成人の箱
成人の箱で
「…う。」
「あ、起きたー!」
目を開けると、二人の女の子が私の顔を心配そうに覗き込んでいた。驚いて起き上がると、少し頭がクラっとする。
「やっと起きたのね。体調は?」
眼鏡をかけた女の子が言った。
「あ、えっと。大丈夫…です。」
曖昧な返事をすると、彼女は「そう、じゃあ行きましょう。」とさっさと歩いて行ってしまう。慌てて立ち上がろうとしたとき、もう一方の子が眼鏡の子を止めに行くのが見えた。
「ちょっと待ってよ!まだあの子フラフラしてるよ。挨拶もしてないし、もう少し休んでから行こーよ!」
「大丈夫だって言ってたじゃない。挨拶なら、歩きながらで十分でしょ。」
眼鏡の子は「私は早く終わらせたいの。」と続けた。
ピ、ピリピリした雰囲気になってきた…
「あ、すいません、大丈夫なので…」
私が二人の方へ駆け寄って言うと、茶髪の子は心配そうに眉をひそめた。眼鏡の子はゆっくりその場に座り込むと「やっぱりもう少し休みましょう。」と言った。少しびっくりしたが、茶髪の子に促されて私もその場に座り込む。
「あ、ありがとう…ございます。」
「敬語じゃなくて良いわよ。同い年でしょ。」
そっか、皆同じ十八才なんだっけ。
私はもう一度お礼を言い直して二人の顔を見た。第一印象としては、二人は見た目も性格も正反対に見える。
「じゃあ、自己紹介しよーよ!」
茶髪の子が勢いよく手を挙げて喋り始めた。
「あたしリカ。えーっと十八才で…あ、カラオケが好きです!えー、あとなんかあるかな。」
リカちゃんに目配せをされ、咄嗟に「良いんじゃないかな。」と答えた。眼鏡の子は「十八才なのは皆同じでしょ。」と呟く。リカちゃんが少しムッとしたのは見なかったことにしたのか、眼鏡の子が口を開いた。
「私はチサよ。早くここを出て受験勉強に熱を入れたいわ。」
チサちゃんは以上。と言って手短に自己紹介を済ませた。さっきから早く終わらせたいと言っていたのはそういうことだったんだ。
「へぇー頭良さそうだよね!どこの大学目指すの?やっぱ有名なとこ?」
「さあ。別に、そうでもないわよ。」
リカちゃんの質問にチサちゃんはそう目を逸らしながら答える。教えてくれた大学の名前は、私の聞いたことのないところだった。
「えっ!私も第一そこだよ!」
突然リカちゃんが声をあげた。チサちゃんはちょっと嫌そうな顔をしている。それを見て、リカちゃんがまたムッとした顔をした。
…もしかして、相性が悪いってこういうことなのかな。今のところはチサちゃんの態度がちょっと悪い気がするけど、リカちゃんもめげない。
「ねえ、あたしら初対面だよね?なんでそんな嫌われてるの、あたし。」
「別に嫌いとは言ってないでしょ。ただ、反りが合わなそうだなってだけよ。」
あ、ちょっとじゃないかもしれない。
「あなたは?」
二人のやり取りをボーッと見ていると、チサちゃんが私に目を向けて言った。私の番だ。
「あ、レ、レノです。手芸が趣味です。えっと、よろしく…」
簡潔に自己紹介を終え、逸らしてしまっていた目を恐る恐る二人に向けた。特徴のあった自己紹介ではなかったが、リカちゃんは「すごーい」と目を輝かせてくれている。
「いいね!趣味!あたしはカラオケかなー」
リカちゃんはパッと前を向くと「チサはー?」と首をかしげた。チサちゃんは少し面倒くさそうな顔をすると、立ちあがり「後は歩きながらでも良いでしょ。」と言った。
しばらく、私たちは何もないところをただただ、歩いた。成人の箱は本当にただの箱のようで、真っ白い空間が広がっている。少し先に見える黒い点のような物を目指して進んで行く。
「ねぇ、何でチサはさっきの大学目指すの?」
「別に良いでしょ。関係ないわ。」
「あたしも目指してるからあれだけど、そんな偏差値高ーい。みたいなとこじゃないよね。」
