まき
八つ当たり
ヒリヒリとした痛みがない唇。
行為をした後、痛くないのは初めてのことだった。
電車に乗り、家へと向かいながら今日の事をずっと考えていた。



なぜ晃貴が聖くんをよく思ってないか教えてくれた徹。

お姉ちゃんとは違うと言ってくれた康二。

そして、いつもと違う行為をした晃貴。



そっと、自分と手を唇にあてる。
キスをしすぎた唇は、少しだけ腫れていて。



────他の男と仲良くすんな
────お前なら、うるさくてもいい


そう言った晃貴は、どういう気持ちであんな事を言ったんだろう。



誰もいないはずの家。
ガレージに両親の車もない。
お姉ちゃんも今は塾のはず。

だから家の鍵を取り出し、何も考えずに鍵を差し口に入れ回す。

「え···」

だけど、ガチャっと鍵が外れた音がしない。
鍵がかかっていない。
あれ?もしかして、掛け忘れた?
ううん、私、家を出る時ちゃんと掛かっているか確認したし···。


まさか


扉を開けて、玄関の靴を見た。


そこにあったのは、お姉ちゃんの靴。
その横には、男の人の靴であろう大きな靴が揃えてあった。


お姉ちゃんが帰ってきてる。
どうして?
塾のはずじゃ···。

私がいつも晃貴のところへ行く時は、必ずっていうほど家に誰もいない。両親も七時を過ぎてから帰ってくるし、お姉ちゃんも塾で遅いし、その前に私が家に帰ってきている。私が家を出ていることを知られていないと思っていたのに。


私が家にいないこと、バレてるに決まってる。

玄関の靴を見れば、一目でわかる。


どう言い訳しよう。
護衛という良に黙って家を出たんだから。

晃貴は私が晃貴に無理矢理抱かれていることに気づいた時の聖くんの顔が見たいと言っていた。
だけど私は見るわけにはいかない。
私が男に犯されていると知ったお姉ちゃんが、どうなるか···。




「···真希?帰ってきたの?」


リビングから出てきたお姉ちゃんと聖くんが、姿を現した。


「うん、ただいま。聖くんこんにちは」

私は、いつも通りと、2人に笑いかけた。
そしてそのまま階段を登ろうと、足を進める。


「真希ちゃん」

だけど、その足を止めた聖くん。


「どこ行ってたの?」

どこ?
どこって···、倉庫と、晃貴の家だけど···。


「ど、どうして?」

「真希ちゃん、あんまり1人で出歩かないでほしい」

「······出歩かないでほしいって···」

「もし出かけるなら良に言って」

良?

そんなの、言うわけにいかない。

良に言ったら、すぐにバレちゃう。
バレないように、学校帰り、家に帰ってから、良がいなくなった隙に、晃貴の元へと向かうのに。



「あ、あの、聖くん」

「ん?」

「私が家を出るたびに、良くんが傍にいなくちゃダメはなの?」

「ずっとではないけど、しばらくはそうしてほしい」

「······」

「嫌かもしれないけど。真希ちゃんの為だから」


私の為?
私、頼んでないのに?



「あの、それは難しいっていうか···」

「難しい?」


私が家を出るたびに、良がいては晃貴の元へいけない。

だけど、また、同じように聖くんにバレさえすれば···。


「私、彼氏がいて···、このまえ良くんと一緒にいる所を見られて···。喧嘩になっちゃって。だからその、良くんとずっとはいれないというか···」

口から出た出任せだった。
どうしてこうも嘘をスラスラと言えるんだろう。

彼氏なんて、いないのに。


聖くんからの返事を待っている時、「え!?」と大きな声をあげたのはお姉ちゃんだった。


「真希っ、彼氏いたの?もう、どうして教えてくれなかったの?」



驚いた顔をするお姉ちゃんは、すぐさまいつも通りの笑顔になった。

私が言った嘘をこうも簡単に信じてしまったお姉ちゃんに申し訳なくて、どうして「彼氏がいる」なんて嘘をついてしまったんだろうと罪悪感を覚えた。


「どんな人なの?」

どんな人?
どんな人と言われても···、いない存在なのに。


今更いないなんて、言えるはずもなく。
すぐに頭に思い浮かんだのは、さっきまで一緒にいた彼だった。


「爽やかな···感じの人だよ。よく笑う人」

「そうなんだぁ、よかったね、真希」

「···うん」


私はお姉ちゃんに向かって笑いかけた。
嘘を積み重ねていく私は、お姉ちゃんからしてどう写ってるんだろう。よく出来た妹って思ってる?


