成人の箱
しばらく歩くと、先程まで黒い点だった物の正体が分かった。大きなテーブルだ。テーブルの周りには四つの椅子が並べられ、その内の一つの座面には茶封筒が置かれている。それを「なにこれ?」とリカちゃんが手に取った。
「ルール説明の時に言ってた手紙じゃない?」
チサちゃんの言葉にリカちゃんは「そんなこと言ってたような…」と曖昧な返事をする。そういえば、二人はちゃんと最後まで説明を聞けたのかな。そう思い二人を見るも顎に手を当てて唸るリカちゃんと、それに何も口を挟まないチサちゃんを見る限り、望みは薄そうだった。
「とりあえず、中身を見てみようよ。」
リカちゃんの言葉にチサちゃんが返事をすると、私も首を縦に振った。封筒を開けると一枚の白い紙が入っていた。チサちゃんの予想通り、指示の書かれた手紙のようだ。
〈テーブルの上の人形を完成させ、それを持って正解の道へ進め。〉
「テーブルの上の人形って、これだよね。」
そう言うリカちゃんの視線の先には、三つの手のひらサイズの人形が置かれている。と言っても、中に綿は入っておらず、動物の形をした布と裁縫のセットが並べられているだけ。
「で、正解の道って言うのは?」
「もしかして、あれじゃないわよね。」
チサちゃんが指差す方へ目をやると、ここより少し歩いた所で道が三本に別れていた。しかし、三本の道の間に足場はなく、下は暗くてここからじゃ底が見えない。
「嘘じゃん。正解の道へ進めってことは他は不正解ってこと?」
「三分の一だけど…」
落ちたらどうなるんだろう。そんな疑問は誰も口には出さなかった。
「…やるしかないみたいね。」
さっきまでとは比べ物にならないくらい不安だけど、それでもやらなくちゃ、ここからは出られない。前に進めないのだ。
「ねぇ、これ二人ともどれにする?三つとも違う動物だけど。」
椅子を引きながらリカちゃんが言う。テーブルの上の人形はそれぞれネコとウサギ、それとクマの形をしている。チサちゃんは椅子に座って「どれでもいいわよ。」と頬杖をついた。
「じゃあさ、皆でせーのでこの中で好きなやつ言おうよ!どう?」
「どうしてそう面倒になりそうなことを…」
チサちゃんはそこまで言ってからハッとして、左手で口を塞いだ。
「…被ったら面倒になるし自分に一番近いので良いんじゃないかしら…」
目を逸らしながら話すチサちゃんに何故か成長を感じて「おー」と声が漏れる。リカちゃんも同じだったようで、声がハモった。チサちゃんは何処か腑に落ちない表情をしたが、リカちゃんのにこやかな顔を見て心なしか安心しているように見えた。
「被らないかもしれないでしょ!とりあえず言ってみようよ!」とリカちゃんは半ば強引に言ってから「せーのっ」と息を吸い込んだ。
「ウサギ!」「ネコ。」「ク、クマ…」
揃わなかった言葉にハッとすると「おっ!」とリカちゃんの嬉しそうな声が聞こえた。
「気が合わなくて得することもあるのね。」
「いや、言い方っ!」
リカちゃんがつっこむと、チサちゃんは本気できょとんとした顔をした。
その後、私達は早速作業に取りかかる。私は布の中に綿を詰め、茶色い糸を選んで針に通した。
どんな縫い方でも良いのかな…?閉じるだけなら簡単だし、飾り糸を付けても良いかも。
そんなことを考えながら黙々と綿の入り口を塞いでいく。好きなことなだけあって二人よりも少し早く終わるかもしれない。そう思い二人を見ると、二人ともまだ糸を通すのに苦戦しているようだった。チサちゃんは何故か穴の細い針を使っているし、リカちゃんは糸を持つ指が糸の端から遠いせいで、ピンク色の糸は針の穴を器用に避けている。
これは、教えてあげた方が良いのかな。
けど、お節介かもしれないし、何よりまだ二人に話し掛ける勇気はない。そう考えながら手を進める。
でもチサちゃん、早くここを出たいって言ってたよね…
二人とも、今まで関わってこなかったような人とこの箱に入れられて、初対面なのに喧嘩して、仲直りして。疎外感こそ感じないけれど、なんだか二人だけが成長している気がする。
私は二人を一瞥してから、使い終わった針を針刺しへ戻した。
「チサちゃん…」