リカちゃんの質問に、チサちゃんは明らかに嫌そうな顔をして黙ってしまった。私が勝手に感じているだけかもしれないけど、空気はどんどん悪くなっている気がする。
「あ、あのさ。リ、リカちゃんはどうしてその大学にしたの?」
とうとう耐えきれず、私は勇気を出してチサちゃんから話題を逸らした。
「あたし?あたしはねー、ママがそこの大学だったからだよー。」
「お母さんが?」
「うん!あたし、超ママっ子なんだよねー。」とリカちゃんは楽しそうに話し始める。
「でさ、ママに勧められて見てみたらめっちゃ良くて!まあ、あたしの頭だとちょっと頑張んなきゃってくらいなんだけど、あたし海外に興味あってさー。そこの大学、学部によってはそっち系も学べるらしくて…」
リカちゃんの話しは続いていく。一度スイッチが入ると止まらないタイプらしい。必死に相づちを打っていると、チサちゃんが口を開いた。
「ねえ、無駄話は勝手だけど、もう少し静かにできないの?」
さっきから不機嫌そうな顔をしていたが、一層眉間にシワを寄せて睨んでくるチサちゃんに思わず尻込みしてしまう。しかし、そんな私を余所に、今度はチサちゃんの言葉が癇に触れたのかリカちゃんが言い返す。
「何それ!そんな言い方無くない?普通に喋ってただけじゃん。」
「それがうるさいって言ってるの。あなたみたいな人の話を聞いてると疲れるのよ。」
「ひどっ!」
ど、どうしよう…
“相性が最悪と言えるメンバーを集めた。”成人の箱に入る前に言われたこと。単純に二人の性格が噛み合わないだけなのかと思ったけど、どうやらそうではないらしい。その言葉には、人とコミュニケーションを取るのが苦手な私も含まれている。二人のどちらが悪いかと聞かれても分からないし、無理に止めようとして怒りの矛先が自分に向くのも怖い。というか、今のところほぼ自己紹介と相づちしか打っていない私に、威勢良く喧嘩を止めるなんて出来るわけもなく、言い合いはヒートアップしていく。
「って言うか、同じ大学目指すんだから頭そんな変わんなくない?」
「そんなこと言ったらあなたのお母さんも同じになるわよ。」
「はぁー?マジで最悪!なんでママまでバカにするわけ?」
お母さんの話を出されていい加減頭にきたのか、リカちゃんは「もういい!」と言って向かっていた方向とは別の方へ歩き出してしまった。チサちゃんは一瞬なんとも言えない顔をして、そのまま黒い点の見える方へ行ってしまう。
こういう時、どちらに付いていけば良いだろう。普通なら、目標とは別の方向へ行ったリカちゃんを呼び戻すべきだろうか?だけど、私の足はチサちゃんの方へ伸びていった。振り向き様に見た彼女の表情が、気になったから。
「チ、チサちゃん!」
私が呼び掛けるとチサちゃんは驚いた表情で振り返った。
「…なんでこっちに来たのよ。」
「…あ、いや…えっと…」
声を掛けたはいいものの、何を言えば良いのか分からずに私はまた口ごもった。金魚のように口をパクパクさせていると、チサちゃんがまた、なんとも言えない顔をして言った。
「良いのよ、気なんか遣わなくて。どう見ても私が悪いんだから。」
チサちゃんは下を向いた。なんとも言えない顔は少し、悲しそうな顔に変わっていた。
「ごめんなさい、空気を悪くして。不安だったから、早くここから出たい気持ちが逸って…」
そっか。本当は不安で、だから小さなことでもあんな態度になっちゃってたんだ…
「頑張って、何とかいつも通りではいられてたんだけど…」
あ、いつも通りなんだ。
「神経質で、ピリピリするとすぐ人に当たっちゃうし、私、人付き合いって苦手なの。」
チサちゃんの話が終わって、シーンとした空気が流れた。私は、何も言えなかった。それぞれ性格も見た目も違うけど、感じてたことは同じだったんだ。それなら…
