「そうくると思いましたよ」賢明の魔術師は、秀麗な騎士をはなしません。⇔蓮雨ライカ
「まだたりませんよ」
それからの数日は穏やかだった。
ローレルの口数も少しずつ増えていき、食事の量もそれは同じく。
昼間に眠ることはなく、夜も細切れのように起きることが減ってきた。
ひと時落ち着いて静かだった城内も人の動きが目に見えて増えてきた。
先ず城の維持に欠かせない小間使いや下働きから精査が終わり、問題無しとされた者が忙しく動き回っている。
その次に下官や下級騎士の登用も進んでいる。
上がったままだった城門前の跳ね橋も下ろされて、城外から商人に限っての行き来も始まった。
王位を奪還すればそれで終わりと、そこまで甘く考えていなかったが、新たな国の興り、やらねばならぬことは減るどころか増える一方、それもこれも人手が足りない。
与えられている王子の部屋は静かなものだが、リンフォードもそれなりに忙しい。
城内に留め置いている者をどのように検するか、要は誰が味方で、どれほどの敵がいるのか。
言葉ではどうとでも良く思わせることはできる。そこで使われるのが魔術だ。
魔術師相手には使えないが、それ以外にはかなりの効果がある。
リンフォードは嘘や偽りが言えなくなる類の術を小さな紙片に落とし込んでいく。だがそれの使用は一度きりなので、調べる人数分、回数分とが必要になってくる。
アートも手伝いはしていたが、補佐的なことしかできない。
リンフォードは食事をする以外の時間をほぼそれらの作成に充てていた。
夕食の後にもうひと仕事、と立ち上がるリンフォードをローレルは見上げている。
「どうかしましたか?」
「……いや、疲れた顔をしているから」
「生産が追い付かないんですよねぇ」
「そんなにたくさん必要なのか?」
「……あ、私の魔力の生産の方です」
「あぁ……そんなに大掛かりな術を?」
「人の精神に関わるものですからね。手を抜くほど相手に負担がかかります」
「負担? とは?」
「普段隠していることが隠せなくなる術なんです。無理矢理こじ開けるような真似をすると、精神病みますし、悪くすれば人として生きていけなくなりますから。まぁそれなりの配慮をしなくてはいけません」
「そ……んな術を?」
「そこまで強力ではないにしても、数がねぇ?」
「そうだな……嘘がつけなくなるということか?」
「つけますよ」
「は?」
「つけますけど、かなり痛いです」
「痛い……」
「針でぶすぶす刺される程度に」
「我慢しようと思えばできるのでは?」
「あー……スタンリーと同じこと言うんですね。そう言った彼は、ふたつ目の質問でもう無理だって叫んでましたけど」
「……それは」
「ローレルさんもやってみます?」
「しないよ」
「させませんよ!」
「なんで聞いたんだ」
「ふふふー。私はこれからもうひと仕事するので……ローレルさん、私に応援のつもりでいつものやつお願いします」
「いつものやつ?」
ローレルがわずかに首を傾げると、リンフォードは席を回り込み、手を取って立ち上がらせた。
いつものやつですとローレルの腰に腕を回して、ぎゅうと抱きしめる。
「いつもやってたか?」
「はい。ローレルさんが寝てる時でも遠慮なく」
「…………嘘つくな」
「あ、バレました?」
「何かされれば気付く」
「……ですよね。調子が戻ってきましたもんね……まだまだ本調子とはいかないようですけど」
「……いいから離せ」
「よく聞いてください、ローレルさん。人には色々な栄養が必要です。肉や野菜、果物……砂糖も塩も、水もです」
「……それが?」
「今の私に足りないのはローレルさんですよ!」
「…………うーん。師匠、どうして俺らの前で平然とそんなことできるかな」
「あ。いたんですか?」
「いるでしょ、そりゃ。みんなでごはん食べてるんだから」
「こういう時はこっそり居なくなるもんですよ」
同じ食事の席に着いていたアートは呆れたと言いたそうな顔、その後ろに控えたソニアは情けないといった表情だった。
はいはいと立ち上がり、食器を片付けるソニアを手伝い始める。
私もとローレルがもごもご動きだす。
「あーローレルはいいよ。師匠の栄養分になってあげて」
「いやもういいだろ」
「まだ足りませんよ!」
「……ほらね」
手早く卓の上を片付けると、アートとソニアはさっさと部屋を後にしようとしている。
出ていく手前でアートはそうそうと振り返った。
「ローレル、今日は治療がまだだからね」
「あ、そうでした」
「師匠やらしいことしないでよ」
「しませんよ、今は!」
「……この先もずっとだ」
「そんなの無理に決まってます!」
「はいはい、後はふたりでごゆっくり」
おやすみとアートはやはり呆れた顔のままで扉を閉じた。
