「そうくると思いましたよ」賢明の魔術師は、秀麗な騎士をはなしません。⇔蓮雨ライカ

「ぜんぶ私のものですからね」






降り続いた雨は夜には上がった。

今はぼんやりと霞んだ月の明かりだけが空に見えている。

昼間と同じように寝台の上で膝を抱えたローレルは、昼間と同じようにすっきりしない窓の外を見ていた。

「眠れませんか?」
「……しばらく寝てばかりだったからな」

気を遣いながら静かに部屋に入ってきたのが、足運びと気配でリンフォードだと分かっていたので、ローレルはいちいち背後を振り向いて確かめたりはしなかった。

出入り口からぐるりと寝台の縁を回って歩み寄ると、リンフォードはローレルの隣に腰掛ける。

「そうですね。起きているローレルさんは久しぶりです」
「……ご多忙なことだな」
「これからですよ」

同じように朧な月を見上げていたリンフォードが、こちらを向いた気配がして、ローレルはそちらに顔を向ける。

「なんだ?」
「その寝巻きの中に手を入れてもいいですか?」
「…………言い方をどうにかしろ」
「そうですね、どうにかしましょう。ローレルさん、私の手で貴女の肌を撫で回しても良いですか?」
「改悪されてるぞ」
「あれ? おかしいですね?」

蛇の背のように盛り上がっていた傷は、腫れが少し引いて、表面のひりひりとするような痛みも少し楽になった。
傷口は完全に閉じて、新しく張った皮膚にも触感が戻ってきていた。

日に日に良くなるのだから、ローレルが眠っている夜毎にリンフォードが何かしていたのだろうと思っていたが、間違いはなかったらしい。

素直に首元のボタンに手をかけて、ローレルはリンフォードを横目で見る。

「脱げば良いのか?」
「ゔ……ごふっ。…………いえいえ、こう……手の入る隙間があれば、それで充分です」
「……ぅうわぁ。師匠(せんせい)やーらしーんだー」
「アート?! 起きてたんですか! というか、やらしいってなんですか!」

壁際の長椅子で毛布に包まっていたアートは、ミノムシのような格好で横になったままこちらを見ていた。

「治療が目的ならそこまで動揺しなくて良くないですかぁ?」
「するに決まってるでしょう!」
「えぇー? そーですかぁー?」
「そうです!」
「でも師匠(せんせい)、服の上からでも治療はできますよね?」
「ちょ、直接触れたり、様子を見ながらの方が効率が良いでしょう?! アートこそ誤解を招くような、おかしな言い方しないでください!!」
「やーらしーーんだーー」
「アート?!」
師匠(せんせい)帰ってきたから、俺、隣の部屋に行くね。気になって寝られないし」
「はいはい、好きにしなさい」
「ていうか今度からは、先に俺を部屋から出してくれませんかねぇ?」
「なんですか?」
「もうちょっと気を使えって言ってんの」
「アートにですか?」
「俺を含めた各方面にだよ」

おやすみとアートは毛布を引きずりながら隣の部屋に行った。
そこはそこでソニアがいるので、結局のところ長椅子でミノムシのようになって寝るしかないのだが。

ローレルはそれが気になって聞いてみたが、さすがは王族の部屋。どちらの長椅子も大きさとふかふかさにかけては遜色がないとアートは言っていた。

アートを見送り、ふたりきりになってから、リンフォードは微かに唸りながらローレルに向き直った。

「……そういった下心はありませんからね」
「あろうが無かろうがどうでもいい」
「もう、ローレルさんたら」
「……なんだ? 恥じらいを持てか?」
「そんなふうに憎まれ口を叩かれると、意識してしまいます」
「なんだそれ」
「かわいいと思ってしまうじゃないですか」
「……しまう程度なら心掛けでやめられるだろ?」
「やめませんよ。私が勝手に思っているだけなので、ローレルさんはそのままでいてください」
「……あ、そう」

