貴は私の頭を撫でる。
「助けに来てくれたの······?」
晃貴の腕の中で呟く。
私が晃貴に電話をしたから。
「助けてやるって言っただろ」
晃貴のその言葉に、私は晃貴に身を預け、抱き締め返していた。
「大丈夫だ、なんもされてねぇよ」
「·········ほんと?」
「お前に嘘つかねぇって言っただろ?」
「······うん···っ」
「まあ、ギリギリだったけどな···。間に合って良かった」
私は晃貴に犯されていた。
何度も何度も痛い目に合わされたのに、どうしてこうも晃貴という人物に安心してしまっているのか。
「なんか持ってくるわ、喉乾いてるだろ?」
「······うん」
正直、すごく乾いている。
口の中がカラカラだけど。
どうしてか晃貴から離れたくなくて。
行かないで······。そう心の中に思ってしまう。
そんな感情が芽生えるなんてありえなくて、私は自分の考えを否定するように晃貴から体を起こした。
晃貴は私の頭を人撫ですると、立ち上がり部屋を出ていく。
気づけば私が今来ている服は、男用の半袖だった。下も、男用らしき半ズボンで。
誰かが着せてくれたのだろうか?まさか、晃貴?
え?というか、今って、今日って何日······?
部屋を見渡す限り、明るさ的に真昼のような景色で。
ということは私、晃貴の家に泊まったの···?
たらりと、冷や汗が流れたのが分かった。
無断外泊······。
どうしよう······。
帰らなくちゃ。
お姉ちゃんが心配してる······!!!!
「真希?」
部屋に戻ってきた晃貴は、ベットから起き上がっている私を見て驚いた声を出した。
「なにしてんだよ、まだ寝てろっ」
「あ、あたし、帰らなくちゃ······」
「バカ言うな、まだふらつくだろ!」
「お、お、お姉ちゃんが心配してるっ···」
「いいから寝てろっ。夜送ってやるから!」
晃貴は私の体を押し、無理やりベットへと座らせてきて。
「とりあえず飲め」と、私にスポーツドリンクのペットボトルを渡してきた。
「で、でも。私、無断外泊しちゃった···」
「高島に頼んだから大丈夫っつってんだろ」
「え?」
「マジで飲めよ、お前結構汗流してたからな」
「良くんって頼んだって何を!?」
っていうか、どうして良と晃貴が?
仲悪いのに。
「飲んだら言うから」
頭がこんがらがる私に、晃貴は優しく言う。
飲んだらって···。
私は晃貴の言うままにスポーツドリンクを口にした。甘くて冷たいそれは、凄く私の喉が潤って。
「お前を助けた直後、高島に連絡した」
「え···?」
飲んだことを確認した晃貴は、思い出すようにそれを口にして。
「向こうも必死にお前のこと探し回ってたみたいだったからな。真希は無事だっつー連絡したんだよ」
「······そうなの···?」
「真希、俺のこと言ってたんだな」
「え?」
俺のこと?
「高島に言ったんだろ?脅されてたって」
「···うん」
良が晃貴に言ったのだろうか?
良に隠し事をしたくなかった。
その直後に、拉致られたけど。
「だから“てめぇなんか信用できるか”って電話越しで言われた。すっげぇキレてたな」
「······」
「だから、疑うなら俺んち来いって言った」
「この家?」
「そう、高島だけな」
どうして良だけ?
私の疑問に「沢山来られてもウゼェだけだからな」と、爽やかな表情をしながら笑って。
「高島も俺が住所を教えたから、まあ、信じた訳じゃなかったかもしんねぇけど、嘘じゃないって分かったらしくて家に来た」
「······うん」
「高島がお前をみた瞬間、詳しく教えろって言ってきた」
「詳しくって?」
「そのまんま。真希から電話が来たから助けたって言った」
「······」
「んでも、高島からすれば訳わかんねぇわな」
「え?」
「犯してた奴を頼るって、意味分かんねぇだろ」
私が晃貴を頼った···。
確かに言われてみれば良くわからない。
自分自身のことなのに。
私はどうして晃貴を?
「何かあったら連絡しろって言ってあったって言ったら、高島はワケわかんねぇ顔してたけど」
「······」
「俺がお前らに頼りたくなかったんじゃねぇの?って言ったら」
「······」
「納得した顔んなった」
「え······」
私が良を頼りたくない?