私が声を掛けると、チサちゃんの眉間に寄っていたシワはスッとなくなった。
「どうしたの?」
「あの、針…こっちの方がやり易いかも。」
彼女は「ありがとう。」と差し出した針刺しから針を受け取った。
「レノは進んでる?」
「あ、うん。私はもう終わったから…」
「「えっ!」」
二人は同時に声をあげた。
「あたしまだ糸も通せてないんだけど!」
「リ、リカちゃんはもう少し糸の端っこを持てば良いと思う、よ…」
そう言うと「本当?」とすぐに実践してくれた。リカちゃんが無事に糸を通した頃「レノ」とチサちゃんに名前を呼ばれて振り返る。
「私、こういう細かい作業が苦手で、教えてもらいながらやりたいのだけど、良いかしら。」
恥ずかしそうに言うチサちゃんに私は「もちろん。」と頷いた。
「で、出来たー!」
しばらくして、リカちゃんの元気な声が辺りに響いた。ホッとしていると、同じく作り終わったチサちゃんが「ありがとう。」と微笑む。
「あんまり人に教えたこと無かったから不安だったけど…良かった。」
「そう?レノ教えるの上手だったよ!」
リカちゃんに褒められて照れていると、チサちゃんがこっちを見ていることに気付いた。
「レノは、自分にあんまり自信が無いのね。」
チサちゃんは驚いたような顔をしてそう言った。
「初めはただ人見知りなのかと思ってたけど、今はわざと一歩後ろにいるように見えるわ。」
チサちゃんは続ける。
「性格を根本から変えるのは無理だけど、もう少し自分に自信を持って行動してもバチは当たらないわよ。」
チサちゃんの言葉にリカちゃんが肯定した。
「そうだよ!レノが居なかったら、きっとあたし達仲直りとかも出来てなかったし!」
「レノには私達が出来ないことが出来るわ。慢心は失敗を生むけど、自信は成功に繋がるの。どうせ記憶なんか無くなるんだから、ここにいる間くらい何も考えずに動いてみれば?」
リカちゃんはまたも首を大きく縦に振った。私は何も言えなかったけど、嬉しい気持ちだけでも伝わるようにと「うん。」と呟いた。
「本当にこの先行かなきゃダメかな…」
「当たり前でしょ。そう指示されたんだから。」
人形を作り終わって少し休憩してから、私達は三手に別れた道の前に立っていた。指示通りならこのどれかが正解の道になるけど、いくら探してもヒントになりそうな物は何もない。
「と、とりあえず進んでみる?」
「え、そんなので失敗したらどうするのよ。」
そうリカちゃんに反論するチサちゃんだけど、その言葉にあまり力はこもっていない。このままだと、ただの運試しになってしまう。
「でも、あたしママに危ないとかは聞いたことないって言われたし、思いきりも大事だよ。」
私も、お母さんに同じようなことを言われた。チサちゃんも同じなのか、それ以上の反論は思い付かないようだった。
「じゃあ、せーので指を指しましょう。」
チサちゃんが言った。
「え、あたしも今言おうと思ってた!…って、何でちょっと嫌そうなの?」
珍しく、と言ってもまだ会って数時間の仲だけど。それでも二人の意見がぴったり一致したのは初めて見た。
「気のせいよ。レノは?それでいい?」
「うん。大丈夫。」
頬を膨らませるリカちゃんを横目に、チサちゃんは一歩前に出た。
「せーの!」
掛け声と同時に、私は人差し指をピンと目の前の道に向かって伸ばした。真ん中の道。それが私達三人が、揃って選んだ道だった。
「おー。やった!揃った!」
「これで、ハズレても恨みっこなしね。」
チサちゃんは安堵したようにため息を吐いた。
ハズレても…ってなんか嫌だな。
私達はさっき作った人形を握りしめながら少しずつ前に進んでいく。道幅はそれほど狭くはなく、三人横並びで歩くことが出来た。
「この道、底も見えないけど、霧のせいでゴールも見えないね。どこまで続くんだろう。」
沈黙が苦手なのか、リカちゃんは、時々返答するべきか悩むような独り言を呟いている。
「も、もうすぐじゃないかな。」
「そうね、一応箱だしそこまで広くは…」
しばらく歩いて、少しずつ増えてきた会話を突然、大きな音が遮った。ガラガラと、何かが崩れるような音の後だった。例えるなら、ジェットコースターが急降下した時の感覚。二人に伸ばした手は空を切る。縫われたばかりのクマの目が、哀しそうに私を見ていた。
