「そうくると思いましたよ」賢明の魔術師は、秀麗な騎士をはなしません。⇔蓮雨ライカ
「はなしませんよ」
器の中には煮とかされた野菜や肉の欠片が浮いていて、それらをスプーンで掬ってみたり、ゆっくりかき混ぜてみる。
作ってくれた者に失礼な気になって、スプーンから手を離した。
向かい側に座って食事をしているアートが、気遣わしげにこちらを見ている。
側に控えているソニアからも同じような視線は感じていたので、下げてもらって構わないという気で器を少し押した。
「……もういいの?」
「ああ」
「半分も減ってないよ?」
「そうですよ、そのお皿くらいは召し上がってください」
「いや……用意してもらって悪いけど」
「お口に合いませんか?」
「違う……お腹が痛いんだ……すまないけど」
子どもの言い訳みたいだけど、他に思い付かない。
本当は味なんて感じない。
砂や泥水だって少しくらいは味がするだろうに。
おかしいのは自分だと分かっていても、ローレルにもどうしていいのか分からない。
「……気分を変えてさ、明日は外をちょっと歩いてみたりする?」
「いや……邪魔になるだけだろう。誰かの手を煩わせるのも嫌だしな」
「俺はそんなこと気にしないよ?」
「ありがとう、アート。気持ちだけもらっとく」
「……ローレル」
「気を遣わせて悪いな」
「今日は師匠とケンカしてないから元気出ない?」
困ったように笑ったアートに、同じように笑い返してみる。
リンフォードは朝早くから呼び出されて、夕刻になった今もまだ戻ってこない。
「お前の師と今までケンカなんてしたことないぞ?」
「堂々と嘘つかないでよ」
「……周辺国から使者が来てるって?」
「あー……うん。復権の祝いとか、今後の調整とかって……あ、そうそうそれからね……」
城内の動きを聞くと、アートが知る範囲で答えてくれるから、聞き役に回ればいい。
知りたいことはなくても、話す側にならなくて済むのは気が楽でいい。
自分でもよく分からない自分のことを、適当に答えられるほど、頭が回らないし、話術もない。
話が長く複雑になってくると、ソニアが止めて寝台に送り込んでくれるのもお決まりの流れになってきた。
寝台で横になっていると、疲れた様子を振りまきながらリンフォードが戻ってくる。
「帰りましたよ、ローレルさん。今日はどうでしたか?」
「いい子にしてた」
ソニアから報告は聞いているだろうに、わざわざ確認しなくてもと思う。
疲れているんだったらさっさと休めばいいのにと早く話を切り上げようと試みる。
「そうですか? 聞いた話と違うな。緩慢な自殺中なんでしょう?」
「師匠!!」
「アートは隣に行きなさい」
「でも!!」
「邪魔されずにふたりで話したいんです」
「……ローレルに酷いこと言わないで」
「そんな気はありませんよ」
「……約束だからな」
アートが隣の部屋に入るのを見送ると、リンフォードは寝台に腰掛けて、ローレルの方を向いた。
「……さて。先ずは治療をしましょうか」
出された手をゆっくりと払う。
不可解そうな顔をするリンフォードに、口の端を持ち上げた。
「……もういい。充分塞がってるし、痛みも無くなった」
「痛くないようにしてるんです。充分塞がってるのも表面だけです、内側はまだ違う」
「緩慢に自殺してるんだ、放っておいてくれ」
「……図星だから腹が立ちましたか?」
「そうだろうな」
「ローレルさん」
「なんだ?」
「何がしたいですか?」
「うん?」
「これからのことです。何かしたいことは?」
「今はなにも……」
「……なるほど。ローレルさんは大きな何かを成し遂げたんですね? それは何ですか?」
「それを言ってどうなる」
「別に……良くやったと貴女を褒め称えたい訳じゃないから安心してください。ただ知りたいだけです」
「……仇を討った」
「あのクソ男?」
「違う……あれを殺したのは貴方……スタンか」
「では倒れていたもうひとりの、副官の方?」
「……うん」
「彼が何を?」
「ジェローム師団長を……」
「あぁ……そうだったんですね」
寝台に乗っているローレルの手にリンフォードはそっと手を被せた。
「ジェローム師団長の仇を討ちたかった?」
「……そうだ」
「ジェローム師団長を慕っていたんですね」
「自分の父よりな」
「仇討ちのために王城に行くと?」
「…………みんなには内緒にしてくれ?」
「ローレルさん」
寝台に乗り上がって、ローレルの両手を引いて体を起こさせる。