「ごめん真希ちゃん···、そうとは知らずに」

困った顔をしながら言う聖くん。


「いえ···」

「事情は分かった。でもやっぱり危ないし、もし家を出る時は良に言ってくれないかな」

「でも」

「うん?」

「良くん、私といると凄く嫌な顔するから。あんまり会いたくないっていうか···。彼氏の事もあるから余計に···」


そう言う私に、聖くんは「ああ」と言い少しだけ納得したような顔をした。


「もともとああいう奴だから、気にしなくていい。女が嫌いなんだよ」


女が嫌い?
良くんが?


「あいつ、女は嫌いだけど、真希ちゃんの護衛を誰にするかって話になった時、「俺がする」って言ったの良自身だし」


え?
信じられない言葉を聖くんが口にした。
良くんが私の護衛をするって言ったの?
聖くんが良くんに頼んだわけじゃなくて?


「ちゃんと会話をすれば分かってくれる奴だから。口悪ぃけどな」

「······」

「なんなら、彼氏のこと、誤解だって良から彼氏に言ってもらうし」

「う、ううん、大丈夫だからっ」


元々いない存在なのに。
誤解をとくにも何も···。

すぐにバレてしまう嘘。


「ごめんなさい、これから気をつけるね。良くんとも1回話してみる」

私はにこりと笑い、この話から逃れたくて何かを話そうとしてきた聖くんを無視して、階段に足をかけた。
そのまま階段を登りきり、自室へと籠る。



これ以上いると、嘘がバレそうだったから。



「なんなのよ、もう···」


ポツリと呟いた声は、きっと誰にも聞こえてないだろう。



本当に彼は私と同じ人間なのだろうか。
どれだけ頑張って練習したとしても、きっと良みたいに鋭く冷たい目付きにはなれないと思う。

もともとそんなふうな目付きだけれど、今日は見たことも無いぐらいの冷酷さを漂わせていた。


「···マジで殺すぞクソ女」


怒っているというか、キレている良が家の前のいつもの場所で低い声を出す。
私の予想通り、聖くんは良に言っていた。


「···ごめんなさい···」


黙っていた私が悪いのは分かるから、すんなりとでた謝罪。だけど良の鋭い瞳は変わらなくて。


「次はねぇからな」

「······」


悪いのは分かっているけど、「殺す」とか「クソ女」っていうのはどうかと思う。


その文句を言い返せるほど、私は良や晃貴みたいに強くないから。見るからに不機嫌オーラを出している良の後ろをついて行くことしかできない。


嫌なら護衛なんてしなければいいのに。

聖くんは言っていた。
良が自ら護衛をすると言い出したと。


そんなの、嘘にしか聞こえない。
嫌々歩いて目の前にいる良が、私のためにわざわざ···。



「り、良くん」

恐る恐る良に話しかければ、良は少しだけ体を後ろに向け私の方を見た。

「あ?」

さっきと変わらない声の低さ。


「私、ほんと護衛とかいらないから···」


良の目を見るのが怖くて、話しかけたのは私だっていうのに怖くて顔を下に向けた。アスファルトの地面と私の靴が視界の中に入ってくる。


「で?」

で?って···


「今回みたいに良くんに迷惑かけちゃうし···、良くんだって毎朝大変でしょう?私、襲われるとかそんなの全然大丈夫だしっ」


その時、視界の中に良の靴が見えた。


「私、走るの早い方だしこれでも体力あるから、もし追いかけられても大じょ···キャッ···!!」


その時だった。
下を向いていたはずの顔は上へと向いた。すぐ近くには良くんの冷たい顔。


良の手により胸ぐらを掴まれて引き寄せられたことを理解するのに三秒もかからなくて。


「やってみろ」

「···え?」

「逃げれんだろ」


逃げれんだろ?
それって、この良の手を私の力で離せということ?