腹が見えるまでボタンを外し、リンフォードの方に身体を向けるように座り直した。

一瞬身を強張らせたリンフォードは、姿勢を正してローレルと向かい合う。気持ちを落ち着けてから手を持ち上げた。

「では、失礼します」
「うん」

肩の辺りから寝巻きの中に手を差し入れて、目を閉じると口の中で詠唱を始めた。

ローレルが今までに聞いた詠唱は、文章を読み上げるようなはっきりとしたものと、節がついて歌のようなものがあった。

何か理由があって使い分けられているのだろうが、ローレルにはよく分からない。

今のリンフォードが口の中で言っているそれは、抑揚があったり同じ節を繰り返したり、鼻唄を歌っているようだった。

聞こえていても知らない国の言葉だったり、解る言葉でも文章にならない単語の羅列だったりの印象が強い。

他の魔術師はこの国の言葉で朗々と目的を発言していたような記憶がある。

きっとその辺りが他の魔術師とリンフォードとの違いと差なんだろう。


体に置かれた手は、一定の強さで押さえられて傷の上を滑っていく。温かく感じるのは魔術のせいなのか、それともリンフォードの手が温かいのか、とぼんやりと考えた。
内側の痛みが少しずつ引いて、おまけに聞こえる鼻唄で、ローレルはうっすらと眠たくなっている。

終わりましたとリンフォードは手を引いて、ついでにボタンを下から留めていく。

「眠くなりましたか?」
「……うん」
「体力使ってますからね」
「うん?」
「細かい話はまた今度……横になりましょうね」

さくさくと寝台の中にローレルを仕舞うと、リンフォードは上から覆い被さるように、ローレルの頭の横に手を突いた。

「ソニアから聞いてますよ。ちゃんと食事をしないと駄目です」
「……たべるきが……」
「出された分は全部食べてください」
「……んー……」
「久しぶりにローレルさんと話ができて嬉しかったです」

返事のように息を吐いていたが、声にはなっていなかった。

ローレルが規則正しく息をしているのを見ているだけで、胸が締め付けられる思いがする。

いつまでも見ていたくて、離れ難くて、ローレルの長い髪を横に流し、そのまま頬を指先で撫でた。

「おやすみなさい、ローレルさん」




朝になってローレルがソニアに起こされた時には、リンフォードはもう出かけた後だった。



その日の午後には部屋に大きな机が設置されて、リンフォードはそこで書類を書いたり、怪しげな薬を作ったり、怪しげな術を繰ったりして、部屋からあまり出なくなった。

師に代わり使いに走り、頻繁に部屋を出入りしているアートの方が忙殺されそうになっている。

ローレルはまだ寝巻きのままだが、寝台から下りて窓辺に置かれた椅子に座るまでは怒られなくなった。
それから少しの時間なら、見舞いの誰かと会えるようになる。

とはいえ今はとにかく人手が足りない状態なので、隙をみてわざわざ会いに来てくれるのはスタンリーかジェイミーくらいしか居ない。
と、ローレルは思っているが、それ以外の面会はリンフォードがばっさりと断っているのが正解だった。



スタンリーたちも手短にと約束させられているので、賑やかに話すだけ話して、少しからかって、すぐに帰っていく。

その間だけはリンフォードも手を止めて、会話の中に入って休憩をしていた。

「お前なんかどんどん痩せ……やつれてるよな」
「筋力が落ちた気がする……ちょっと歩こうとするだけで怒られるんだ」
「大怪我なんですからね、当たり前ですよ」
「まぁ、あんだけばっさりやられたんだ。まだ寝転んでろって時期だわな」
「だからちゃんと食っちゃ寝してるぞ」
「需要と供給が合ってないんですよ、もっと食べてください」
「そうだぞ、ローレル。これ以上肉を落とすな。その凹凸が無くなるのはもったいない」
「なぜお前が惜しむんだ」
「そうですよ、全部私のものですからね!」
「お前も何言ってるんだ」
「あー? お前とか言っちゃうんだ?」
「そうなんですよ! 時々は軽口を叩いてくれるんです!」
「へぇぇええ?」
「スタン忙しいんだろ? もう帰れば?」
「邪魔者扱いかよ」
「そうじゃな……」
「まぁ、実際に邪魔ですからね!」
「違うぞ」
「なんだよぅ、ちょっとは休ませてくれよぅ」
「おいこら。人の話を聞け」

窓辺の卓でぐってりとうつ伏せたスタンリーの腕や体がぶつからないように、茶器をささっと避けてやる。

スタンリーは地下牢に詰め込んでいる文官や騎士たちの見張りをしつつ、個別に話をしながら新王に仕えるに値する者を選ぶという役目を任されていた。
スタンリーに一任ではなく、数人ひと組でふるいにかける重要な仕事の真っ最中だ。
体力ではないところを使っているので、普段の倍以上疲れて、スタンリーこそやつれた風情だった。