そのまま体に腕を回して、ローレルをぎゅうと抱きしめた。
「…………はなせ」
「いやです」
「……苦しいから」
「して欲しかったんです」
「なに?」
「こうして欲しかった」
「……うん?」
「私がして欲しかったんです。何も無くなった気がして、辛くて辛くて、苦しくてしんどくて、もうどうでもいいと思っていた時に……誰でもいいから、こうして欲しかった」
ぴたりとくっついた体は温かくて、締め付けられた背中にも、リンフォードの手のひらの温もりを感じた。
お互いに自分とは違う心臓の鼓動が伝わる。
「……自分がして欲しかっただけですからね。ローレルさん、ちょっと我慢して私に付き合ってください」
囁くような声は後半は掠れて息だけのようだった。
理由は分からないけど溢れて出てくるものを誤魔化したくて、ローレルはリンフォードの首に両腕を回して、肩の辺りでそれを拭った。
悲しいのか嬉しいのか、誰の為の涙なのか。
湿ったような肩の辺りが熱い。
声も出さずに泣いているところがローレルらしいと思いながらも、もっとさらけ出せば楽になれるだろうにと胸が痛い。
それができないからローレルなのだと思い、だから大事にしたいのだと思う。
しばらくお互いにしがみつくようにして、どれほどの時間が経ったのか、ぐずぐずと鼻を鳴らしていたローレルの腕が緩まった。
「…………まだ離しませんよ」
「びしょびしょ……」
「はい?」
「なみだと、はなみずとよだれで」
「……ふふ。心配要りません、もう片方があります」
少し体を離すと、反対側に頭がくるように押さえて、また抱きしめ直す。
「さあどうぞ。さらっと乾いた服ですよ」
「……もう疲れた」
「確かにいつまでもこの姿勢はキツいですかね」
片腕で抱きしめたまま腰を持ち上げると、器用に上掛けを捲って、ローレルの脚を掬うようにして向きを変え、リンフォードが下敷きになるように、寝台にゆっくりと倒れる。
「……私も腰が楽です!」
「離せばいいのに」
「ここの方が布の面積が広いです。さあどうぞ」
胸の上に乗っているローレルの頭をぐいと押さえて、改めて体に腕を回した。
「もう引っ込んだ」
「……ローレルさんにやりたいことが見つかるまで、一緒にいさせてもらいます」
「なに?」
「あ……駄目ですね。見つかってもずっと、と訂正します」
「……なんでそんな」
「ローレルさんが好きだからです」
「……すごくどくどく鳴ってるぞ」
「…………ローレルさんが好きだからです」
その音をもっと聞こうとしているのか、ローレルが頬をぐりと胸に押しつけている感触がして、リンフォードは喉の奥で呻いて、腕の中にあるものをぎゅうと締め付けた。
「……くるしい」
「おっと。すみません、つい」
腕を緩めて、背中にある手でとんとんとそこを叩いた。
「ローレルさんがかわいかったもので」
「理解に苦しむな」
「私がおかしいみたいに聞こえます」
「そう言ってる」
「……まぁ、それでも良いですけどね」
上に何か掛けようと、背中に置いた手を離す。待ち構えていたようにローレルが起きあがろうとするので、ぎゅうと押さえこんだ。
「……もういい」
「嫌ですよ、離さないって言ったでしょう?」
「……迷惑をかけたのは、確かに……悪かった。し、ありがたいと思う……けど、もう……」
「治療を受けます?」
「……いや、もう大丈夫だから」
「食事をとります?」
「……食べたくないんだ」
「……離しません」
もごもご暴れたところで、今のローレルにどうこうできるはずもなく。
力尽きてすぐに諦めると、リンフォードが頭の上でこそりと笑った気配がした。
腹が立つが、言い返す気力も無い。
小さな子どもを寝かしつけるように、背を撫でたり叩いたりをくり返されているうちに、ローレルは小さな子どものように寝てしまった。
上掛けを引っ張ってローレルに被せる。
きちんと寝入ってから移動させる気だったのに、自分もそれなりに疲れていることは計算に入ってなかった。
ローレルの重みと温もりに気持ちよくなって、リンフォードも目を閉じる。
翌朝、顔が真っ赤っかのアートの大きな声で起こされた。
朝食を口元まで運んで食べさせようとしてくるので、やめさせようと自分で食べてみせた。
治療をと迫られたので断ると、アートが愕然となって泣きそうな顔をするので、仕方なく受けた。
風呂に入れようとするから、ソニアはこっ酷く主人を叱り、私に任せなさいと連れて行かれて洗われた。