「…そ、それって、リカちゃんも同じだったんじゃないかな…?」
考えていたことが、ふと、口をついた。チサちゃんはちょっと驚いた表情をして、私の顔を見た。私自身、驚いた。こういう時、普段なら何も言わない私でも、全て忘れてしまうなら、ほんの少しだけ、勇気を出してみても良いかもと思った。
「ふ、不安の表れ方は人それぞれかも知れないけど、あの、私も怖かったし、リカちゃんもきっと、怖いのを我慢してずっと話し掛けてくれてたんじゃないかな。」
チサちゃんは何も言わずに、じっと私の言葉を待ってくれた。
「その、だ、だから…本当に思ってることをちゃんと伝えれば、リカちゃんも分かってくれるんじゃないかな…と、お、思うんだけど。」
勇気を出したとはいえ、慣れないことをするせいで段々声が小さくなっていく。
「…締まりがないわね。」
チサちゃんが言った。
…そ、その通り過ぎて何も言えない。
なんか急に恥ずかしくなってきた。そんな私を見て、チサちゃんは続ける。
「…けど、ありがとう。」
その言葉に顔を上げると、優しく微笑んだチサちゃんの顔があった。
「リ、リカちゃん。」
肩を叩くと彼女は「えっ」と声をあげて振り返った。リカちゃんは一瞬何かを言おうとしたが、私の後ろにいる人物に気付いて口ごもった。
さっきのやり取りの後、チサちゃんはリカちゃんに謝りに行きたいと言ってくれた。私に出来ることは何もないけど、少しでも力になれればとチサちゃんに着いてきたのだ。
少しの間が空いて、チサちゃんが口を開いた。
「リカ……さん。」
「さん?」
かなり改まった呼び方に、リカちゃんがすっとんきょうな顔をする。色んな気持ちが混在しているのか、緊張しているのか、チサちゃんの目は泳ぎに泳いでいる。が、やっとのことで決心が付いたのか、チサちゃんは軽く深呼吸。すると「ごめん!」と勢いよく謝る声が聞こえた。しかしその言葉の主はチサちゃんではなく、リカちゃんの方だった。
「なんであなたが謝るのよ。」
「え?だって、あたしがしつこく構い過ぎたせいで、嫌な思いさせちゃったし。」
申し訳なさそうにリカちゃんは続ける。
「あたし超怖くてさ、喋ってないと不安だったんだけど、よく考えたら二人とも同じなのにずっと横でペラペラ喋ってたから、鬱陶しかったかなとか思って…」
そう言いながら目に涙を溜めるリカちゃんを見て、チサちゃんはまた何とも言えない顔…いや、申し訳なさそうな顔なのかもしれない。
「わ、私が嫌な態度をとってただけなんだから、そんなに悲観的にならなくても…」
チサちゃんが言った。
「その、私も不安で。申し訳なかったと思ってるわ。ごめんなさい。」
チサちゃんは軽く頭を下げた。彼女の拙くも精一杯の謝罪に、リカちゃんは嬉しそうにパッと顔を上げる。
「ホント?ならあたし嫌われてない?」
「最初から嫌いじゃないって言ったでしょ。」
「でも、反りが合わないって言ってたのは?」
「それは…感じたことをすぐ口に出しちゃって、もう少し言い方があったとは思ってる。」
感じてはいたんだ…
リカちゃんは「えー。」と口を尖らせた。
「あたしそんな風に思わないけどなー」
「…初対面でこれはなかなかだと思うわ。」
「いや、逆に初対面で喧嘩するとかすごくない?絶対仲良くなれるよ!」
「記憶無くなっちゃうんでしょ。」
リカちゃんは「あ、そっか」と肩を落とした。
「そういえば、レノはどこの大学行くの?」
再び黒い点を目指す道中、突然の話題転換にチサちゃんは「急ね。」と苦笑いをした。
「あっ無理して言わなくても!ごめん!」
なかなか喋り出さない私にリカちゃんが慌てたように言った。私も慌てて首を振る。
「…あの、じ、実は…」
言いたくない訳じゃないと、私は口を開いた。
「…まだ決められてない?」