そんなの、簡単に出来るからっ!


そう思って良の手を掴み、自らの力で離そうとするけれど···。
良の手はピクリとも動かない。
どうして、良は片手で私は両手なのに!


必死に離そうとしている私をよそに、良はもう片方の手を私の手の甲の上に乗せた。逃げる暇さえ無かった。簡単に私の手を掴みあげた良は、ぎゅっとその手に力を込めた。


「···痛いっ···」

骨が折れるんじゃないかってほど、私の手を掴む良の顔つきは変わらない。


「女が男に適うわけねぇだろ」

良の言葉が耳に入ってくる。
ギシギシと良に掴まれた右手が痛い。


女が男に適うわけない···。
それは私が1番分かっている事だった。

あれだけ暴れ回っても、びくともしない晃貴に裸にされ写真を撮られた。···分かってる事なのに···!


「逃げても男の足にはすぐ追いつかれる」


私が初めて倉庫へ行った時、逃げ出そうとしてもすぐに捕まった。女よりも体力がある男···。


「分かったか、クソ女」

「······っ」


頭の中では分かってる。
分かってはいるけれど···。


良に胸ぐらと右手を離され、ホッとしている自分がいる。


「てめぇが巻き込まれたっつーから、やってんだよ。これ以上文句言うなら唯の妹であろうと殺すぞ」


唯の妹···。
私が巻き込まれたから···。
良が護衛を···。
そんなのっ···!!


「私···、言ってない···」

「あ?」

「巻き込まれたって私から言ってない!!勝手にアナタ達が決めたんじゃん!!」


さっきは良が怖くて文句を言えなかったのに、開き直りさえすればこうも簡単にスラスラ言える。


「なんだと?」

「そもそも、お姉ちゃんの妹じゃなかったらこんな事にはならなかったんでしょ!?」

「······」

「だったら···っ」

「おい」

「1番悪いのは誰か決まってるでしょ!!」

「それ以上言ったら殴るぞ」


康二に拉致られることも。
晃貴に写真を撮られて犯されたことも。
良が護衛をしているのも。
今こうして言い合ってるのも。

元はと言えば···っ。


「聖くんが、お姉ちゃんと付き合ったせいじゃない!」




ポロリと、右の瞳から今まで我慢していた涙が流れ落ちた。咄嗟に右目を手の甲で擦ったけれど、涙が出た瞬間は良に見られていたらしく···


ぐいっと、またしても胸ぐらを掴まれた私は、引き寄せてくる良に殴られる覚悟を持って、もう涙腺が止まった目で見つめた。


「なんで···」


────え?