「ルール説明の時に言ってた手紙じゃない?」
チサちゃんの言葉にリカちゃんは「そんなこと言ってたような…」と曖昧な返事をする。そういえば、二人はちゃんと最後まで説明を聞けたのかな。そう思い二人を見るも顎に手を当てて唸るリカちゃんと、それに何も口を挟まないチサちゃんを見る限り、望みは薄そうだった。
「とりあえず、中身を見てみようよ。」
リカちゃんの言葉にチサちゃんが返事をすると、私も首を縦に振った。封筒を開けると一枚の白い紙が入っていた。チサちゃんの予想通り、指示の書かれた手紙のようだ。
〈テーブルの上の人形を完成させ、それを持って正解の道へ進め。〉
「テーブルの上の人形って、これだよね。」
そう言うリカちゃんの視線の先には、三つの手のひらサイズの人形が置かれている。と言っても、中に綿は入っておらず、動物の形をした布と裁縫のセットが並べられているだけ。
「で、正解の道って言うのは?」
「もしかして、あれじゃないわよね。」
チサちゃんが指差す方へ目をやると、ここより少し歩いた所で道が三本に別れていた。しかし、三本の道の間に足場はなく、下は暗くてここからじゃ底が見えない。
「嘘じゃん。正解の道へ進めってことは他は不正解ってこと?」
「三分の一だけど…」
落ちたらどうなるんだろう。そんな疑問は誰も口には出さなかった。
「…やるしかないみたいね。」
さっきまでとは比べ物にならないくらい不安だけど、それでもやらなくちゃ、ここからは出られない。前に進めないのだ。
「ねぇ、これ二人ともどれにする?三つとも違う動物だけど。」
椅子を引きながらリカちゃんが言う。テーブルの上の人形はそれぞれネコとウサギ、それとクマの形をしている。チサちゃんは椅子に座って「どれでもいいわよ。」と頬杖をついた。
「じゃあさ、皆でせーのでこの中で好きなやつ言おうよ!どう?」
「どうしてそう面倒になりそうなことを…」
チサちゃんはそこまで言ってからハッとして、左手で口を塞いだ。
「…被ったら面倒になるし自分に一番近いので良いんじゃないかしら…」
目を逸らしながら話すチサちゃんに何故か成長を感じて「おー」と声が漏れる。リカちゃんも同じだったようで、声がハモった。チサちゃんは何処か腑に落ちない表情をしたが、リカちゃんのにこやかな顔を見て心なしか安心しているように見えた。
「被らないかもしれないでしょ!とりあえず言ってみようよ!」とリカちゃんは半ば強引に言ってから「せーのっ」と息を吸い込んだ。
「ウサギ!」「ネコ。」「ク、クマ…」
揃わなかった言葉にハッとすると「おっ!」とリカちゃんの嬉しそうな声が聞こえた。
「気が合わなくて得することもあるのね。」
「いや、言い方っ!」
リカちゃんがつっこむと、チサちゃんは本気できょとんとした顔をした。
その後、私達は早速作業に取りかかる。私は布の中に綿を詰め、茶色い糸を選んで針に通した。
どんな縫い方でも良いのかな…?閉じるだけなら簡単だし、飾り糸を付けても良いかも。
そんなことを考えながら黙々と綿の入り口を塞いでいく。好きなことなだけあって二人よりも少し早く終わるかもしれない。そう思い二人を見ると、二人ともまだ糸を通すのに苦戦しているようだった。チサちゃんは何故か穴の細い針を使っているし、リカちゃんは糸を持つ指が糸の端から遠いせいで、ピンク色の糸は針の穴を器用に避けている。
これは、教えてあげた方が良いのかな。
けど、お節介かもしれないし、何よりまだ二人に話し掛ける勇気はない。そう考えながら手を進める。
でもチサちゃん、早くここを出たいって言ってたよね…
二人とも、今まで関わってこなかったような人とこの箱に入れられて、初対面なのに喧嘩して、仲直りして。疎外感こそ感じないけれど、なんだか二人だけが成長している気がする。
私は二人を一瞥してから、使い終わった針を針刺しへ戻した。
「チサちゃん…」
私が声を掛けると、チサちゃんの眉間に寄っていたシワはスッとなくなった。
「どうしたの?」
「あの、針…こっちの方がやり易いかも。」
