「そうくると思いましたよ」賢明の魔術師は、秀麗な騎士をはなしません。⇔蓮雨ライカ
嘘には花を添え
「まちがいないです」
夕暮れの町を去り行くふたりの姿を誰かに見られたわけではない。
リンフォードはすかすかになりますと宣言した後で、本日最後の転移をした。
やって来た場所は大きなお屋敷の一室で、リンフォードに割り当てられた部屋だと聞いていたので、ローレルはその華美な部屋に必要以上に驚かずに済んだ。
確かにその規模は知れないが、豪勢な内装からも部屋の広さからも、随分と立派なお屋敷であろうことは察せられる。
リンフォードは荷物をその場に落とすようにして、ふらふらとしながらも部屋の中央から、端の方の長椅子まで歩き、そこにどさりと座る。
そのままずるずると身体が傾き、半ば寝転んでいる格好になった。
「大丈夫……じゃなさそうだな」
「……ここまで魔力を使ったのは久しぶりです……すみませんけど……」
「ああ、休んでくれ……そこで良いのか?」
「ローレルさんが寝台を使ってください」
「いや、いい。辛いなら運ぶぞ?」
「それは流石に恥ずかしいので勘弁してもらいたいです」
「でも……」
ローレルが後ろを振り向いて、天蓋のある立派な寝台を確認して、顔を元に戻したときには、リンフォードはすうすうと落ち着いた寝息を立てていた。
いくら力に自信があっても、協力ありきだ。眠って脱力している大の男を抱き上げて運ぶのは無理だとすぐに諦めた。
それでもと思い、長靴を脱がせて長椅子に足を上げてやると、リンフォードはもぞもぞと動いて姿勢を楽に変える。
寝台から細かな刺繍が美しい上掛けを剥ぎ取って、リンフォードにかけてやった。
家人への紹介は改めて、朝までは屋敷内をうろつかないように、とこれも先に聞いていたし、ローレルは一晩を大人しく部屋の中で過ごすようにと決められていた。
特にリンフォードの言いつけを破る気もない。
部屋の外に繋がっているだろう両開きの扉ではなく、小さな扉を開けて回って、その中を覗いた。
初めての場所は、一度自分の目で見ておかないと落ち着かない。
浴室や手洗い、衣装部屋らしき物置、本のたくさん詰まった小部屋などだった。
ここに来る前の小さな部屋は借りていると言っただけあって、物もなく生活感もなかったが、こちらは違う。
大きな作業台の上には、雑然とものが置かれ、開いたままの本や、何か作業中の小鉢や、薬草などが散らばっている。
大きな窓の外を見てみたが、夜空とそれよりも真っ黒な木の影が遠くに見えるだけで、敷地が広大なことくらいしか分からなかった。
一通りは何も触れずに見て回って、後はもう寝るくらいしかすることもないなと考える。
立派で綺麗な寝台に、このまま入るのはどうかと思った。
浴室をもう一度覗いて、ちゃんとした風呂に入れると息をつく。
貴人様の部屋らしく、ポンプを漕げば充分に水は出るし、その水を温める魔力の籠った石も用意してある。
使った後に掃除すればいいかと、ローレルは遠慮なく風呂に入った。
浴室から出てきても、リンフォードはさっきと変わらない状態だったので、これも遠慮なく清潔で整った寝台に入って、ゆっくりと目を閉じた。
「は?! 誰コレ!! え?! 女の人?!」
大きな声にローレルは辺りを手探りしたが、相棒は少し離れた場所に立てかけてあることを思い出した。
様子を探るために寝たふりをすることにする。
上掛けを頭から被っていたので、起きたことは気付かれていないだろう。
そこからはみ出していた髪の毛を見て、寝台にいるのがリンフォードではないと声の主は判断したに違いない。
その人物はすぐに長椅子にいるリンフォードを見つけたのか、そちらに駆け寄ったようだ。
「師匠!! ちょ! 起きろって!!」
どさりと床に重たいものが落ちる音がした後、リンフォードの低い唸り声が聞こえた。
「……何ですかアート……もう少し寝かせて下さい」
「いや! 誰だよあれ!!」
「…………妻ですが」
「ウソにも程があり過ぎだろ。あんたいつからそんな面白人間になったんだ」
「朝から喧しいですね」
「昨夜は静かにしてやっただろ?!」
「気付いてましたか」
「当たり前だろ! ていうか、大体、師匠が帰るのはもっと先の予定だったは……ず……え? もしかしてあの人『ローレルさん』?」
