「そうくると思いましたよ」賢明の魔術師は、秀麗な騎士をはなしません。⇔蓮雨ライカ
「いとしいです」
荷物をまとめましょうと言った直後に、リンフォードは紙を取り出してそこに何かを書き付けだした。
ローレルと目が合うとにこりとして、薬の材料と調合の方法ですと笑う。
村にいる心配な数人分の処方を記して、持っていた薬草も全て食卓の上に並べた。
いつもの習慣で、今朝出かける前には家の中を整えていたので、ローレルは部屋の隅にまとめていた荷を取ってくるだけで準備は済んだ。
揃って村長の元へ行き、予定より早く村を出ることを詫びる。
ついでにまた騎士たちが押しかけるだろうことを告げて、迷惑をかけることも謝った。
「馬は預かっておいてもらえますか」
「ああ……それは構わないが」
「そのうち取りに伺います」
「……分かりました」
「よろしくお願いしますね」
小さな皮袋を村長の手の上に乗せる。
その音と重みで、それなりに大事に扱うことを表情に出して見せた。
村を出て、西の方面へ。
生い茂った木々でふたりの姿が見えなくなる辺りまでは急ぐ様子を見せずに歩く。
「これからどうするつもりだ」
「町に戻りましょう」
「馬も無しでか?」
「馬より早いですから」
「転移を?」
「そうですね」
「そう頻繁にできるのか?」
「できるんです」
リンフォードはふふと笑うと、ローレルの手を取り短く詠唱する。
そのまま手を引かれて一歩踏み出した時には、また先程の転移陣を埋めた山頂に戻っていた。
ううんと唸ってリンフォードは視線を上に向けている。
「ローレルさんと私、どっちを追いかけますかね?」
「……どうだろうな。二手に分かれるか?」
「ああ、いえ。そういう意味ではなくて……例えばローレルさんだと、地の果てまで追われると思います?」
「いや、そうはならない。いくらなんでもそこまで暇じゃないだろう」
「期限があると」
「だな」
「どの程度だと予想します?」
「……ひと月か」
「その根拠は?」
「そのくらいで遠征の期間が終わる」
「なるほど」
遠征が終われば騎士団は国の中央に戻らねばならない。
それまでの期間は自由に、とまではいかないだろうが、ある程度は時間と人員を注ぎ込むことは可能なはずだとローレルは付け足した。
ローレルが国を出奔してこれまで、何の追手も無かったのが深追いをされない証左だ。
「追手はあっても、たまたま今まで見つからなかっただけでは?」
「さぁ……だとしても、私一人を見つける為に人員を割くか?」
「失礼ですね! ローレルさんの価値はもっと高いですよ!!」
「どっちの側の意見だそれは」
「では魔術師が騎士に魔術を放った場合はどうですか?」
「聞かなくても分かるだろ?」
「……ですよねぇ」
何らか罰せられるか、報復されるまで追手はしばらくは諦めない。
それはローレルが追われるよりも長い期間だと予想は易い。
「執念深そうでしたもんねぇ」
「矜持が強いからな」
「やっぱりそうなんですねぇ……とりあえず町まで戻りましょう。目を閉じて楽にして下さい。ちょっと距離が長いので、酔いますよ」
「馬で三日の距離を戻るのか」
「ですねぇ」
「戻れるのか」
「言っときますけど、ほいほい出来る訳じゃ無いですからね。実際に馬での移動の方が楽なんですよ?」
「……なら馬で良くないか?」
「私を連れてたら追い付かれませんか?」
「……まあ」
「足手まといになりたく無いですよ」
「やっぱり二手に……」
「それじゃあ愛の逃避行にならないじゃないですか!!」
「……どこに拘ってるんだ」
ついさっき地中に埋めた陣の上にローレルを引っ張って行き、リンフォードはいつもより長めに詠唱をしている。
地に足は着いている感覚があるが、身体がふわふわとしてきた気がして、ローレルは目を閉じた。
すぐ後にリンフォードにぎゅうと抱きしめられる。
転移での長距離移動は、ローレルにとって初めてのことだった。
というより、転移自体あまり経験がない。