寝巻きではない衣装を用意された。
派手ではない、年相応の女性用の衣装だった。
髪を乾かそうと待ち構えていたので、それはお願いした。久しぶりだったので、楽しい。
ソニアがやっぱり女の子は良いと、乾いてほかほかしている髪を結う。
男どもは少し離れた場所でにこにことして見ていた。
「ふふ……やっぱりローレルさんの笑顔は素敵です。しばらくはこの感じでいきますよ、良いですね、ふたりとも」
「師匠ぃぃぃ……それローレルの前で言っちゃダメなやつぅ」
「隠しごとの方が駄目でしょう?」
「まぁ、そうだけどさぁ……」
「それでは、ローレルさん。今日は外に出かけてみませんか?」
「……どうせ思ったようにするくせに、なぜ返事を聞く」
「ほんとですね! どこに行きますか?」
「…………もう疲れた」
「いい加減になさいませ坊っちゃま、無理強いはいけません」
「私が自由にしていいと許しが出たのが、今日だけなんですよ!」
「……だったら体を休めろ。私は気にするな」
「知らないならば教えて差し上げましょう。何をしていようが、概ね、大体に於いて、ローレルさんが気にならない時は無いんです!」
「……どうかしてるな」
「そうですね!」
アートに後のことを頼むと、リンフォードはローレルの手を取ってそのまま抱きしめた。
転移の詠唱が始まって、アートが慌ててソニアを引っ張り距離を取る。
「遠いな!! 無理させないでよ!!」
リンフォードは詠唱しながら、にやりと笑ってぱちりと片目を閉じる。
「早く帰るんだぞ?!」
言っている途中でふたりの姿が消える。
無理をさせないことも、何かあれば一番に頼りになる人なのも分かっている。
でもローレルが心配なことには変わりない。
「……ほんとにもう!」
「おふたりはそんなに遠くへ行ったの?」
「行ったの……大丈夫かな」
「アートの方が親みたいねぇ」
身体の中身がふわふわしたりぐるぐるしたのが治まって、ローレルはゆっくりと目を開けた。
周りを見回すと、見覚えがある小さな部屋の中にいる。
「気分はどうですか?」
「……大丈夫……ここ……」
「はい。あ、私が来たかっただけですからね」
「……ここからどこへ?」
「スゥさんにお会いしてみたかったんです。自慢の料理も食べてみたいですし。あと、あの飲み屋の店主さんに挨拶しようかなって。元気でやっているか、気になってましたから」
「……自分の為のように言わないでいい」
「ローレルさんも同じこと思ってました?」
「…………うん」
「私たち、気が合いますね!」
「……ありがとう」
「いいえ、礼なんて要りませんよ。……さぁ、行きましょうか? と、その前に」
離れていきそうになるローレルを抱き寄せてぎゅうと腕に力を込めた。
「やりたいこと、ありましたね」
「……うん」
「こうやって探しましょう、ひとつずつ」
「……うん」
「泣いていいですよ?」
「ふふ……今ので引っ込んだ」
「あらら。台無しでしたか?」
「いや……見直した」
「う…………ぐ。褒めないでください、慣れてないので」
「……首が真っ赤だな」
「首だけじゃないですよ」
リンフォードが持ち直して、元の状態になるまで、背中に回った腕は緩まなかった。
ローレルが城を出てから二年間過ごした町を、ふたりはゆっくりと歩いた。
働いていた飲み屋をのぞき、店主や常連客に迷惑をかけたことを謝った。
少しも気にしない素振りで、変わらない態度で接してくれたのがありがたい。
見慣れない女性らしい衣装のローレルには遠慮して触れず、リンフォードには容赦なく体のどこかしらをびしびしと叩いていた。
また来いと笑顔で送り出してもらう。
その足でスゥの店に向かった。
大きな通りを離れて、少しだけ静かな方へ。
川に架かった細い橋を渡ったところ、鍋から出た湯気が花を付けたつた草になっている鉄看板を目指す。
開け放たれた入り口からこそりと中をのぞくと、スゥは目敏くいらっしゃいと声を張った。
お客だと思ったのがローレルだと分かると、持っていたものを放り、カウンターを壊す勢いで飛び出してきた。
泣いて、笑って、怒る、を短い間に順にやってみせてローレルを抱きしめる。
私を差し置いて細くなったのが許せないと、たくさんの自慢料理を出してくれた。
リンフォードとふたりでもとても食べきれない量だったので、周囲のお客と分け合った。
終始嬉しそうにしているリンフォードに、ローレルも同じような笑顔を返す。