「う、うん。決められてないっていうか、決め手に欠けてて、決めかねてるっていうか…」
高三のこの時期、周りの友達は大体の進路を決め始め、将来に向けて準備をしているのだが、それに引き換え私は、まだこれといった進路を決められていない。
「将来やりたい事とかないの?」
「これといったものは…」
私の返答にチサちゃんは、今話してもしょうがない。と言うように「そう。」と話を切った。しばらく無言のまま歩いていると、沈黙に耐えきれないのか、リカちゃんが「やっぱ、もう少しさっきの話しない?」と提案した。
「どうせ忘れちゃうんでしょ。」
「いや、でも無言は嫌だよ!ここから出たら勉強しなきゃ、とか色々考えちゃうし!」
「受験生なんだから勉強すれば?だからあのくらいの大学しか…」
途中まで言ってから、チサちゃんはハッとした顔をして手で口をパチンと押さえた。
「まーた、そういう言い方する!じゃあ、チサはなんであの大学志望なの?」
さっきの言い方を申し訳なく思ったのか、チサちゃんは、今度は素直に答えた。
「あの学校、奨学金制度が充実してるから。」
「奨学金?」
「うち母子家庭なの。やりたい事がある程度出来て、奨学金の条件も満たせる成績だし。」
チサちゃんは「だからよ。」と少し恥ずかしそうに言った。
「え。うっそ、真面目…もしかして、頭がどうって、さっきあたし結構酷いこと言った?」
「あれは売り言葉に買い言葉でしょ。別に気にしてないわ。」
リカちゃんはぽかんと口を開けた。
「チサさ、嫌なこと言いそうになったら、さっきみたいに手で口押さえれば?」
「何、急に。いちいちそんなことしてたら変に思われるでしょ。」
「いや、強引だけど絶対その方が良いって。」
「ね?」とリカちゃんはこっちを振り返った。
「えっ。あ、えっと、うん…」
私はその一言しか答えられなかったけど、チサちゃんは少し考えて「分かったわ」と頷いた。
「あ、起きたー!」
目を開けると、二人の女の子が私の顔を心配そうに覗き込んでいた。驚いて起き上がると、少し頭がクラっとする。
「やっと起きたのね。体調は?」
眼鏡をかけた女の子が言った。
「あ、えっと。大丈夫…です。」
曖昧な返事をすると、彼女は「そう、じゃあ行きましょう。」とさっさと歩いて行ってしまう。慌てて立ち上がろうとしたとき、もう一方の子が眼鏡の子を止めに行くのが見えた。
「ちょっと待ってよ!まだあの子フラフラしてるよ。挨拶もしてないし、もう少し休んでから行こーよ!」
「大丈夫だって言ってたじゃない。挨拶なら、歩きながらで十分でしょ。」
眼鏡の子は「私は早く終わらせたいの。」と続けた。
ピ、ピリピリした雰囲気になってきた…
「あ、すいません、大丈夫なので…」
私が二人の方へ駆け寄って言うと、茶髪の子は心配そうに眉をひそめた。眼鏡の子はゆっくりその場に座り込むと「やっぱりもう少し休みましょう。」と言った。少しびっくりしたが、茶髪の子に促されて私もその場に座り込む。
「あ、ありがとう…ございます。」
「敬語じゃなくて良いわよ。同い年でしょ。」
そっか、皆同じ十八才なんだっけ。
私はもう一度お礼を言い直して二人の顔を見た。第一印象としては、二人は見た目も性格も正反対に見える。
「じゃあ、自己紹介しよーよ!」
茶髪の子が勢いよく手を挙げて喋り始めた。
「あたしリカ。えーっと十八才で…あ、カラオケが好きです!えー、あとなんかあるかな。」
リカちゃんに目配せをされ、咄嗟に「良いんじゃないかな。」と答えた。眼鏡の子は「十八才なのは皆同じでしょ。」と呟く。リカちゃんが少しムッとしたのは見なかったことにしたのか、眼鏡の子が口を開いた。
「私はチサよ。早くここを出て受験勉強に熱を入れたいわ。」
