「そうくると思いましたよ」賢明の魔術師は、秀麗な騎士をはなしません。⇔蓮雨ライカ
「ごぶじですか」
前日と同じ木陰に佇むアートの姿を見つけると、それぞれいた相手との稽古を中断して、三人の兄さん姉さんがにやにやしながら近寄ってきた。
どっさり怒られてたっぷり絞られたアートは憔悴したような、それでもさっぱりしたような表情をしている。
「あーなんかこの子見たことあるー」
「どぉしたのかなボクぅ……迷子かなぁ?」
「なにこの人たち、すごい腹立つ!!」
「なんかとりあえず誰かをおちょくらないと息が止まるんだよね」
「なんだその永らえ方!」
「ここにいる奴みんなそうだぞ?」
自分の師ですらそうだったと思い出し、アートは気分を切り替えて姿勢を正した。
両手をぐっと握りしめ、頷くように頭を下げる。
「…………よろしくお願いします」
「おい見ろ、俺はお前らとは違う風をたっぷりと匂わせてきやがったぞ!」
「かわいくねぇな──!!」
「ここに来たってことは、師匠とはきっちり話をしたってことだな?」
「……今日一日だけって約束で」
「そんでぇ? 師匠の方は挨拶無しか?」
「師匠は用が済んだら来るって」
「へぇぇぇええ?」
「まぁ来ますわなぁ?」
にやにやとしたスタンリーとジェイミーが揃ってローレルの方を向くので、それより前からできていた眉間の皺が深くなる。
「……アートの言う通りだな。なんだその永らえ方!!」
「はい、腹の底から怒声をいただきました! 」
「ありがとうございまーす!」
「それじゃあ、ちゃちゃっと始めますか!」
「うぇーい」
「あ……ねぇ、それなんだけど」
「ん? どした、なんだ?」
「俺、邪魔になってない?」
「は?」
「稽古の妨げっていうか、面倒だなとか……」
「お前……昨日からちょいちょいいじらしいとこ見せてくるけどなに? 俺のこと好きなの?」
「は?! 今からナイフぶっ刺してやるから早くあっちに立てよ!!」
「面倒だと思ったら最初から相手にしないってば」
「あ……うん」
「まぁいつもの稽古に飽きてるんだけどね」
「まさしくそのこと」
「済まないが付き合ってやってくれるか? アート」
「……ありがとうローレル。とあとその他」
「おい、雑か!」
その前に、とアートはローブの内側でごそごそと腰の後ろ辺りを手探りする。
手のひらほどの紙片を取り出すと、指の先でぺたりとローレルの腹に紙を押し付けた。
「何だ?」
「師匠から。『ローレルさんが怪我をするのは耐えられません』って。防御壁だよ」
「俺には?!」
「無いよ?」
「何でだよ!」
「スタンリーには俺が作ってあげるよ。穴だらけだけど」
「ザルかよ!!」
「ザルだよ! 師匠みたいに出来てたら今ここに居ねぇわ!!」
「まぁな!!」
ひとつ息で気持ちを切り替えて落ち着けると、紙片に集中して、アートは発動の詠唱を始めた。
腹にあった紙は端からほろほろと崩れて空気に溶けて消えていく。
全部無くなった時にふわりとした何かがローレルを覆ったが、何が起こったのかは分からない。
今が夜か、ここが暗い場所なら、瞬きの間だけ身体全部を包む青白い光が見えたかもしれない。
「防御壁?」
「防御壁……時間限定」
「時間限定」
「そ。今日の日暮れまでの」
「……そうか」
リンフォードからだと聞いても割とすんなり受け入れられたのは何故だろうかと考える。
すぐに術を繰っているのがアートだからだと気付いてそこで考えることをやめた。
その後アートはこれでもかと時間をかけてスタンリーに防御壁を展開する。
魔術の展開、速度と強度はやはり師と弟子との差が確実にあるようだ。
それは昨日と同様に稽古を始めて、さらに身に染みて感じる。
リンフォードの作った防御壁は『壁』とは付いているが、まったくの別物だった。
ローレルと斬り結んだスタンリーには、攻撃した際に多少の手応えはあるが、それは人を斬ったというよりは薄布や野菜を切ったような軽い手応えしかない。
刃が当たっても傷ひとつ負わない。それならと試しに本気で腕を斬り落とそうと刃を振り下ろすも、もちろんどこも落ちることはなかった。
それはローレルをすり抜けていき、しかしただ刃が通ったのとは少し違って見えもした。
離れた位置で目撃していたアートも、顎が外れたように口を開けたまま、言葉にならない大声を上げる。
「なんだよそれ!」
「いや、こっちが聞きたい。なんだこりゃ!」
一般的に知られる防御壁と言えば、書いて字の如く『壁』。