「……それ以外に誰がいるんですか……あ、おはようございます、ローレルさん。よく眠れましたか?」
寝台で体を起こしているローレルへ向けて、上掛けに包まって床に寝転んだままのリンフォードがひらひらと手を振った。
側にふんぞり返って立っているのは、少し若年に見える青年だった。
こちらを見て顔を赤らめるとふいと目線を逸らす。
自分を見下ろしてローレルは上掛けを体に巻き付ける。
着替えもなければ寝巻きなんてお上品なものもなかったので、質素な肌着だけを身に付けていた。
「ああ……アート。ローレルさんに合いそうな服を調達してきて下さい」
「俺にそんなの分かるわけないだろ。ソニアに頼めよ」
「はいはい……じゃあ、お茶をお願いしますね」
「自分で淹れやがれ、お坊っちゃまめ! 俺は給仕じゃねぇぞ」
「やですよ、面倒くさい」
「ソニアに来てもらうから待ってろ」
ずんずん歩く青年を見送って、彼が部屋を出て行ったあと、リンフォードは床から起き上がって唸りながら伸びをした。
「……はぁ。よく寝た」
「体は良いのか?」
「そうですね、お腹が空きました……そういえば夕食抜きでしたね。ローレルさんもお腹空いたでしょう?」
「うん……まぁ、そうかな」
不思議そうな顔をするリンフォードに、ローレルは笑って返す。
「貴方ほど腹が空くようなことはしてないからな」
「何もしなくてもお腹は空きますよ」
「だから、まぁ、そうか。くらいだ」
よろよろと立ち上がったリンフォードが、顔を洗ってくると浴室に入っていった。
そのまま風呂に入るつもりなのか、開いたままの扉からざぶざぶと勢いよく水の流れる音がする。
「ローレルさん、お風呂どうですか?」
「あ、いや。悪いがゆうべ勝手に使わせてもらった」
「ああ、いいんですよ。どうぞどうぞ。一緒に入るのは今度の楽しみに取っておきますね」
「……調子が戻ったようでなにより」
「本拠地ですからね。気も楽になります」
ひょこりと顔だけ覗かせると、にこりと笑ってリンフォードはそのまま扉を閉じた。
しばらくそのまま寝台でぼんやりしていたら、恭しくやって来たのは濃い灰色の衣装に白い前掛けをした年配の女性だった。
「おはようございます。はじめまして、侍女のソニアと申します」
「おはようございます」
「お茶をご用意しますので、お待ちを」
「ありがとう」
「衣装もじきに持って参りますので」
「申し訳ない」
つかつかと浴室の方に行くと、ソニアは前置きもなく扉を開けて、リンフォードにお髭を剃りなさいませと声をかける。
えぇぇと消え入りそうな声が聞こえて、ローレルはぶはと息を吐き出す。
気が置けない雰囲気が、確かにここがリンフォードの本拠地なんだと思える。
安心してしまいそうになる自分に、ローレルはダメだと気を取り直した。
この先どうなるかなんて分からない。
自分には本拠地なんて無いのだから。
すうと息を吸い込んで、腹に力を入れて、勢いよく吐き出す。
衣装を用意してくれると聞いて、昨日まで着ていた汚れた服を着るのもどうかと思ったので、掛け布に包まったままでいた。
こちらへと促されたので、そのままもそもそ窓辺の小さな円卓まで移動して、布張りのふかふかな椅子に腰掛けた。
朝の白い光が、レースのカーテンをもっと白く輝かせている。
お茶の良い香りが漂う。
目の前に美しい白磁の器を差し出されて、ローレルはソニアを見上げた。
「ありがとう」
「いいえ、ごゆっくり」
言葉通りゆっくりしているとリンフォードが浴室から出てくる。
ソニアはまた遠慮なしに声を張った。
「坊っちゃま。髪をお拭きなさい、みっともない」
「拭きましたよ」
「まだ濡れております」
はいはいと返事をして、いつかのように風を起こしながら髪をくしゃくしゃとかき混ぜた。
水気で束になっていた髪が、すぐに乾いてもっさりとしたことに、ソニアはまただらしがないと言う。
「最初からきちんと整えて出ていらっしゃいませ」
「明日からそうしますよ」
「聞き飽きました。ボタンも上まで留めなさい」
「はいはい」
首元まで留めると、これでどうだといった表情で少し両腕を広げる。
顔を顰めて息を吐き出すと、ソニアは無言でリンフォードのお茶の用意を始めた。
