「そうくると思いましたよ」賢明の魔術師は、秀麗な騎士をはなしません。⇔蓮雨ライカ
「わたしのローレルさん(三回目)」
宮殿内の通路に煌びやかさはひとつもない。
外の熱と砂埃が嘘のように、内側には冷んやりと動かない空気が満ちていた。
造りは立派で絢爛さはあっても、人の気配が近くに無い。自分たちの立てる音だけ。
床も壁も天井も硬質な筒状の通路で、遠くから微かに響く音が建物の広さを物語っている。
まして灯りは無く、宵を迎えた空よりも濃い色がこの場を支配しているようだった。
リンフォードが先導するように前を歩く。
目線を向けただけで壁にあるランプに火を灯し、ふたりの歩く道から宵闇を追い出していく。
「閣下とはどのような話を?」
「さっきも言った。心当たりが無い」
「本当に?」
「嘘を言って何になるんだ」
「……そうですね」
「どうして貴方が機嫌を悪くするんだ」
「悪いですかね?」
「違うのか?」
「……まぁ、愉快ではないですね」
「どうしろって言うんだ」
「……おっしゃる通りです」
答えにはなっていない気がして、リンフォードの後ろ頭を睨んで顔を顰める。
静かな通路だ。
この沈黙と雰囲気で今度はこちらが腹を立てていることは分かっているだろうに、ローレルを見る素振りもない。
監視でも監督でもしたいならすればいいと、別の話題に水を向けることにした。
「……それはそうと」
「はい?」
「何だあれは」
「何がでしょう」
「防御壁」
「何か不備がありましたか?」
「……いや」
「貴女が無事で安心しました」
「私のケガが耐えられないか?」
「…………はい」
リンフォードの耳が赤くなっていくのを見て、意地悪兄さんたちの幻聴がローレルに聞こえる。
気付かなかったことにしようと通路に連なる窓の外側に目線を逸らせた。
「今後の参考にしたいのですが、何か改善点がありましたか?」
「……ああ、それだ。試しに斬られてみたん……」
「はい?! 斬られた?!」
ぐるりと取って返したリンフォードに詰め寄られ、ローレルは壁際まで追い込まれた。
退路は下にしかないなと考えながらも、逃げる気は無かったので真っすぐに向かい合う。
あと拳ひとつ分で鼻先が触れる距離にお互いの顔があった。
無表情がローレルを見下ろして、同じ顔がリンフォードを見上げる。
「試しに斬られたって、故意にということですか」
「まぁ……どれ程のものかって」
「どれ程も何も無いでしょう。防御壁に手落ちは無いはずです」
「…………多分な?」
「無論ですよ」
「ならどうして改善点を聞くんだ」
「完成度を上げたいからです」
「そうか。それはそれとして…………近くないか?」
「…………す! すすすすすみません!!」
向かって来た時と同じ速さで後ろに退がっていったリンフォードは、背中で窓を破る気かと思う勢いでそこに張り付いた。
反応が過剰で恥ずかしいのと、それ以外の大きな理由もあって、リンフォードは首から上を真っ赤にしてぐぐぅとおかしな声を漏らしている。
「…………これには触れないでおこうか?」
「ぐ…………はい。それでお願いします」
ふらりとしつつもまた通路の真ん中に戻ったリンフォードの後を追って、ローレルもゆっくりと歩きだした。
「……ええと……話の途中でしたね」
「うん? ……ああ改善点か……斬られてみて分かったんだが、何もなさ過ぎるのもおかしな感じだなと」
「手応えですか?」
「ああ、斬った方も軽かったらしいけど、私の方にも何も無かったから」
「…………なるほど、何も感じないのは視覚的にも不自然で気持ち悪いですよね」
「それもあるし、相手からの攻撃に無関心になりそうで嫌だな」
「……そうですか……術の構造上、傷や衝撃は受けようが無いんですが……実戦の場で感覚が変わるのはいただけないですね……考えてみます」
「……飲み込みが早いな」
「……はい?」
「場の空気を知ってるからか?」
「ローレルさんほどでは」
「……アートには知って欲しくないんだな」