納得って······。
「俺が家に帰すかって聞いたら」
「······」
「このままの真希を帰すわけには行かねぇってよ。どうにかするから真希を頼むって」
「良くんがそう言ったの?」
「そうだな」
「······このままの私ってどういう意味?」
「薬抜けきって無かったから、お前、1晩意識飛んでたんだぞ?」
1晩···。
記憶がない。覚えてない。
「山本たちにも、言うなって高島が言ってた」
「聖くんに?」
良が晃貴に言ったの?
聖くんにここへいることを言うなって?
「俺が聖たちを誤魔化すから、ここにいることは誰にも言うなって。泊まんのも何とかするって」
「······」
「だから、お前は気にしなくていい」
「······」
「分かったらもうちょい休んでろ、まだだりぃだろ?」
私はお姉ちゃんにバレる事が1番嫌だった。
聖くんと仲がいい良が、聖くんに内緒にしてと言っていたなんて···。
きっとそれは私のためだ······。
私が良にお姉ちゃんとの関係を言ったから。
迷惑をかけたくないってことも···。
良が聖くんに内緒にしてまで、私のことを思って···。
どうやって誤魔化しているんだろうか。
「晃貴···」
「なに?」
「顔だけでも洗いに行っていい?」
「いいけど」
泉にキスをされ、泉の男のモノを口に含んだせいか、思い出すだけでも凄く口の中が気持ち悪くなっていく。
それ以降のことは覚えてないけれど。
「なら、風呂入るか?」
「風呂?」
「湯入れてくるから、待ってろ」
まさかお風呂に入ってもいいとは思わず、驚いた顔をする私に、晃貴は言う。
本当にお湯を入れてくれた晃貴は、私を浴室まで案内してくれた。晃貴の住むマンションで、晃貴の部屋以外の部屋に入るのは初めてだった。
もう関わらないと決めていたハズの晃貴が、「気分悪くなったら呼べよ?」なんて、私を心配する台詞を言ってくる。
ホテルや旅館、銭湯以外で、自分の家以外の風呂へ入るのは初めてだった。
私はそこで泉という気持ち悪い男を思い出し、何度も何度も洗った。
浴室を出れば晃貴が用意してくれたらしいTシャツと短パンが置いてあった。それから新しい下着も。
晃貴が買ってきてくれたのだろうか···。
それを着用し、部屋に戻れば晃貴がソファに座っていた。
「髪、乾かさなかったのか?」
髪···?
ああ、すっかり忘れてた···。
「···うん」
「乾かせよ。風邪ひくだろ?」
「···うん」
ボーッとする私に、晃貴は難しい顔をして、「待ってろ」と部屋を出ていった。
部屋に戻ってきた晃貴の手にはドライヤーがあり、「こっち来い」と、私をソファに誘導した。
どうやら私の髪を乾かしてくれるらしく。
後ろからドライヤー特有の風が聞こえた。
静かなマンションで、ドライヤーの音だけが聞こえる。
「···ねぇ、晃貴」
「あ?なに?なんか言った?」
私の声が小さいせいで聞こえにくかったのか、晃貴はカチッとドライヤーの風を小さくして。
「私、ここに泊まったんだよね」
「ああ」
「晃貴の家族に迷惑かかってない?お風呂も勝手に使っちゃって···」
晃貴の手が、私の髪を通る。
「気にしなくていい」
「···でも」
「あいつら、もう帰ってきてねぇし」
「え?」
帰ってきてない?
仕事?
単身赴任か何かだろうか。
「うち、離婚してるし。兄貴ももう3年ぐらい帰ってきてねぇよ」
「···離婚?」
「そう、俺の顔が原因の離婚」
え?
「笑えるだろ?母親も帰ってこねぇし、ほとんど俺の一人暮らし」
笑えるだろ?って···。
晃貴の顔が原因で離婚···?
「どういうこと···?」
意味が全く分からない。
離婚というものが珍しくないっていうのは知ってる。だとしても何故晃貴の顔が原因で?