チサちゃんは以上。と言って手短に自己紹介を済ませた。さっきから早く終わらせたいと言っていたのはそういうことだったんだ。
「へぇー頭良さそうだよね!どこの大学目指すの?やっぱ有名なとこ?」
「さあ。別に、そうでもないわよ。」
リカちゃんの質問にチサちゃんはそう目を逸らしながら答える。教えてくれた大学の名前は、私の聞いたことのないところだった。
「えっ!私も第一そこだよ!」
突然リカちゃんが声をあげた。チサちゃんはちょっと嫌そうな顔をしている。それを見て、リカちゃんがまたムッとした顔をした。
…もしかして、相性が悪いってこういうことなのかな。今のところはチサちゃんの態度がちょっと悪い気がするけど、リカちゃんもめげない。
「ねえ、あたしら初対面だよね?なんでそんな嫌われてるの、あたし。」
「別に嫌いとは言ってないでしょ。ただ、反りが合わなそうだなってだけよ。」
あ、ちょっとじゃないかもしれない。
「あなたは?」
二人のやり取りをボーッと見ていると、チサちゃんが私に目を向けて言った。私の番だ。
「あ、レ、レノです。手芸が趣味です。えっと、よろしく…」
簡潔に自己紹介を終え、逸らしてしまっていた目を恐る恐る二人に向けた。特徴のあった自己紹介ではなかったが、リカちゃんは「すごーい」と目を輝かせてくれている。
「いいね!趣味!あたしはカラオケかなー」
リカちゃんはパッと前を向くと「チサはー?」と首をかしげた。チサちゃんは少し面倒くさそうな顔をすると、立ちあがり「後は歩きながらでも良いでしょ。」と言った。
しばらく、私たちは何もないところをただただ、歩いた。成人の箱は本当にただの箱のようで、真っ白い空間が広がっている。少し先に見える黒い点のような物を目指して進んで行く。
「ねぇ、何でチサはさっきの大学目指すの?」
「別に良いでしょ。関係ないわ。」
「あたしも目指してるからあれだけど、そんな偏差値高ーい。みたいなとこじゃないよね。」
リカちゃんの質問に、チサちゃんは明らかに嫌そうな顔をして黙ってしまった。私が勝手に感じているだけかもしれないけど、空気はどんどん悪くなっている気がする。
「あ、あのさ。リ、リカちゃんはどうしてその大学にしたの?」
とうとう耐えきれず、私は勇気を出してチサちゃんから話題を逸らした。
「あたし?あたしはねー、ママがそこの大学だったからだよー。」
「お母さんが?」
「うん!あたし、超ママっ子なんだよねー。」とリカちゃんは楽しそうに話し始める。
「でさ、ママに勧められて見てみたらめっちゃ良くて!まあ、あたしの頭だとちょっと頑張んなきゃってくらいなんだけど、あたし海外に興味あってさー。そこの大学、学部によってはそっち系も学べるらしくて…」
リカちゃんの話しは続いていく。一度スイッチが入ると止まらないタイプらしい。必死に相づちを打っていると、チサちゃんが口を開いた。
「ねえ、無駄話は勝手だけど、もう少し静かにできないの?」
さっきから不機嫌そうな顔をしていたが、一層眉間にシワを寄せて睨んでくるチサちゃんに思わず尻込みしてしまう。しかし、そんな私を余所に、今度はチサちゃんの言葉が癇に触れたのかリカちゃんが言い返す。
「何それ!そんな言い方無くない?普通に喋ってただけじゃん。」
「それがうるさいって言ってるの。あなたみたいな人の話を聞いてると疲れるのよ。」
「ひどっ!」
ど、どうしよう…
“相性が最悪と言えるメンバーを集めた。”成人の箱に入る前に言われたこと。単純に二人の性格が噛み合わないだけなのかと思ったけど、どうやらそうではないらしい。その言葉には、人とコミュニケーションを取るのが苦手な私も含まれている。二人のどちらが悪いかと聞かれても分からないし、無理に止めようとして怒りの矛先が自分に向くのも怖い。というか、今のところほぼ自己紹介と相づちしか打っていない私に、威勢良く喧嘩を止めるなんて出来るわけもなく、言い合いはヒートアップしていく。