戦の時に敵陣に飛ばされたことは数度あったが、その時は近距離で、術者もこんなにぴたりとくっ付いていなかった。
側に居るか、軽く触れる程度で済む距離の移動ではないということかと認識する。
身体の中身が持ち上がったり下がったりする感覚に、ローレルは浅く息をして、気を紛らわすためにゆっくりと数をかぞえた。
たっぷり十を数えた頃に、耳元でリンフォードが囁く。
「もう目を開けても良いですよ」
顔を上げて前を見ると、すぐにリンフォードと目が合った。
鼻先が触れそうになるほど近くに顔がある。
このまま離れるのかと思えば、リンフォードはまた抱きついてきて、ぐってりと体重を預けてきた。
ローレルは慌ててそれを支える。
「大丈夫か?」
「んふふー……疲れました……」
転移して来たのは、室内だった。
狭く質素な造りの部屋で、周りを見回して椅子を見つけると、ローレルはそこまでリンフォードを半ば抱えるようにして連れて行く。
背中の荷を外して、そこへ座らせた。
「わぁ……ありがとうございます」
「いや、こちらこそ。礼を言う」
「気分は悪くないですか?」
「私のことは気にするな」
「なりますよ、血の気のない顔して」
「貴方こそ真っ青だ」
ローレルは床に両膝を着いて自分の背から荷物を下ろす。
椅子に座っているリンフォードを見上げた。
「しばらく休めば平気です」
「……ここは?」
「私が借りている部屋です……店のすぐ近くですよ」
立ち上がって腰高の窓から外を見る。
建物の二階らしく、下を忙しく行き来する人々が見えた。
通りには見覚えのある店や家が、見慣れたのとは違う角度で並んでいる。
ローレルが働いている店と同じ通り、二区画ほど離れた場所だった。
「ローレルさん?」
「うん?」
「追手がここに来るまで、どれくらいかかるでしょう」
「あの村でここのことを?」
「うーん、それですよ。はっきりとでは無いですけど村長さん含め何人かに……」
「知られたと思った方がいいな」
「ですよね」
「なら一日、二日だな」
「ははは……思ったより早い……店のことはすぐに知れますよね?」
「だろうな……流れ者の行く場所はそれほど多くない」
「どうされますか?」
「なにを?」
「このまま店に戻って、今まで通りに過ごせませんよね」
「そうだな……残念だけど」
「ローレルさんにふたつ提案します」
「うん?」
「ひとつは、ローレルさんを隣の国のイーリィズにお送りして、そこでさようならすること。もうひとつは……」
「もうひとつは?」
「……善良な魔術師である私を巻き込んだことに負い目を感じた心優しいローレルさんが、責任感からしばらくは私の手助けをすること……以上の二点です」
ローレルは肺の中の空気を全部吐き出して、ぐとリンフォードを睨んだ。
額の中央に力が入っていく。
「やぁ……今日は不機嫌な顔が多いですね」
「言い方がどうにかならないか」
「泣きながら惨めったらしく助けを乞えばいいですか?」
「その言い方のことだ……」
「ローレルさんの人の良さに漬け込もうとするんだから、言い方はどうあれ、結局は同じことでしょう?」
「口にしなければ私は気が付かず、喜んで手助けするかも知れないぞ?」
「いいえ、貴女はすぐに気が付いて、腹を立てて、でもそれを言わないでしょうね。優しいから」
「それは優しいと言えるのか?」
「人を大事にする……そんな貴女がいとしいです」
「…………その……時々人を下に見るのはなんなんだ? 性分か?」
「あれ? 出てます? そういうの……生まれと育ちのせいですかね?」
「聞かれてもな」
「ローレルさんを下になんて見てませんよ」
「どうだか」
「ローレルさんに他の考えがあるなら、私の方がそれをお手伝いしますよ」
「無いのが悔しいな」
「ふふ……なら、もうしばらくお付き合いをお願いしますね」
店を介してではなく、ローレルは個人としてリンフォードに雇われることを改めて確認した。
しばらく体を休めて、ローレルは店に向かう。
こちらの後始末にも律儀に立ち会うと、リンフォードはふらふらしながらも付いて来た。