「俺の顔が、母親の元彼にそっくりらしい」
「え···?」
「俺、浮気相手の子供らしいよ」
子供らしいって·········。
「離婚した直後、母親は「お前の顔のせいでバレた!」って俺のこと殴んの」
「······」
「純粋だった俺はマジで自分が悪いと思ってて、いつも謝ってたよ。母親の機嫌取りに必死だった」
「······」
「んでもアイツは俺のことを捨てた」
「え?」
「その元カレのところに行ったんだよ、向こうも家庭があったみたいだけど、離婚したらしいな」
「······」
「一緒に連れて行ってって言った俺に、アイツ、なんて言ったと思う?」
「······晃貴······」
「死ねばいいのにってさ」
「············」
「俺、あいつらの子供なのにな」
「······」
「性格が離婚した親父に似てるから捨てたらしい」
「······」
「な?笑えるだろ?」
全然笑えないよ······。
ひどい、ひどすぎる。
ふと、前に晃貴が言っていたことを思い出した。
外見と中身は違う。
顔はかっこいいのに、中身は悪魔だといった私に怒った晃貴を。
「純粋だった俺は、そん時にどっかの頭のネジが飛んだだろうな」
「······」
「信用できる人間と、そうじゃない人間を区別するようになったんだよ」
聖くん側の私を、信用してないと言ったことのある晃貴。そう言えば女の人を信用しないと言っていたこともあったような気がする。
「なあ、真希ちゃん」
「······?」
カチッと、ドライヤーの音が消えた。
「······ごめんな」
「え?」
背後からまわる晃貴の腕。
謝罪の言葉を口にした晃貴は、私を抱きしめてきて。
「怖かっただろ」
「···晃貴······」
「何された?」
「······っ」
きっと、晃貴は泉のことを言っているのだろう。
「俺が行った時にはもう、お前、おかしくなってたから」
薬を飲まされて······。
「分からない…あんまり、覚えてない…」
「そうか…」
「·········」
覚えてないのに、泉にされた事を思い出せば、体が震えてくる。
後ろにいる人も同じようなことをしてきたのに。
ギュッと、抱きしめる力を強めた晃貴は、
「もっと潰せばよかった······」と、小さい声で呟いた。
潰せば良かった?
なにを?
「マジで許さねぇ、あの野郎」
背後で聞こえる晃貴の低い声。
「晃貴も同じことしたのに···」
「そうだな」
そうだなって······。
同じことをした人を、許さないってどうなんだろうと思う。
「あの人、晃貴と違う······」
「違う?」
「凄く怖かった······」
「······」
「ずっと気持ち悪かった······」
「······真希···」
「···晃貴と、全然違った······」
「···うん······」
「汚れたのかな···私」
「汚れてねぇよ。大丈夫だ。綺麗なまんまだから」
「でも······」
「もうあったことは忘れろ。自分を汚いって思うな」
私を犯した男は、どうして私に慰めの言葉を言ってくるのだろう。
「晃貴···」
「うん?」
「助けてくれてありがとう·········」
「ああ」
しばらくの間私を抱きしめていた晃貴は、「今日で最後」と小さく呟き。
「もうこっち側に来るな」
こっち側···。不良の世界。
晃貴の手によって少し横に向かせた私の顔に近づき、
「真希···」
そう私の名前を呼んだあと、
「─────」
晃貴は私の唇に、ふれるぐらいのキスをおとし
晃貴の言葉に戸惑っている私を強く抱きしめ、
「嫌な思いさせて悪かった」
と、晃貴はずっと私を抱きしめていた。
────好きになってごめん
そう言った初めて聞く晃貴の辛そうな声に、私は涙が出そうになっていた。
「真希······」
もう、晃貴の声を聞くことも無いのだろう。
どうして私ばかりって、ずっと思ってた。
お姉ちゃんが聖くんと付き合ってから私の周りはおかしくなった。
康二に拉致られ、晃貴に犯されて。
脅していた私を晃貴は解放してくれて、そして良の彼女と噂が流れていた私を、良へ仕返しをしたいがために泉が私を拉致した。
晃貴は私を好きだと言った。
それは嘘?本当?
そんな事を思うこと無く、私はそれを信じた。
私に嘘をつかないと言った晃貴が、本当に嘘をつかないと思ったから。
「おかえり、真希。勉強会どうだった?」
家に帰れば、ニコニコと笑っているお姉ちゃんがいた。
好きだから、私を解放してくれたのだろうか。
泉から助けてくれたのだろうか。
「こっち側に来るな」と言った晃貴は、最後の最後の別れ際に、破れていない高校の制服を渡してくれた。ブラウスは泉に破かれてしまったから。
「うん···、すごく疲れちゃった」
「お風呂入る?」
「ううん、ちょっと部屋で休んでくるね」
誰がお姉ちゃんに私が勉強会で泊まるって言ったんだろう。良?聖くん?
