白檀の王様は双葉に芳しさを気付かせたい
琥白さんの前から逃げたからといっても行き場もない。
自分の行き場がどこにもないなんて、わかってるからこそ笑ってしまう。
でも、なんとなく会社の近くまで走ってきていた。
―――お前の仕事は誰にでもできる仕事だから、お前もいつでもいなくなっていいんだぞ。
今日、叔父に告げられた言葉を思い出すと、思わず自分の手を強く握っていた。
周りを見渡すと、遅い時間なのに、工藤さんと飲んだあの時のコーヒー店のワゴンが出ている。
あのコーヒーを飲みたいと思ってお店の前まで向かったけど、お金もスマホも持ってきていないことに気づいた。
「コーヒー、二つ」
そのとき、横からすっとお金が差し出され、そんな声がする。
隣を見あげると神尾さんがそこに立っていた。
「喧嘩して家出ですか?」
「なんで知ってるんですかっ」
「琥白さんから慌てた声で電話があったからですよ」
心底楽しそうに神尾さんは笑う。
その様子に私はむっと頬を膨らませた。
神尾さんはコーヒーを受け取ると、私に一つ渡す。
「いや、まるで普通の夫婦だなぁと思って」
「普通なわけないですよ。あんな人が相手で……」
「ちなみに琥白さんは別に全部順調だったというわけではありませんよ」
神尾さんは微笑んで言う。
私は思わず、おしゃべりめ、と呟いて、口を曲げる。
「……それくらい、わかってます」
「なら、どうしてそんなこと?」
神尾さんの声は優しい。
この人は、やっぱり琥白さんのことを心底心配しているんだと思った。私にはその気持ちがわかるから……。