ローレル分が足りるまでむぎゅむぎゅと抱きしめて、本格的に怒りだす手前でリンフォードはローレルを寝台まで連れて行く。
いつものように治療して、ローレルを寝かせ、上掛けを被せる。
その上にリンフォードがのっしりと、ローレルの腹を枕にするように寝転んだ。
「んふふーローレルさーん」
「……なんだ」
顔を覗くと、相当に疲れた様子だ。
生産が追い付かないと言いながらも、治療の手を抜かない。
前に見た『魔力すかすか』の状態に近いのは見てとれた。
「ローレルさんんんん」
頭をぺしぺしと叩くと、ぐりぐりと腹に顔を押し付ける。
放っておけばそのうち満足するだろうと、ローレルは上掛けをぐいと引っ張って横向きになった。
それでも腰にぐりぐりと頭を押し付けている。
「ローレルさん……」
「はいはい」
「…………ローレル」
「…………さん、付けろ」
リンフォードががばりと起き上がって顔を見る為に覗き込もうとしているので、それは腹立たしい気がしてローレルは枕に顔を埋める。
「ぇぇぇ…………っくりした。あまりのかわいさに心臓が止まったかと思いましたよ」
「………………は?」
「はぁぁ……元気が出ました。もう少し頑張れそうです」
「そうか、なら頑張れ」
「はい、では。おやすみなさい、ローレル『さん』」
ご機嫌な様子でリンフォードは寝台を離れると、作業机で仕事を始める。
しばらくは小さな物音や微かな詠唱の声を聞いていたが、ローレルはすぐに眠ってしまった。
翌日にはローレルに来客があった。
ケガと体調を理由に何度も断りはしていた。
その人物の立場を鑑みて、どう良心的に考えてもローレルを案じて面会を求めているとは思えない。
しかし何度も熱心に会いたいと相手に募られ、そこまで言うのならとローレルに聞いてみれば、是非と会うことには前向きな返答だった。
リンフォードも同席、屋外でならと条件付きで、会うことになる。
王城の前庭。
美しく整えられた緑の絨毯と、四阿のある場所でその女性はすでに待っていた。
顔を見た途端、お互いに駆け寄って、抱きしめ合う。
「イヴェット……」
「ローレル、会いたかった……大怪我をしたと聞いたわ。大変だったわね」
「ああ、うん。もうだいぶ良くなったよ、心配かけたね」
「……ええ、でも立ったままじゃいけないわ。座ってゆっくり話をしましょう」
「うん……イヴェット、久しぶり」
「本当よ。手紙のひとつも寄越さないなんて」
「お話中に失礼、ローレルさん?」
「うん? ああ、紹介するよ。イヴェット ウォートリィ ピアス……友人だ」
「ご友人?」
「……そうだ」
「そうですか……お名前だけは存じ上げています。リンフォードと申します、本日は同席させていただきますね」
「ええ、構いません。どうぞお掛けになって」
淑女然と背筋を伸ばし、美しく座っているイヴェットに、ローレルは薄く笑ってその手を取った。
イヴェットもその上に手を重ねてゆるく握り返す。
「ご実家にはどう言っているの? このこと、連絡はしたの?」
「ああ……いや。私は死んだものと思われているだろうから」
「もう、そんなこと言って……伯父さまも伯母さまも心配しているに決まってるのに」
「どうだかな」
「貴女っていつもそうなんだから」
「多分ずっとこうだぞ?」
顔を見合わせてふたりはくすくすと笑い合うと、イヴェットはたっぷりと間を取って話し始めた。
「ローレル……今日は聞きたいことがあって来たのよ」
「うん……分かってる」
「私、あの人が大好きなのよ? 知ってるわよね?」
「知ってる……私も好きだよ」
「そうかしら? 『あの日』……朝早くに貴女が城に帰ったという話は本当?」
「そうだよ」
「あの人を見て思い出したことがあったのよ……ローレル、貴女、左利きだったわよね」
「うん」
「あの人の胸、右側に深い傷があった」
「……うん」
「あの人を殺したのは貴女?」
「…………そうだよ」
「…………そう」
ローレルの手を払うようにして、イヴェットは立ち上がる。
それを静かに見上げているローレルの横で、リンフォードはわずかに腰を浮かせていた。
「なら私に殺されても貴女は文句を言えないわね」
「うん」
「私は文句を言いますよ?」
「ではリンフォードさん。私がローレルを殺して、貴方が私を殺して、それでお仕舞いにするのはいかが?」
「イヴェット……」
「この先あの人の咎が問われる。妻である私も同罪。ピアスの家は無くなるでしょう?」
「そうとは限らない」
「……それより何より、クライヴが居なくなって、私がこの先を生きている意味なんてあるのかしら」
ぽろぽろと転がり落ちた涙は、イヴェットの黒い衣装の上もころころと転がり落ちていく。
