「そうくると思いましたよ」賢明の魔術師は、秀麗な騎士をはなしません。⇔蓮雨ライカ

「えらいですよ」






ローレルは小さな食堂の二階に住んでいる。

元は店主の部屋で、最初はそこに居候させてもらっていた。

店主は気立ての良い後家で、明るい笑顔と、可愛らしい仕草で誰とも気さくに話をした。
そんな風なので言い寄る男はそれなりにあって、中には何人か性質の悪い男もいた。

嫌がる彼女にしつこく付き纏っているのを見かね、ローレルが助けに入る。その男を店から放り出し、少々痛めつけた後、二度と近付かないことを約束させた。

それがきっかけで、店の二階、物置にしていた部屋を間借りすることになる。

この国に来たばかりだったローレルは宿ではなく、長く住める場所を探していたので、恩を売れば何かしらの足がかりが出来ると、小狡い計算もあった。

その店主は翌年には、同じように気立てが良く、もの静かで働き者の男と所帯を持つことになった。
今は持ち主の方が新居に移ってしまい、店の二階に住んでいるのはローレルだけ。

店はこれまで通り日が暮れるまで開いていて、店主は早朝から毎日通っている状態。ローレルは夜間の留守番だとタダ同然で住まわせてもらっている。



白い漆喰と、焦茶の柱や床。
朝になると裏手にある川から反射した光がきらきらと天井に映るこの部屋を、ローレルはとても気に入っている。

朝、目が覚めれば窓を開け放ち、寝床を整えて掃除をする。

出かけてしまえば帰って来られるかは分からない仕事をしている。
もしそのまま帰れなくとも迷惑をかけないように、毎朝きれいに部屋を整えてから出て行くのが日課になっていた。

部屋を見回して満足いくと、ローレルは小さく頷いて荷を背負った。
腰に長剣を佩いて部屋を出る。

「おはよう、ローレル。今日からだっけ?」
「おはよう、スゥ。そう、しばらくは戸締りをしっかりね」
「わかったわ。ちょっと待って、食事を持たせてあげる」
「ありがとう、助かる」

朝早くから仕込みをしている店主のスゥが、手早く食事を用意してくれる。
こうして朝食や夕食も用意してもらえるので、とてもありがたい。

ここに来たばかりの頃にスゥに言葉を教えてもらえたので、ローレルにとって、とても良い環境に居させてもらえた。
因みにローレルがこちらの言葉を話す時は、スゥのおかげで女性らしい言い回しになっている。


固く焼いたぶ厚いパンの間に、野菜と肉を煮込んだものを挟んで、油紙に包む。
手軽に食べられるし、持ち運べるので、店で食事ができない人たちには人気の定番料理だ。

紙に包まれたまましばらく置いておくと、パンがしっとりと、野菜や肉の味を含んで、とても美味しくなる。
柔らかくなり過ぎて少々食べ辛いが、さらにとろとろになるまでわざと時間を置く人もいるという話も聞く。


スゥは包みをふたつ用意すると、にこにこと笑いながらローレルに渡すために、カウンターにきれいに並べて置いた。

「さあ、どうぞ」
「…………こんなに一度に食べられないよ?」
「あなたの分だけじゃありませんけど?」
「ひとり分でいいのに」
「そんな意地悪言わないの。気を付けて行ってらっしゃい」
「うん……ありがとう。行ってきます」

店を出る前にもう一度戸締りのことで念を押すと、スゥは朗らかに笑ってはいはいと返事をした。

頼ったり頼られたり。
友達のような、姉のような、そんなスゥの親しげな笑顔に、ローレルも同じように笑って返す。
軽く手を上げて店を出た。


町の方に行くため、住宅の多い区画から川を渡ろうと橋がある通りに足を向ける。

ここから一番近い、人が渡る為だけにある石造りの細い橋の上には、同じような旅姿のリンフォードが待っていた。

下の流れを覗き込んでいたが、ローレルを見付けるとにっこりと笑って手を上げる。

「おはようございます、ローレルさん」
「…………おはようございます……待ち合わせは馬車乗り場だったのでは?」
「家を出るのが早過ぎました……で、こちらに向かってくればそのうちローレルさんに会えるかなと思ったんですよね」
「私がここを通らなければどうするつもりだったんだ?」
「待ち合わせに間に合うように引き返すつもりでしたよ。でも会えたから良いじゃないですか」
「…………その楽しそうな顔が鬱陶しい」
「そりゃ楽しいですからね……その手に持っているものは何ですか?」
「食事を持たせてもらった……ひとつは貴方の分」
「え?! 私の分も用意してくれたんですか?!」
「私が作ったんじゃない」
「……なんだ残念」
「要らないならどちらも私が食べる」
「いいえ! いただきますよ!」