「……ご理解いただけて助かります」
「でも私はアートの気持ちもよく解る」
「だからこその今日ですよ」
「甘いぞ師匠」
「それはどっちの意味ですか?」
「過保護の方だ。アートは意欲も力も持て余してる」
「…………過保護、ですかね?」
「違うのか?」
「あれには他にやることが沢山ありますから」
「……余計なことに割く時間は無いか」
「戦いの場に出したくないのも確かにありますけどね。彼には彼の役割があります」
「……役割か。そうだな」
通路を賑やかな方に進む。
離宮はロの字型だが警備上の理由で居住区画を片寄らせてある。
人の多くいる辺りに差し掛かったところで、そこを歩いているグレアムに出会した。
「おお、悪いな急に呼びたてて……なぜ付いてくる」
「どういったことでしょうかね」
「お前、帰ったんじゃなかったか?」
「見て分かるでしょう、いますよ」
「……その態度を引っ込めろ」
「何ですか?」
「出来ないなら付いてくるな」
「ローレルさんに何の用でしょう」
「……お前やっぱり面倒だから帰れ」
「それを聞いておいて帰るとでも?」
歩きながら話しているうちに目的の場所に到着し、扉の前でグレアムは足を止めた。
開こうと手を伸ばし、ぴたりと一旦止めてリンフォードを振り返る。
「……お前、中に入りたいなら場を乱すなよ? よく考えてものを言え」
「嫌な予感しかしませんね」
「重々に諸々を弁えろ」
部屋の中は明るく華やかで、大きな卓には食事の用意があった。
グレアムは扉の側に控えた給仕に、席を増やすようにと告げる。
リンフォードは部屋の中を見回して、太くて長い溜め息を吐き散らかした。
一番奥まった席に座っていた少年が、ぴょこっと頭を持ち上げると、椅子から飛び降りて、卓をぐるりと回りこちらに走り寄る。
「ローレル!」
「ウェントワース様」
いつもなら王子と呼ぶ所だが、この部屋には他にも人がいたので、ローレルは他所行きの態度で接する。
両手を広げて駆けてくる王子を、床に膝を突いて受け止めた。
王子はぎゅうと抱き付くと、すぐにその手でローレルの頬を挟んで自分の方に向ける。
「一緒に食事をしよう!」
「……私はお食事を共にできるような姿ではありません」
「構わないよ、そんなこと」
「いいえ、そういう訳には」
「私の隣に座るんだよ」
「ですが……」
「いいの!……こっちにおいで。ね?」
手を引かれ連れて行かれるローレルを見送って、リンフォードはグレアムに鋭い目線を向ける。
「……お前を帰そうとして正解だったろう?」
「……そうですね。大した先見の明です」
「堪えろ? 王子の機転をありがたく思え」
「あの小芝居を仕込んだのは貴方では?」
「……バレたか」
「……まったく。ローレルさんを何だと……」
「お前ほんと、余計な口を叩くなよ? いいな?」
「よくも私にこれを黙っていてくれましたね」
「……先見の明だ。失敗したけどな」
部屋にいるのはこの国とイーリィズの軍士官、プロヴァルの師団長。
離宮に詰めている上級職の面々が勢揃いだ。
リンフォードがぐだぐだと苦情を申し立てている間に、今は全員が王子とローレルを中心にして、お互いを紹介し合っている。
きりと表情を引き締めて話す者もいれば、わかりやすく甘々しい態度の者もいた。
間に分け入ろうとするリンフォードをグレアムが肩を掴んで止める。
「今からでも帰っていいんだぞ?」
「……帰るものですか」
「王子に任せとけ」
ローレルの噂は、離宮裏手の宿舎に寝床を移したその日のうちに、瞬く間に広まった。
始めのうちは低俗で猥雑な噂だったが、ローレルを直に見て接した下士官や騎士たちが、手のひらを返したように変わっていった。
凛とした見た目と確然とした態度であるのに、反して冗談が通じたり時おり笑顔を見せるから、早いうちに周囲はローレルを好意的に受け入れる。
その話はすぐに上司たちの間を駆けめぐり、グレアムには毎日のように催促があった。
いつになったら『高踏の百合』を紹介するのか。