向かいに座ったリンフォードは、ローレルと目を合わせてにこりと笑う。
もっさりふわふわの頭と、半乾きのまま寝たのでぐしゃぐしゃの頭にきらきらとレース越しの朝日が降っていた。
「良い朝ですね」
「く!……っはは…………そうか?」
「ローレルさんの笑顔で始まるなら間違いないです」
レースのカーテンの向こう側には、きちんと刈り込まれた黄緑の草の絨毯や、石造りの池が見えていた。
「……どうだかな」
「良い一日になりそうです」
「大変に良い雰囲気のところ、お邪魔をして申し訳ありませんが、坊っちゃま」
「分かってるなら口を挟まないでくれませんか」
「ご説明をお願いします」
「……こちら、ローレルさんです」
「それは存じ上げております」
「他にどんな説明が要りますか?」
「どうされるおつもりですか」
「うーん……それはローレルさんとよく話し合ってからですね」
「こちらにお連れするなんて聞いておりません」
「私もそんなつもりは無かったですよ」
「ではどうして」
「ソニア、食事の用意をして下さい。まだローレルさんとの話もきちんとはできていないんです。しばらく時間をいただきますよ」
「その話は私にではなく」
「午後にお伺いすると伝えてください」
「……かしこまりました」
軽く膝を折り曲げて礼をすると、ソニアは食事の用意をしに部屋を出て行った。
見送って静かになってから、ローレルはリンフォードに顔を向ける。
「……ややこしいことに巻き込まれそうな気がするのは……」
「気のせいじゃないですよ。流石ですね、ローレルさん」
ううんと唸ると、ローレルは卓に肘を突いて落ちる頭を手で支えた。
見なくてもにやにやしていると分かる声が、大丈夫ですかと聞いてくる。
「まず、何からお話しましょうか。何が聞きたいですか?」
「……待ってくれ、下手に聞いたら確実に巻き込まれる」
「どうでしょか、胸が躍りますね!」
「何も聞かずに、このまま私が出て行けば」
「私の特赦と引き換えに、ローレルさんの居場所をハーティエに流します」
「貴方がそんな卑怯なことを?」
「……どうですかね、どう思います?」
胸の内でくそくそ叫んで、その一部が勝手に口から漏れ出した。
リンフォードは楽しげにふふと笑い声を上げる。
扉が叩かれて、返事のすぐ後には、先程の青年が布の塊を脇に抱えて現れた。
「好みが分からなかったから選べって。大きさが合いそうなものだけ持ってきた」
青年はばさりと寝台の上に色とりどりの布を置くと、腕を組んでふんぞり返る。
「外しなさい、アート」
「は? 何でだよ」
「ローレルさんが着替えているところを見せたくありませんから」
「そんなつもりねぇわ!」
「なら出ていきなさい」
「師匠!」
「出なさい」
ぐと言葉に詰まって、ローレルを睨むように見据える。
また顔を赤らめて、そのままふいと回れ右すると、真っ直ぐに部屋から出ていった。
肩の辺りがはだけているのに気が付いて、もう遅いと分かっていても、ローレルは掛け布を巻き付け直した。
「ダメですよ、ローレルさん。私以外に肌を見せないでください?」
「好調なことだな」
「……衣装は私の好みでも良いですか?」
「やめてくれ、本当に気持ちが悪い」
「ではお好きにどうぞ」
いくつか広げると、どれも似たり寄ったりな若い女性向けの衣装だったので、ローレルはその中でも飾りが少なく嵩張らなさそうなものを選んだ。
それを抱えて浴室に入る。
きちんと着て、それなりに髪も結って整えた。
こういった衣装を着るのは何年ぶりかと考えたが、はっきり思い出せないので、すぐに考えるのをやめる。
浴室を出ると、朝食の用意が整っており、その前で席に着いていたリンフォードが立ち上がる。
「わぁ……素敵ですよ、ローレルさん。ずいぶん地味なものを選んだと思いましたが、だからこそ貴女の美しさがより一層引き立ちます」
「ここまで気持ちのこもらない言葉を聞いたことがない……逆に感心するぞ」
「何てことを。本心からの言葉ですよ」
「犬に尾を振られた方がまだ伝わる」
「酷いなぁ」
「貴方の方がな」
食事の間は静かだった。
食器がぶつかる音だけがいやに響いて聞こえる。
腹を満たして落ち着いてから、リンフォードは再び、さぁと切り出した。
何から聞きたいですかとローレルに向かって少し首を傾げる。