持ちますとどちらの包みも引き取って、リンフォードは漏れ出てくる良い匂いを嗅ぎとる。ひとつ唸ると殊更ににっこりと笑った。

「美味しそうな良い匂いです。お腹が空いてきました」
「もう少し置いた方が美味しくなる」
「では我慢しましょう……さあ! 行きますよ、ローレルさん!」



今回の依頼は、前回行った森のその先まで。

往復で六日の距離だ。
前回は目当ての植物が見つからなかったので、更に奥地に入り、きちんと的を絞るのだとリンフォードは意欲を見せている。

お試し調査だと気を緩めて、色んなものに目移りしていたのを棚に上げ、目的のものを見つけるまでは契約を履行する義務が有るだろうと、ローレルではなく店主の方を説き伏せた。

面倒がった店主は行ってこいとひと言で済ませる。

ローレルを説得するより効率が良いと、隠しもせず堂々と言い放ち、リンフォードはにっこりとしていた。


前回同様、森の入り口までは馬車を乗り継ぎ、そこからは道なき森の中を突き進む予定だ。

乗り継ぎの馬車を待つ間、打ち合わせがてらにスゥが持たせてくれたものを食べる。

いい感じに柔らかくなったパンと、その中味を取りこぼさないように、紙の包みを上手に破いて見せた。
リンフォードも見様見真似で同じようにして、パンを口にする。

「……!! 美味しいですね!!」
「…………うん、美味しい」
「この国の食事は塩気が多いものばかりですけど、これはちょうど良いです」
「スゥは手を抜かずに作るからな」

からりと乾いた気候が長く続く国なので、長期間保存が出来るものが多く作られ、大半が他の地域に売られている。
海も遠くないので、他の地域に比べて塩も安く手に入る。

塩漬けにされた食材を調理する際に、スゥは丁寧に塩抜きをして使うから、他国の出であるリンフォードとローレルの口に合った。
加えてハーティエは海から遠い内陸部なので、塩は貴重品。塩味が薄く、香辛料の方が効いている料理が多い。

「うーん……こっちの人はその辺大雑把というか、適当ですもんねぇ」
「塩漬けを作るまでは丁寧なのにな」

塩漬けの加工に、下処理や食材選びは手間暇かけているのだが、いざ料理に使う段になると、塩抜きをせず、生の野菜などを大量に入れることで味を薄めようとする。

この国のあるあるをふたりは苦く笑いながら話す。

「……本当に美味しいですね」
「…………うん」

自分が褒められたように、はにかみながら嬉しそうに笑うローレルの表情に、リンフォードは手の中のものを落としそうになって、慌てて持ち直す。
胸の中身をくいと突かれたような感覚に、弱々しく息を吐いた。



森に入ってからは、前回通った道筋を辿る。

渓谷を迂回して、その向こう側、そこまでは順調に進んだ。
そこから先は周囲の地形や環境を観察しながら、国境により近付いていく。
大きく目立つ木や岩に、リンフォードが魔術で目印をつけていった。
帰りにも同じ場所を通れるようにするためだ。

渓谷の向こう側は少し窪地になっていて、湿地帯のようになり、木立というよりは水気を好む背の低い草木が多く繁茂していた。

大きな木が腐って倒れているのを見て、この湿地はここ数十年の間にできたのだろうとリンフォードが言う。

草を踏めば、ぐちゃりと水と土が音を立てる。
草を分けると水溜り程度の深さに見えるが、気を抜いて歩くと、深みに足を突っ込みかねない。
下手すると体ごと嵌まることもあり得る。

どうしても足場が無い場所以外は、倒木の上や、岩の上を渡って進んだ。

先を進むローレルに、後から追っているリンフォードが声をかける。

「ローレルさん腕をケガしましたか?」
「ん? いや?」
「血が出てますよ」
「は?」

ローレルは自分からは見えにくい、二の腕の裏側を、どうにか見ようとあちこちに捻る。

そうしている内にリンフォードが小さく、あと声を上げて、先に立ち、ローレルの手を引いて、足場のしっかりした大きな岩の上まで素早く移動した。

「袖をめくって、手を入れても良いですか?」
「うん? いや、大したケガじゃないだろう、痛くもなんともないし、血だってそんなに……」

シャツに付いている血は、細いもので突いたような、小さな点ほどの大きさだった。

「蛭ですよ」
「うん?」

失礼といいながら、手袋を取ったリンフォードは、ローレルの袖のボタンを外し、くるりと巻き上げて、その中を手を入れる。
すぐに思った通りのものに行き当たった。

「あ、やっぱり……ほらこれ」

リンフォードの手の上には、てらっとした光を跳ね返す、茶色の塊がうねうねしている。

「たくさん吸われましたね。ほら、ぷくぷくまんまるになってます」
「………………捨てろ、遠くへ」
「はい? あれ? 苦手ですか?」
「いいから投げろ!」
「蛇も蜘蛛も平気なのに?」
「早くしろ!!」
「はいはい……よいしょ」