彼女は「ありがとう。」と差し出した針刺しから針を受け取った。
「レノは進んでる?」
「あ、うん。私はもう終わったから…」
「「えっ!」」
二人は同時に声をあげた。
「あたしまだ糸も通せてないんだけど!」
「リ、リカちゃんはもう少し糸の端っこを持てば良いと思う、よ…」
そう言うと「本当?」とすぐに実践してくれた。リカちゃんが無事に糸を通した頃「レノ」とチサちゃんに名前を呼ばれて振り返る。
「私、こういう細かい作業が苦手で、教えてもらいながらやりたいのだけど、良いかしら。」
恥ずかしそうに言うチサちゃんに私は「もちろん。」と頷いた。
「で、出来たー!」
しばらくして、リカちゃんの元気な声が辺りに響いた。ホッとしていると、同じく作り終わったチサちゃんが「ありがとう。」と微笑む。
「あんまり人に教えたこと無かったから不安だったけど…良かった。」
「そう?レノ教えるの上手だったよ!」
リカちゃんに褒められて照れていると、チサちゃんがこっちを見ていることに気付いた。
「レノは、自分にあんまり自信が無いのね。」
チサちゃんは驚いたような顔をしてそう言った。
「初めはただ人見知りなのかと思ってたけど、今はわざと一歩後ろにいるように見えるわ。」
チサちゃんは続ける。
「性格を根本から変えるのは無理だけど、もう少し自分に自信を持って行動してもバチは当たらないわよ。」
チサちゃんの言葉にリカちゃんが肯定した。
「そうだよ!レノが居なかったら、きっとあたし達仲直りとかも出来てなかったし!」
「レノには私達が出来ないことが出来るわ。慢心は失敗を生むけど、自信は成功に繋がるの。どうせ記憶なんか無くなるんだから、ここにいる間くらい何も考えずに動いてみれば?」
リカちゃんはまたも首を大きく縦に振った。私は何も言えなかったけど、嬉しい気持ちだけでも伝わるようにと「うん。」と呟いた。
「本当にこの先行かなきゃダメかな…」
「当たり前でしょ。そう指示されたんだから。」
人形を作り終わって少し休憩してから、私達は三手に別れた道の前に立っていた。指示通りならこのどれかが正解の道になるけど、いくら探してもヒントになりそうな物は何もない。
「と、とりあえず進んでみる?」
「え、そんなので失敗したらどうするのよ。」
そうリカちゃんに反論するチサちゃんだけど、その言葉にあまり力はこもっていない。このままだと、ただの運試しになってしまう。
「でも、あたしママに危ないとかは聞いたことないって言われたし、思いきりも大事だよ。」
私も、お母さんに同じようなことを言われた。チサちゃんも同じなのか、それ以上の反論は思い付かないようだった。
「じゃあ、せーので指を指しましょう。」
チサちゃんが言った。
「え、あたしも今言おうと思ってた!…って、何でちょっと嫌そうなの?」
珍しく、と言ってもまだ会って数時間の仲だけど。それでも二人の意見がぴったり一致したのは初めて見た。
「気のせいよ。レノは?それでいい?」
「うん。大丈夫。」
頬を膨らませるリカちゃんを横目に、チサちゃんは一歩前に出た。
「せーの!」
掛け声と同時に、私は人差し指をピンと目の前の道に向かって伸ばした。真ん中の道。それが私達三人が、揃って選んだ道だった。
「おー。やった!揃った!」
「これで、ハズレても恨みっこなしね。」
チサちゃんは安堵したようにため息を吐いた。
ハズレても…ってなんか嫌だな。
私達はさっき作った人形を握りしめながら少しずつ前に進んでいく。道幅はそれほど狭くはなく、三人横並びで歩くことが出来た。
「この道、底も見えないけど、霧のせいでゴールも見えないね。どこまで続くんだろう。」
沈黙が苦手なのか、リカちゃんは、時々返答するべきか悩むような独り言を呟いている。
「も、もうすぐじゃないかな。」
「そうね、一応箱だしそこまで広くは…」
しばらく歩いて、少しずつ増えてきた会話を突然、大きな音が遮った。ガラガラと、何かが崩れるような音の後だった。例えるなら、ジェットコースターが急降下した時の感覚。二人に伸ばした手は空を切る。縫われたばかりのクマの目が、哀しそうに私を見ていた。