部屋に戻り、私はベットにダイブした。
晃貴に貰った制服からは、晃貴の部屋の匂いがして、泣きそうになった。
もう会うことはない晃貴。
泉が襲ってくることはないから心配するなと晃貴は言っていた。どうして襲ってこないかは聞いてないけれど、晃貴が言うなら心配ないと思う。
泉に対してはもう心配ない。
そして晃貴ともう関わらない。
ということは、康二に拉致される前の私に戻るということ。晃貴と出会う前の私に。
普通の生活が戻ってきたんだ。
嬉しいことなのに、どうして私は·········。
複雑な感情が芽生えている時、部屋の中にブー···ブー···と、スマホのマナー音が響いた。
正直出たくなかった。
今は誰とも話したくなくて。
だけど画面には“高島良”という名前が表示していて、目を閉じて深呼吸したあと、通話のボタンを押した。
『俺だけど··· 』
もともと低い声の良だけど、電話越しだからか余計に低く聞こえて。
「うん」
『今さっきアイツから「送った」って連絡が来た』
「うん」
アイツというのは、晃貴の事だとすぐに分かった。
『···悪かった、守れなくて』
私が拉致された時のこと······
「大丈夫だよ。何も無かったから···」
何も無かったと、晃貴が言っていたから。
私はそれを信じているから。
それから数秒ほど、良から声が聞こえなくて。
『真希··· 』
と、小さな声が聞こえた。
「···ん?」
『···いや。なんでもない···』
「うん」
『つーか、言い訳上手くいってた?』
「うん。私、勉強会に行ってたことになってた。良くんがしてくれたんだね」
『······』
「聖くんにはなんて言ったの?」
『聖には俺の知り合いが助けたって言った。薬効いてるから1晩家に帰せねぇけどもう心配すんなって』
「そっか···、聖くんがお姉ちゃんに嘘をついてくれたの?」
『俺がそう言った。聖にも絶対唯に言うなって言った』
「···うん」
『唯にバレたく無かったんだろ?』
「······ん」
私とお姉ちゃんは血が繋がってないから···。
『俺がアイツんとこ行った時、真希、気ぃ失ってたけど』
晃貴が良を呼び出したと言っていた。
きっとその時のことだろう。
『お前、ずっと唯のこと呼んでた』
「え······?」
『ずっと謝ってたぞ』
「私が?」
記憶が無い間?
私がお姉ちゃんの名前を呼んで謝っていた?
晃貴はそんなことを言ってなかった···。
『血繋がってないのは知ってるけど、お前···他になんかあるのか?』
「······」
『穂高のこと、俺に言わなかったのは唯にバレたくなかったからだろ?』
「······」
『そうなんだろ、真希』
私はぎゅっと、スマホを握りしめた。
私は絶対にお姉ちゃんに迷惑をかけたくなかった。
私が何かをして、お姉ちゃんに「真希なんて要らない」って言われないかずっとずっと思ってた。
「そうだよ···。お姉ちゃんだけにはバレたくなかった。私はどうなってもいいから···」
『理由は?』
「······」
『言えよ』
「······」
『写真まで撮られて、やられて、今回もこんな事になってバレたくねぇ理由って何だよっ』
「······」
『聞いてんのかよ』
「···あたし······」
『なんだよ』
きっと良が初めてだと思う。
こういうことを言うのは。
友達も知らないこと。
「市川の家に拾われたの···」
『拾われた?』
「私、もともとは施設にいたの。小さい頃から」
『······』
「本当の両親も覚えてない。死んだのかも、生きてるのかも分からない。親戚の人もいなくて、真希っていう名前も施設の人がつけてくれたの。私、施設の前に捨てられてたらしいから。名前が分からなかったんだって」
良は黙って、私の話を聞いていた。
「小学校のころ、市川···、今の両親が施設に来たの。お母さんがお姉ちゃんを産んだ後、もう産めない体になったらしくて、跡取りをほしいために養子として男の子を探しに来たんだって。施設にいると、子供の間ではそういう話ってすぐ流れるの」
『···ああ』
「両親は何回か施設に来ていたみたい」
『うん 』
「何回目かに一緒に来ていたのが、お姉ちゃんだった」
『······ 』
「お姉ちゃん、一人でいる私に話しかけてくれたの。ずっとニコニコしてて···、すごくいい人だった」
口にするたび、思い出していく。
「お姉ちゃんが何回か来るうちに、仲良くなって。そしたらお姉ちゃんが私が妹だったらいいのにって言ってきたの。でも両親が探してるのは男の子だって知ってたから、無理なのは分かってた」