アートがスタンリーに展開したものはもちろんこれだ。
身体の周りに薄い壁を作り攻撃を跳ね返す。剣も衝撃も逆方向に弾かれる。
目に見えない甲冑を着ているという表現が近い。
唸り声を漏らしながら近寄ったアートが、目を細めてローレルの腹の辺りを睨む。
「……うぅ……ダメだ緻密過ぎてよく見えない。……くっそ! 腹立つな!!」
「え、なに? どういうこと?」
「……あんな小さい紙によくもこれだけ……クソムカつく!」
「……あぁ……なんか凄いのは分かった」
「凄いなんてもんじゃないって、これは!! 師匠アホか!!」
興奮したアートがした説明は、知らない語句が多過ぎてローレルたちに理解は出来なかったが、そもそもこれが理解できたら騎士ではなく魔術師になっている。
「要するに、刃がすり抜けてるんじゃなくて……なんていうかな……無くなってんだよ」
「……刃が?」
「逆だよ……例えばこの長剣で腕を斬るとするだろ? その瞬間はローレルに当たった場所が無いことになってんの」
「…………はい?」
「……うーん……転移ってさ。離れた場所に俺らが移動してるって思うだろ?」
アートは大きく両腕を広げて、身振りで説明をしようと試みる。
「びゅーんと、俺たちが飛んで、遠くに行ってるって」
片方の手は宙に固定したまま、もう片方を大きく山形に振って体の横でぱちんと音を鳴らせた。
「ああ、そうね……は? そうじゃないってことか?」
「うん。実際には今いる地点と行きたい地点をくっ付けるんだよ」
今度は大きく広げた両手を、体の真ん前でぱちんと叩き合わせた。
「……今この手と手の間にあった距離は無くなってることになる」
「う…………うん?」
「俺たちが遠くへ移動してるんじゃなくて、目的地をこの場所に繋げるって感じ」
「ほぅ……すまん、全然分からん」
「うん……分かろうと思ったら、何年も机に齧り付かないとだよ……俺だって完璧に理解はしてないし、全部説明できる気もしないし」
「…………で、転移とローレルになんの関係が?」
「ああ、だから……この長剣でローレルの腹を突き刺すとするよね……シャツの表面に刃が当たった時には、刃自体が腹の裏側へ行くようになってんの……剣からしたら、ローレルの腹は無いってこと……。厳密には転移では無いけど、説明するならこれが近いって話だよ……分かる?」
言わんとすることは分かるが、何故そうなるのかを知りたくなったら、それこそ机に齧り付かなくてはならないし、それができるなら、だ。
アートはもの凄く分かりやすく噛み砕いて説明してくれたことだけは理解できたので、三人はそれ以上知ろうとしないことにした。
「……で、それが師匠アホかに繋がると」
「なんでこんなに安売りできるんだって」
「そんなにすげぇの?」
「すげぇの……確かに普通の防御壁なら、どうしても穴はできるから。甲冑だってそうだろ? 関節の部分はどうしても隙間ができる」
「ああ……そうね」
「そこら辺を補おうとして、どうしてこんな高等な術を簡単に繰りだすんだ……師匠アホかと」
「……ほぉぉぉおお?」
「『ローレルさんが怪我するのは耐えられません』! って口だけじゃないってことな!!」
「あらまぁ! 男にそこまでさせるなんて、やるじゃないのさ、ローレル!!」
「恋ってステキねぇ?」
「その酒場の姐さん口調やめろ」
「……お前こそ止めてやれ。冷静か」
「あいつ昨日、ちょっと手が当たっただけで顔真っ赤っかだったてのに、ローレルよ……」
「……それほんとの話?」
「お前アレ見なかったのか?」
「俺それどころじゃ……」
「まぁなぁ」
「師匠が……」
「しばらくはあいつで楽しめそうだな! ローレルつついても面白くねぇんだよ」
「止めてやれないのか」
「だからお前こそ止めてやれ、その冷淡を」
確かに言った通り日暮れまではその術が保った。
そして術が切れただろうその瞬間には、リンフォードが慌てた様子で転移で現れて、またまたアートはこっぴどく叱られ、地面に座らされる。
兄さんふたりはにやにやしつつ、こそこそ内緒話をし、嫌らしい笑い声を漏らした。
「ローレルさん、ご無事ですか?」
「ご覧のとおり」
「お怪我は?」
「大丈夫だ」
「爪の先も? 髪の毛一本に至るまで?」
「気色悪い……うるさい」
ローレルには触れず、忙しくひとつも傷が無いことを確認すると、リンフォードは大きく安堵の息を吐き出した。