本人の知らぬ間に羞恥極まるふたつ名まで付けられる始末だ。
下士官や騎士たちがローレルに近付こうとすれば、その間にスタンリーやジェイミー、その他の仲間が立ちはだかるが、相手が士官や師団長だとそうもいかない。
そこでグレアムはウェントワース王子を引っ張り出すことにした。
姉やを取られたくないといった態度を前面に押し出した王子の、横にびっちりと張り付いた、ローレルの腰に腕を回しての小芝居は文句の付けようがなかった。
本来の目的から、この離宮は女性が少ない。
王の離宮として機能していた頃には相応に侍女はいたが、王城や他の離宮に移らせることにした。
騎士や軍人が詰め、その数は増していくと分かっていて、面倒の原因になる若い女性を置いておく理由は無い。
少数いる女性は全員が年配者であるし、給仕や側仕えは男性が担っている。
だから余計にローレルの話は頻繁に持ち上がる。
グレアムもそれなりに話を受け流してはいたが、いい加減煩わしくなってきたので、一度会わせておけば落ち着くだろうと考えた。
王子に小芝居を仕込み、リンフォードを帰らせて、極力厄介は減らせたはずが。
もののついでと深く考えず、ローレルを呼べとリンフォードに声をかけたのが間違いの元。
詰めが甘かったと悔やんでももう遅い。
さすがと言うべきか、上級職ばかりの食事会は、思慮分別のある和やかな雰囲気だった。
長い卓の端、部屋の奥にウェントワース王子。
その向かい側の下座に飛び入りのリンフォードがいた。
ローレルをすぐ横に侍らせた王子に、リンフォードはあからさまに苛々とした視線を向けている。
「ローレル、これを食べてごらん、美味しいよ」
「はい、ありがとうございます」
「それは私にちょうだい」
「ええ、どうぞ」
膝に乗るような勢いで寄り添っているのを見ながら、各国の面々はこの王子の先行きをうっすらと心配する。
とはいえ王子の無邪気な様と愛らしさは表面だけだと知ってもいるので、戯れ事だと高を括っていた。
高を括って果敢にも『高踏の百合』に手を伸ばそうとする。
分かりやすくローレルに好意を向け甘い言葉を吐く者、あわよくばと緩い表情の者もいる。
ローレル自身もそれに気が付いて、当たり障りなく、各種の誘いをさらりと躱しているので、どうにかこうにかリンフォードも堪えることが出来ていた。
のだが。
会食という名の長い長い苦行から解放される時がきて、最後のひと言でこれまでの我慢に限界がくる。
「ローレル、今夜は私の部屋においで」
「ウェントワース王子」
「なあに? リンフォード」
「その台詞は十年ほど早いですよ」
会話を聞いていた周囲は冗談だと思い、軽く笑い声が起こる。
王子とリンフォード、どちらも同じようなにこにこ顔なので、会の終わりにふさわしく和やかな雰囲気だった。
しかし周囲に反してリンフォードの目は笑っていない。
「言わせていただいてよろしいでしょうか」
「何だろう。言ってみて? リンフォード」
「私のローレルさんにそれ以上触れないでいただけませんか」
「リンフォードのローレルなの?」
「はい……私の妻です」
長い卓の端と端。
向かい合わせの場所にいる王子は、ふふと笑い声をあげる。
「本当? ローレル」
「……時々そう言っていますね」
「答えになってないよ?」
「男性が私に過度に接しようとした時には大概この言葉です」
「それも答えじゃないけど……まぁいいか。リンフォード、私は頑張ったからそのご褒美を貰おうと思ったんだけど」
「それなら私が明日たんまりと」
「それはご褒美じゃなくてお説教だよね」
「俺がリンフォードに説教した後でな」
これまで静かだったグレアムが低い声で言い放って、もう全員が笑うしかなくなった。
それをきりに食事会から解放されて、王子は寝所に、ローレルは宿舎に戻されることになる。
ローレルを送ろうとしたリンフォードはグレアムに引き摺られていく。
これより後は各国の連携と腹の探り合いの時間。
食堂横の談話室へご招待だ。