『······』
「でも、ある日、施設長に呼び出されて「市川の養子にならないか?」って言われたの。お姉ちゃんがどうしてもって両親に言ったんだって。私、すごく嬉しかった······。初めて人から必要とされたから」
『······うん』
「両親もお姉ちゃんの意見を尊重したみたい。家族が仲がいいのが1番だって···」
『······』
「市川の養子に入って、初めての家族っていう存在に戸惑ったけど、両親もお姉ちゃんも優しかったからすぐに馴染めたの。」
『···うん 』
「だけど暮らしていくうちに、お姉ちゃんがどれだけできた人間だっていうのが分かってきた···」
『······』
「運動ができて、頭も良くて、人柄も良くて、美人なお姉ちゃんと違って···、私は全部が中途半端だった」
『···真希···』
「1回捨てられてるから、私はまた捨てられないように、必死にお姉ちゃんに追いつくように努力したの。努力したら両親も褒めてくれて、お姉ちゃんもさすが私の妹って言ってくれた···」
『······』
「でも、中3の時、受験に失敗しちゃった」
『······』
「そこから両親の態度っていうのかな···、変わって···、夜中に両親が「やっぱり兄弟じゃない」っていう話をしてたの聞いちゃった」
『······』
「もともと両親は男の子が欲しかったし、お姉ちゃんがいなかったら私はここにいなかったから···」
『······』
「だからもし、お姉ちゃんに嫌われでもしたら、あたし·········」
『真希』
「迷惑とか、心配かけちゃって···、いらないって言われたら···」
『分かったから、それ以上言わなくていい 』
「もう捨てられたくないの···」
『真希』
「お姉ちゃんがいるからこの家にいれるの···、受験に落ちた私は両親に見放されてるから······」
『真希···もういい。泣くな』
泣くな?
そう言われて頬に手を当てれば、冷たい雫が頬を伝っていた。
『唯がお前を嫌うわけねぇ』
良······。
『全員がお前を嫌っても、唯だけはお前の事を嫌わねぇよ』
「······良く···ん」
『自慢の妹なんだろ?堂々としてろ』
堂々って······。
『つーか、俺に喧嘩売ってきた奴が、そんな心配してんじゃねぇよ』
喧嘩って···
私が良に?
どうやら良は私を元気づけようとしているらしく。
「良くんていい人だね」
そう言った私に、良が電話越しで笑ったような気がした。
『そういうの、お前と唯ぐらいだよ』
良に言ったおかげか、少しだけ気分が楽になった気がした。
私とお姉ちゃんぐらい。
良の言い方が私とお姉ちゃんは似ていると言っているような気がして。
『真希』
「なに?」
『また何かあったらいつでも電話してこい』
「え?」
『俺もう、お前の護衛じゃなくなったから』
護衛じゃなくなった?
どうして?
良の彼女と思われて、襲われたから?
『昴分かるだろ?アイツになったから』
ということはつまり、もう良に会うことは無くなるかもしれないってこと?
「良くん···」
せっかく良と仲良くなれたのに。
『悪かったな』
「良くん、私もう大丈夫だよ。護衛なんて···」
いらないはず。
だってもう、晃貴と関わらないし。
泉だって···
『またそれかよ』
良が呆れたように笑う。
「だって晃貴が···」
『あ?』
晃貴の名前を出した途端、少しだけ声が低くなった良。
『穂高が何だって?』
「晃貴とはもう関わらないって。今日で最後って言われた···。こっち側に来るなって」
私は息を吸った後、言った。
『穂高がそう言ったのか?』
「そうだよ。泉って人も···、もう心配しなくていいって晃貴が言ってたから」
『······』
「だから本当にもう大丈夫なの、明日から···普通の生活に戻るから」
『そうか』
「だから、本当に護衛はもういいの」
『それは聖が決めることだから何とも言えねぇよ』
「······」
『まあ、もう穂高と関わるな、アイツは俺より敵が多いからな···』
良よりも?
良よりも敵が多いの?
晃貴が?
···だから関わらないって言ったの?
好きな私を、昨日みたいに危険な目に合わせないように。私の考えすぎなのだろうか···
良はそれから何回か『悪かった』と言ってきた。
電話を切り終え、私は今度こそベットへ顔を埋めた。
気持ち悪い感覚が残る体…。
薬を飲まされた…。
晃貴はああ言ってくれたけど、私は本当に綺麗なままなのだろうか。
────その日の夜は、眠りにつく事ができなかった。