改めて相手をしていた三人の前に立ち、リンフォードは深く頭を下げる。
「お世話になりました。……アートは少しはものになりましたか?」
「まだまだだね……どこ目指してるか、だけど」
「アートは? 気が済みましたか?」
「……でも、師匠?」
「昨夜の話をもう一度しますか?」
「いいえ……分かりました」
「よろしい。みなさん、ありがとうございました」
「アート……ここじゃなくても稽古はできる。常に身に付けて触ってるだけでも違うぞ」
「うん……ありがと、ローレル」
「またいつでもおいでよ。練習の成果を見せにね」
「ありがと、ジェイミーとその他」
「おい、俺の名前知ってる?!」
「知ってるよ……ス……スティーブン?」
「もう二度と来るな!!」
スタンリーの脇に頭を抱えられて、アートは髪の毛をぐしゃぐしゃに撫でられる。
大きな声で子どものように笑っているアートを久しぶりに見て、リンフォードも苦く笑う。
アートはいつの間に子どもらしく振る舞うことがなくなっただろうか。
目標だけを見て、そこに逸早く近付こうとするあまりに、余計だと思うものは置いてきた。
これまでを間違っているとは思わないが、その中には大事なものがいくつもあった。
それで構わないのだと思ってきた。
考える時点でぐらぐらと揺らいでいる証左だと、リンフォードは心中で首を横に振る。
迷っている余裕は無いのだと、もう一度自らに言い聞かせた。
「アート、屋敷に戻りますよ」
「あ……はい」
「ローレルさん、グレアム閣下がお呼びです」
「分かった。これから伺おう」
スタンリーやジェイミーと別れて、ローレルは宿舎の裏手から離宮へ向かう。
入り口までご一緒にとリンフォードは歩き始める。
離宮の通用口が近道だが、そこから入るのならリンフォードがいなければ通れない。
正面の大扉に回れば警護番の誰かに軽く挨拶すれば良いが、うんざりするほど遠回りになる。
リンフォードの申し出をありがたく素直に受け取った。
アートはふたりの後ろを少し離れて、音を立てないようにこっそりと歩く。
前を行く我が師と、見た目より腕っ節が強いローレル、ふたりの後ろ姿を交互に見た。
これまでと同じようにふたりは横に並んで歩いているが、違うこともあった。
話はしているが、無駄なおしゃべりはしていない。
並んではいるが、微妙な間隔がある。
前は肩が触れそうなほど近くを歩いていたのに。
稽古の前に聞いたスタンリーとジェイミーの話を思い出す。
師匠のそっち方面の事情は何だか微妙な気分になって顔が歪む。
自分の頬が熱くなりそうなのをごまかす為に、別のことを考えることにした。
師匠と弟子とは……と難しいことを考えているうちに、その師匠は足を止めてこちらを振り返っていた。
「アート。ひとりで屋敷に戻りなさい」
「……え?」
いつの間にそんな話になったのかと、アートには呆けた返事しかできない。
改めて見るとふたりは無表情で向かい合っている。
「貴方には関係の無い話だ」
「そんな話があるもんですか」
「付き添いなんて要らない」
「付き添いじゃありません」
「じゃあ何だ」
「監視ですね」
「……は?」
「監督と言い換えますか?」
「……………なに?」
一瞬で変わった剣呑な雰囲気に、アートの首筋に冷たいものが走る。
師匠が一方的に楽しそうに喋り、ローレルは呆れたように返事をしている、これまではそんな姿ばかりだった。
それが、ふたりは今にも殴り合いを始めそうな気配だ。
どこが顔真っ赤っかだよとスタンリーに叫びたくなったところで、リンフォードがふたたびアートを振り返る。
「……アート?」
「……は? はい?!」
「返事は?」
「え? あ、はい! 戻ります、ひとりで!」
「町を歩かず、転移ですよ」
「はい! 転移で!」
リンフォードに真っ直ぐに視線を向けていたが、諦めたように息をひとつ吐き出すと、ローレルも後ろを振り返った。
アートには疲れたような笑顔を向ける。
「……またな、アート」
「う……ん、じゃあね、ローレル」
去っていくふたりの背中を見送って、アートは自分のつま先を見下ろす。
確かにローレルと出会ってからの師は、これまでと変わった部分はある。
よく喋るようになったし、慌てたり怒ったり取り乱しもする。
それが良いことなのか、悪いことなのかは、自分が判断する立場ではない。
頭を何度か横に振って、大きなお世話は足元に払い落とす。
アートは顔を上げて前を向くと、師の言付けの通りに、転移で屋敷に戻った。