「って言うか、同じ大学目指すんだから頭そんな変わんなくない?」
「そんなこと言ったらあなたのお母さんも同じになるわよ。」
「はぁー?マジで最悪!なんでママまでバカにするわけ?」
お母さんの話を出されていい加減頭にきたのか、リカちゃんは「もういい!」と言って向かっていた方向とは別の方へ歩き出してしまった。チサちゃんは一瞬なんとも言えない顔をして、そのまま黒い点の見える方へ行ってしまう。
こういう時、どちらに付いていけば良いだろう。普通なら、目標とは別の方向へ行ったリカちゃんを呼び戻すべきだろうか?だけど、私の足はチサちゃんの方へ伸びていった。振り向き様に見た彼女の表情が、気になったから。
「チ、チサちゃん!」
私が呼び掛けるとチサちゃんは驚いた表情で振り返った。
「…なんでこっちに来たのよ。」
「…あ、いや…えっと…」
声を掛けたはいいものの、何を言えば良いのか分からずに私はまた口ごもった。金魚のように口をパクパクさせていると、チサちゃんがまた、なんとも言えない顔をして言った。
「良いのよ、気なんか遣わなくて。どう見ても私が悪いんだから。」
チサちゃんは下を向いた。なんとも言えない顔は少し、悲しそうな顔に変わっていた。
「ごめんなさい、空気を悪くして。不安だったから、早くここから出たい気持ちが逸って…」
そっか。本当は不安で、だから小さなことでもあんな態度になっちゃってたんだ…
「頑張って、何とかいつも通りではいられてたんだけど…」
あ、いつも通りなんだ。
「神経質で、ピリピリするとすぐ人に当たっちゃうし、私、人付き合いって苦手なの。」
チサちゃんの話が終わって、シーンとした空気が流れた。私は、何も言えなかった。それぞれ性格も見た目も違うけど、感じてたことは同じだったんだ。それなら…
「…そ、それって、リカちゃんも同じだったんじゃないかな…?」
考えていたことが、ふと、口をついた。チサちゃんはちょっと驚いた表情をして、私の顔を見た。私自身、驚いた。こういう時、普段なら何も言わない私でも、全て忘れてしまうなら、ほんの少しだけ、勇気を出してみても良いかもと思った。
「ふ、不安の表れ方は人それぞれかも知れないけど、あの、私も怖かったし、リカちゃんもきっと、怖いのを我慢してずっと話し掛けてくれてたんじゃないかな。」
チサちゃんは何も言わずに、じっと私の言葉を待ってくれた。
「その、だ、だから…本当に思ってることをちゃんと伝えれば、リカちゃんも分かってくれるんじゃないかな…と、お、思うんだけど。」
勇気を出したとはいえ、慣れないことをするせいで段々声が小さくなっていく。
「…締まりがないわね。」
チサちゃんが言った。
…そ、その通り過ぎて何も言えない。
なんか急に恥ずかしくなってきた。そんな私を見て、チサちゃんは続ける。
「…けど、ありがとう。」
その言葉に顔を上げると、優しく微笑んだチサちゃんの顔があった。
「リ、リカちゃん。」
肩を叩くと彼女は「えっ」と声をあげて振り返った。リカちゃんは一瞬何かを言おうとしたが、私の後ろにいる人物に気付いて口ごもった。
さっきのやり取りの後、チサちゃんはリカちゃんに謝りに行きたいと言ってくれた。私に出来ることは何もないけど、少しでも力になれればとチサちゃんに着いてきたのだ。
少しの間が空いて、チサちゃんが口を開いた。
「リカ……さん。」
「さん?」
かなり改まった呼び方に、リカちゃんがすっとんきょうな顔をする。色んな気持ちが混在しているのか、緊張しているのか、チサちゃんの目は泳ぎに泳いでいる。が、やっとのことで決心が付いたのか、チサちゃんは軽く深呼吸。すると「ごめん!」と勢いよく謝る声が聞こえた。しかしその言葉の主はチサちゃんではなく、リカちゃんの方だった。