「私に構ってないで、休むならちゃんと休め」
「それはそれできちんとやってるわ」
「……なら良いけど」
「怪我人が気ぃ遣ってんなよ」

スタンリーは器に残った冷めたお茶を飲み干すと、よっしゃと吠えながら勢いよく立ち上がる。

「じゃあまたな、ローレル」
「ありがと」
「おう、良い子で寝てろよ」

びしとローレルのおでこを指で弾くと、スタンリーは笑いながら仕事に戻っていく。

リンフォードは無言でローレルの赤くなった額を手のひらで揉むように撫でてから、器を片付け始めた。

「何というか……貴女たちはみんなちゃんとしてますね」
「うん? どこがだ?」
「素直な気持ちがちゃんと、言葉や態度に表れています」
「わかりやすくしないと……頭悪いからな」
「ふふ……そういう意味じゃないですよ」
「そうか?」
「私も見習わないといけませんね」
「貴方は捻くれてるもんな」
「あ、貴方呼び」
「なんだよもう、敬意だろ」
「あ、そうだったんですか?」
「それ以外に何があるんだ」
「壁なのかと」
「かべ?」
「距離を取りたいのかと」
「うんまぁ、それもある」
「………………寝台に戻りなさい」
「罰みたいになってるぞ」
「苦い薬も飲ませます」
「罰じゃないか」
「貴女のためですよ?」
「数ある中でその言葉が一番信用ならない」

ふむと息を吐き出して、リンフォードはしばし天井を見上げて考えた。

「言い方……ですよねぇ? 難題です」

ローレルの手を取ると立ち上がらせて、寝台の方へ連れて歩く。

「座ったままで話をするのも、人と会うことも疲れるはずです。休みましょうね?」

ローレルがきちんと寝転ぶのを見守って、上から布団をかけてやる。

「今はまだ体を大事にすることに専念しなくてはいけませんよ」

額に手のひらを当て魔力をゆっくり注ぐようにすると、ローレルから大きな舌打ちが出る。

「強制か」
「誘導です」
「……くそったれ……」

ローレルの中で乱れている魔力の流れを、一時的ではあるが整えてやる。
それだけで無意識に張っていた気が緩んで、楽に眠りに入る。

悪態を垂れた割には安らかな寝顔をしているローレルに、ふと笑い声を漏らした。

「そうですね、素直に表すことができない私はクソですね」


斬られた傷はもちろんだが、その原因が破術の剣であったのは、魔力の少ないローレルにも大きな影響を及ぼした。

血のように身体中を巡っていた流れが、断ち切られて滞るのだから、ローレルの肉体はそれをどう補おうかと、見えない部分がそれこそ今まさに必死のはずだ。

リンフォード自身が、魔力の塊のようなダルトワに破術の剣を振るって、やっとそこに思い至った。

ただ傷を治すだけでは足りない。
ローレルに備わった体力や魔力任せでは、そのうちに保たなくなってくる。

何よりローレル自身が生きる気力を失っているように見える。

誰かと会話している時の笑顔が、薄く貼り付けたようなものになっている。

皮肉を言う顔も、腹を立てたような顔も。

いつもと変わらないように見えていて、ならどこがとは言えないほどの違和感がある。



その顔を見ているだけでこちらが苦しくなってくる。



儚く消えてしまいそうで、そうなったらきっと。

堪えられなくなって全てを放り出す。

大切な人を失う虚無感。
あんな思いはもう二度と、絶対にもう二度と味わいたくない。

だからもう今以上に大事な人は必要ないと。

人生をかけてでも仕えるべき王や、導くべき弟子がいるのだからもう充分なのだと。

思っていたのに。



「……一周回って腹が立ってきますね」


ぎゅむとローレルの頬を摘むと、薄らと眉間にしわが寄る。

摘んだ頬を撫でて、ついでに眉の間も撫でておく。

「……はぁぁあ……好きが止まらないのも怖いですね」

寝台を離れて仕事でもしながら気を取り戻すことにする。



「本当に厄介です」



ローレルが起きている時に素直にできない自分が一番に厄介だと思いながら、胸の中の重苦しい空気を全部吐き出した。










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毛布に包まってミノムシの状態で
師匠たちの会話に割って入るタイミングを計る。

心臓ばっくばくのアート君(15歳)はただいまバリバリの思春期(笑)




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