重みのあるべちょりという音の後に、ローレルはぶるりと小さく体を震わせた。
リンフォードはにっこりと笑って、血止めをしましょうと荷を背中から下ろし、鞄の中身をごそごそと探る。

「痺れる感じや、重だるい感じは無いですか?」
「……ああ、無い」
「毒は無さそうですね、念のため見せてもらっていいですか?」

袖を肩の方までめくって、その場所をリンフォードに見せた。
自分ではやっぱりよく見えない位置から、出血が続いているらしい。

「変色も腫れも無いので大丈夫でしょう。でもおかしな感じがしたらすぐに教えて下さい?」
「う……分かった。ありがとう」

乾いた薬草を手で粉々にすると、軟膏に混ぜて小さな傷口にこってりと塗る。

「他にいませんよね?」
「は?……やめろ」
「足元は膝上まで長靴(ちょうか)だし、腰には剣帯が巻いてあるので、下半身は侵入されてないでしょうけど。袖口も首元もゆるゆるですもんね、ローレルさん……確かめなくて良いんですか?」

にやにやと笑っているリンフォードを睨みつけて、ローレルはその場で背中の荷を下ろして、腰回りからシャツを引っ張り出すと服の中に手を突っ込んだ。

ごそごそした後、ぐと息を飲んでリンフォードに脇腹を向ける。
ローレルはぐいっとシャツをめくり、自分では見るのも嫌なので、反対方向に目を逸らせた。

「取ってく……下さい」
「わぁ、ちゃんと命令からお願いに軌道修正しましたね、偉いですよ」
「早く!」
「はいはい……はーい。遠くに投げましたよー。お薬塗りましょうねー」

くくと笑いを堪えもしないリンフォードを憎々しげに見下ろして、ローレルは盛大に舌打ちをした。

「……自分は確認しなくて良いのか?」
「私は大丈夫ですよ」
「何故言い切れる」
「虫除けしてるんで」
「なに?」
「うーん……うっかりしてました。私は毎日、こういった虫や諸々を避けられるように、薬草を塗り込んでるんですよね……もう昔からの習慣になっちゃってるんで、当たり前になってたって言うか……そうか、ローレルさんにも必要ですよね……今まで虫刺されとか大丈夫でしたか?」

確かに前回の探索で、いつの間にか何かよく分からないものに腕を刺されて、ぱんぱんに腫れ、数日間は熱を持っていたのを思い出す。

ローレルも町で手に入る虫除けの薬草を使っていたから、効果はこんなものだと諦めていた。


リンフォードは荷物の中から小瓶を取り出して、ローレルの手のひらに、とろりとした油のような液体を乗せる。

「体に薄く塗って下さい。首や手首は念入りに擦り込んで。手についたのはそのまま髪や靴に付けても良いですよ」

言われた通りにすると、すうとした爽やかな香りがする。

「ローレルさん魔力ありますよね?」
「……少し」
「うーん……どうも私の方が向いてそうなので、私が魔力を付加しましょう」

リンフォードはローレルの手首を撫でながら、口の中で軽く詠唱する。
一瞬だけ薬草を塗った場所が、ほんのり熱を帯びた感じがした。

「これで効き目は抜群ですよ、もう蛭なんて寄せ付けません」
「……………………ありがとう」
「こんなにも怒って悔しそうなのに! ちゃんとお礼が言えるなんて……ローレルさんはかわいいですね!」
「……黙れ」

それ以上は返す言葉が見つからず、ローレルは剣帯を緩めて、シャツをぎゅうぎゅうとズボンの中にしまった。

「蛭が苦手なんですね」
「得意な者がいるのか?」
「ぷにぷに冷んやりして、いい触り心地です」
「……やめろ」
「ローレルさんの方が良い触り心地でしたけど」
「殴られたいのか?」
「どういうところが苦手なんですか?」
「頭と体の区別が無い……目鼻や口や、どこに何があるのか分からんのが気味悪い」
「……なるほど、確かに蛇や蜘蛛なら大丈夫な訳ですね。ああ、じゃあミミズとか苦手ですね」
「……想像させるな」
「あっちの方でこんな長さの……」
「ここから突き落とすぞ」
「わぁ、泥水まみれは流石に遠慮します」




その後は本当に、目の前を虫がちらつくことすらなかった。


湿地帯を抜けて野営地を探した。
これまで同様の森の中で、地面に寝転んでも耳の近くでかさこそ動く音も聞かないから、夜も安心して眠れたが。


なぜか余計にリンフォードに腹立たしさが増した。







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