身体の横で震えているイヴェットの手を、ローレルは握りしめた。
「……こればかりは謝れない。イヴェットが心の底から悲しんでいるのは解る。でも、私は謝れない……それをしたら……」
「分かってるわ……あの人が間違ったことをしたのも、ローレルがそれを正そうとしたのも……でも、だからそれが何だというの?」
「……イヴェット」
「貴女を殺したいほど憎い」
「…………うん」
「死んでちょうだい」
「…………うん」
「それは駄目です」
イヴェットが前に突き出した手をリンフォードが止める。
小さなナイフは、リンフォードの手のひらに鍔の所まで刺さって、そこで止まった。
イヴェットとリンフォードの間で、ぱたぱたと灰色の石床に血の水玉が散る。
血を流したのはリンフォードではなくイヴェット。
ナイフを持っていた震える手を、反対の手で押さえると、数歩下がってその場で床に座り込んだ。
「すみません……痛過ぎて思わず反撃してしまいました。怪我をさせる気はありませんでした。……治療をしましょうね」
魔術でアートを呼び、転移で現れてすぐに状況を見回して、怒りの表情を露わにする。
「何してんだよ! 大の大人が揃いも揃って! 馬鹿ばかりじゃないか!」
手元に清潔な布を呼んで、一枚をローレルに放ると、アートはイヴェットの前に屈み込んで止血を始めた。
ローレルはナイフが刺さったままのリンフォードの手を取って、固定のためにその上からぐるぐると布を巻き付ける。
「利き手を出すか」
「咄嗟だったんですから、出るのは利き手ですよ」
「出さなくて良かったのに」
「は? ふざけたこと言ってんじゃないですよ?」
「イヴェット……こんな小さなナイフじゃ、貴女の腕では殺せない。もう少し大きくて、それで、この男の居ない時でないと」
「ローレル! 俺の前でそんなこと言うな!」
「アート……」
イヴェットに巻いた布をきつく縛ると、アートは振り返ってローレルの襟元を両手で掴む。
「俺の……前で、言うなよ……師匠の……前でも」
ぐらぐらと揺さぶられて、ローレルはアートの頬に両手を添えた。
「悪かった……済まない」
その手を頭に持っていき、くしゃりと髪の毛をかき混ぜる。
「アート……どうかイヴェットの傷を治してくれないか?」
「うぅぅぅ……ローレルのばーか!!」
「……うん……ごめん」
「師匠はもっと馬鹿!! しばらくそのまま痛がってろ!」
「……そのつもりですよ」
イヴェットの治療を済ませ、それからアートはすぐにスタンリーを呼んできた。
城門で留め置かれていたイヴェット付きの侍女も同じく連れて行かれる。
よろしく頼むと言ったローレルに渋い顔を見せて、スタンリーはいつものように軽口を叩くことはなくその場を去った。
スタンリーもイヴェットとは友好関係だった。
クライヴととても仲の良い夫婦だったということも、ローレルとは親族で友人でもあるということも、もちろん知っている。
「ローレルさんには言いたいことが山のようにあります」
「俺からも師匠に言いたいことがあるけどね」
「ではお先にどうぞ」
「……腱は切れてない?」
「指は動きますから大丈夫でしょう」
「ほんと馬鹿」
「そうですね」
「会わせないようにしてたのに、なんで……」
「いつかはこうなってましたよ……ねえ? ローレルさん」
「……急がなければよかった」
「ぁあ゛?! なんて?!」
「……それはどういう意味ですか、ローレルさん?」
「どう過ごしているのか、ずっとイヴェットが心配だった……自分で確かめようとせずに、誰かに様子を聞けばよかった」
リンフォードとアートは揃って同じようにため息を吐き出した。
顔を見合わせて無言のやり取りをする。
ローレルもイヴェットも。ふたりともが気が落ちて弱っていると分かってはいたが、仲の良い友人同士であればあるいは、と希望もあった。
惨事には至らないだろうと踏んで、何かあればリンフォードが自ら対処する気だった。
ただリンフォードの想定よりもイヴェットの意志は強かった。
そしてやはり、ローレルはそれを受け入れて然るべきと言葉や態度で表した。
「その点は同意ですね。そこに思い至らなかった私は阿呆でした。このまま会わず、話もせず済めばと思って隠してすらいました。すみません」
「…………そうか」
「責めないんですか?」
「貴方を? それでどうなる」
「少しは気が済むでしょう?」
「……済ませてどうなる」
「……ローレルさん、私は貴女が好きです」
「……それは前に聞いた」
「好きですよ」
だから、とそれに続く言葉は。
きっと今のローレルには分かってもらえない。
ゆっくりと少しずつ。
そうしている余裕があるのか、今のローレルを見て、リンフォードは考えを巡らせる。