店に到着してすぐに店主を呼んで、ことを簡単に説明する。
店主は難しい顔をして聞いていたが、最後にはひとつ頷いた。
「ハーティエの騎士が来ると思う。迷惑をかけて申し訳ないけど、お願い」
「……まぁ、しょうがないわな」
「ありがとう、助かる」
「で? どこへ行く気なんだ?」
「それは、悪いけど……」
「分かった……スゥには会うのか?」
「このまま会わずに行った方がいいと思う。借りてた本を返すって伝えて。そう言えば分かるから」
「そうか……任せろ」
「ありがとう」
流れ者が行き着く場とは言え、余計な口を聞かず、後ろ暗そうな、しかも女を雇ってくれた。
この地で生きる足掛かりをくれた店主に、ローレルは苦く笑顔を返した。
スゥにも申し訳ない思いしか無いが、会えばきっとこれからかけるだろう迷惑を許してくれそうな気しかしない。
それは本当に心苦しい。
なんて薄情で、なんて迷惑なんだろうかと思ってくれた方が、心残りが少なくて済む。
今まで働いて貯めた金は、本棚の中、スゥが言葉を教えるのに使っていた本の後ろ側に隠してある。
スゥならきっとすぐに見つけられるはずだ。
家賃と迷惑料だと思って受け取ってもらえたらと考えた。
「あんたに連れて行かれるとはな」
「愛ゆえなんで、許してくださいね」
「俺の方が先に鎌かけてたんたぞ、横から攫っていく気か、こら」
「…………どんどん真実が歪められていく」
「何言ってんだローレル。俺は散々お前を口説いたぞ」
「そんな記憶はないけど?」
「お前が片っ端から袖にしただけだろが」
「ちょっと待って下さいローレルさん、そんな話は聞いてないですよ?」
「私も初耳」
ははと快活に笑うと、店主はローレルの肩を抱いた。
厳しい顔をリンフォードに向ける。
「ウチの看板だ、下手こいたらタダじゃ済まさねぇぞ?」
「しかと心得ました」
「元気でな、ローレル」
「みんなにもよろしく」
「泣き濡れる野郎どもを数えといてやる」
「そんなローレルさんを私は独り占めできるんですね!」
「怒った野郎も数えといてやろう。一人目は俺だ」
「なんですかね、これ。優越感? 気分が良いですね!」
「考え直せ、ローレル。こいつどっかおかしいぞ」
「…………そんなの最初から分かってた」
「…………まぁなぁ……ほとぼりが冷めたら寄れよ」
「分かった……じゃあね」
「ああ、元気でやれ。あんたもな」
「店主さんも。お世話になりました」
ひとつことを済ませて気が緩んだのか、店を出てしばらくして空腹に気が付いた。
特にリンフォードの方が、魔力を随分と消費したので、強く空腹を訴えて、胃の辺りを押さえている。
部屋に帰る道すがら、リンフォードがよく行く店に寄ろうと提案したので、付いて行った。
「これからどうする気だ?」
「とにかくこのお皿を空にしましょう……話は帰ってからですね」
「分かった」
「スゥさんの料理も美味しかったですけど、この店もなかなかでしょう?」
「うん……そうだな」
「本当に会われなくて良いんですか? まだ少し猶予がありますよ?」
「……余計なことを知れば、その分迷惑をかけることになるから」
「そうですよね……残念ですが」
「うん……仕様がない……いつまでも続くとは思ってなかった。本当に残念だけど」
「ローレルさん」
「なんだ?」
「私が力になります」
「……当たり前だ」
「なので、ローレルさんも私を助けてくださいね」
「……ああ、まぁ」
「そこは当たり前だって言わないんですね」
「言いたくなくなるのは何でだろうな?」
「言い方ですかね!」
「分かってて、わざとだからだろうな」
「ローレルさんはそこで怒らないから好きですよ」
「怒ってない訳じゃないぞ?」
「あらら?……そうでしたか、今後は気を付けますね」
食事を済ませて、リンフォードの部屋に戻ると、早速ですがと切り出して、今後のことを話し始めた。
夕暮れが夜を連れてくる頃には話は終わり、ふたりはリンフォードの小さな部屋を後にする。