「なんであなたが謝るのよ。」
「え?だって、あたしがしつこく構い過ぎたせいで、嫌な思いさせちゃったし。」
申し訳なさそうにリカちゃんは続ける。
「あたし超怖くてさ、喋ってないと不安だったんだけど、よく考えたら二人とも同じなのにずっと横でペラペラ喋ってたから、鬱陶しかったかなとか思って…」
そう言いながら目に涙を溜めるリカちゃんを見て、チサちゃんはまた何とも言えない顔…いや、申し訳なさそうな顔なのかもしれない。
「わ、私が嫌な態度をとってただけなんだから、そんなに悲観的にならなくても…」
チサちゃんが言った。
「その、私も不安で。申し訳なかったと思ってるわ。ごめんなさい。」
チサちゃんは軽く頭を下げた。彼女の拙くも精一杯の謝罪に、リカちゃんは嬉しそうにパッと顔を上げる。
「ホント?ならあたし嫌われてない?」
「最初から嫌いじゃないって言ったでしょ。」
「でも、反りが合わないって言ってたのは?」
「それは…感じたことをすぐ口に出しちゃって、もう少し言い方があったとは思ってる。」
感じてはいたんだ…
リカちゃんは「えー。」と口を尖らせた。
「あたしそんな風に思わないけどなー」
「…初対面でこれはなかなかだと思うわ。」
「いや、逆に初対面で喧嘩するとかすごくない?絶対仲良くなれるよ!」
「記憶無くなっちゃうんでしょ。」
リカちゃんは「あ、そっか」と肩を落とした。
「そういえば、レノはどこの大学行くの?」
再び黒い点を目指す道中、突然の話題転換にチサちゃんは「急ね。」と苦笑いをした。
「あっ無理して言わなくても!ごめん!」
なかなか喋り出さない私にリカちゃんが慌てたように言った。私も慌てて首を振る。
「…あの、じ、実は…」
言いたくない訳じゃないと、私は口を開いた。
「…まだ決められてない?」
「う、うん。決められてないっていうか、決め手に欠けてて、決めかねてるっていうか…」
高三のこの時期、周りの友達は大体の進路を決め始め、将来に向けて準備をしているのだが、それに引き換え私は、まだこれといった進路を決められていない。
「将来やりたい事とかないの?」
「これといったものは…」
私の返答にチサちゃんは、今話してもしょうがない。と言うように「そう。」と話を切った。しばらく無言のまま歩いていると、沈黙に耐えきれないのか、リカちゃんが「やっぱ、もう少しさっきの話しない?」と提案した。
「どうせ忘れちゃうんでしょ。」
「いや、でも無言は嫌だよ!ここから出たら勉強しなきゃ、とか色々考えちゃうし!」
「受験生なんだから勉強すれば?だからあのくらいの大学しか…」
途中まで言ってから、チサちゃんはハッとした顔をして手で口をパチンと押さえた。
「まーた、そういう言い方する!じゃあ、チサはなんであの大学志望なの?」
さっきの言い方を申し訳なく思ったのか、チサちゃんは、今度は素直に答えた。
「あの学校、奨学金制度が充実してるから。」
「奨学金?」
「うち母子家庭なの。やりたい事がある程度出来て、奨学金の条件も満たせる成績だし。」
チサちゃんは「だからよ。」と少し恥ずかしそうに言った。
「え。うっそ、真面目…もしかして、頭がどうって、さっきあたし結構酷いこと言った?」
「あれは売り言葉に買い言葉でしょ。別に気にしてないわ。」
リカちゃんはぽかんと口を開けた。
「チサさ、嫌なこと言いそうになったら、さっきみたいに手で口押さえれば?」
「何、急に。いちいちそんなことしてたら変に思われるでしょ。」
「いや、強引だけど絶対その方が良いって。」
「ね?」とリカちゃんはこっちを振り返った。
「えっ。あ、えっと、うん…」
私はその一言しか答えられなかったけど、チサちゃんは少し考えて「分かったわ」と頷いた。