「何でそれを、お前が言うんだよ」


そう言った良の目は···────。


気づいた時には、良の顔は見えなくなっていた。
見えなくなったというより、“何か”が私と良の間に入り込んできたせいで、良が視界から消えた。

胸ぐらを掴まれていた良の手もいつの間にか離されていて。


「なにしてんの、良」


その“何か”とは、人。
茶髪に、パーマがかけられているのが印象的で。


1度だけ見たことのあるこの人は、確か···


「離せよ、昴」


聖くんの友達の···。
拉致された帰りに駅で私を見つけた人、昴。


「聖に言われて来てみれば案の定かよ」

「離せ」


何故ここにいるか分からない昴は、どうやら良の腕···、手首部分を掴んでいるらしく。


「おい、良···」

「うっせぇな!! ほっとけ!!」


そう言うと良は、無理矢理 昴の手から離れ、大きな怒鳴り声をあげたあと背を向けて歩き出した。


どう見ても怒っている良に、昴はそれ以上何も言わなかった。どこへ行く?とか何も言わなくて。



「大丈夫?えっと、真希ちゃんだよね」

こちらに振り返ってきた昴と、目が合う。
この前に会った時と、何一つ変わらない昴。



「良になにかさた?すげえ掴まれてたけど」

掴まれていたとは、私の胸ぐらの事で。
この人は、良と私の会話を聞いてない?聞こえていなかったのだろうか。こうなった原因は聖くんのせいだと。



「いえ···、私が悪かったから···」


ポツリとつぶやくと、昴は驚いた表情をした。


「真希ちゃん、良に喧嘩売ったの?やるねぇ」


喧嘩を売った···、になるのか、アレは。


「あの、どうしてここに···」

話をそらすために、何故ここに昴がいるのかを聞く。どう見ても西高の制服を着ている昴。


私の家と駅の間で遭遇するなんて、ほとんど有り得ない確率なのに。

「ん?ああ、聖が良がキレるかもしんねぇから、様子見て欲しいって言ってきたんだよ。───まあ、来て正解だったみたいだな」


聖くんが?


「そ、ですか」

「今日は俺が送るよ」

昴は少しだけ、困ったように笑った。


「いえ···1人で···。昴···さんも、学校がありますし」

「大丈夫だよ、少しぐらい遅れても」


良がいない今、私を送るのは昴しかいない。

だけど···、今は1人になりたい。


さっきの良の顔が忘れられなくて···。


でも、せっかく来てくれた昴にこれ以上「いらない」というのも失礼な気がして···。


「すみません···、お願いします···」



そう言う事しか出来なかった。


「────それじゃ、ここで。気をつけてね」

え?と、思った。

昴がそういったのは、学校近くの校門よりも50メートル程離れた所だったから。
いつも校門まで送ってくれた良。



「校門は目立ちそうだから。大丈夫だよ、真希ちゃんが入るまで見とくし」


「···あ、はい、ありがとうございました」


その理由に納得し、ぺこりと頭を下げた私に「あのさ」と、昴が口を開いた。何だろうと顔を上げる。


「良も色々あるから、許してやって」

色々?
許す?


「···はい」

「そろそろ行きな、遅刻する」

「ありがとうございました」


ここ最近ずっと、私を迎えに来て、送り届けてくれた良。イヤイヤ感が凄く伝わってきていたけれど。


「あ、あの、昴さん!」


体はもう学校へと歩きだそうとしていたけれど、咄嗟に私は昴の方と振り返っていた。

驚いた様子で首を傾げた昴は「なに?」と言う。



「良くんの家って、どこですか?」

「家?家っつーか、寝泊まりしてんのはたまり場だな」

「たまり場ですか?」

「西高の近くだよ」

西高の近く···。
決して私の家から近いとはいえない距離···。


「そうですか、ありがとうございます。では···」



今日、こんなにも昴にはお礼を言っているのに、良には1回もお礼を言ったことがないことに今気づくなんて。

···私は馬鹿かもしれない。


朝、良は7時半には家の前にいる。
ということは30分以上には“たまり場”を出なくてはいけなくて。一体、起きるのは何時?

そしてまた送り届けた後、西高へと来た道を戻っていく。時間的に学校は遅刻するしかない。


放課後は?
私が終わった頃には校門で待っててくれてる。
良は、私のせいで学校を早退してるってこと···?


それなのに私はいらないとか言って···。


あんなのほとんど、良にぶつけたただの八つ当たりだ。

···謝らなくちゃ。



────何でそれを、お前が言うんだよ


それに、もしかしたら良は···。


「真希、おはよう」

外靴から上履きに履き変えようとした時、いつものように友達が話しかけてきた。


「おはよう」

にこりと、私も返事をする。


「今日はあの怖い人と一緒じゃ無かったね」


怖い人?ああ、良のことか···。


「あ、うん···」

「そう言えば今日体育、外だって先生が言ってたよ」

「そうなんだ」

「マラソンだったら嫌だなあ」

「······」


確かに良は怖い。
だけど、だけど、だけどっ···────。



「真希?どうしたの?」

キョトンと聞いてくる友達。
それもそうだ、上履きをなおして、外靴に足を入れているのだから。



「先生にっ、今日は休むって言ってて!」

「え?真希!?」


気がつけば、私は学校を飛び出していた。

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