おとぎ話を信じる年齢なんてとっくに過ぎました!~OLシンデレラと大人王子~
 数日後、ついに二人は婚姻届に判を捺して共に役所へ提出しに行った。これで本当の夫婦である。千秋の実家から戻って直ぐに例のショップへ連絡を済ませていたため、その足でマリッジリングも取りに行く。これは帰ってから改めて、ということに決定して二人は久々の落ち着いたドライブを楽しんだ。今日は例のオープンカーでのお出かけである。秋風を心地よく浴びながら、走るのは章介の言っていた通り実に気持ちが良かった。
 「これで私も松比良千秋かー。なんかまだ違和感しかありませんけど。」
 「そうですよ、松比良千秋さん。そのうち慣れます。」
 早く刻印の済んだ指輪を嵌めたくて仕方がない気もするが、まだこのドライブを楽しんでいたい気もする。西陽が射してきた関係で章介はサングラスをかけるが、普通の日本人とは違うクォーターらしい面立ちのお陰でよく似合っている。千秋は運転する彼の横顔がとても好きなのである。つい写真を撮って「入籍しました。」との文章と一緒に真智へ送信した。

 ――一時はどうなるかと思ったけどご馳走様。おめでとう。今度何かおごりなさいよ。

 実家の場所を彼に教えてくれたのが彼女だということは聞いていたため、肯定する返事を送って携帯を鞄へ仕舞った。
 「撮ったんですか?」
 「はい、夫婦になって初の章介さんです。」
 「じゃあ。」
 ちょうど車が赤信号で停まったところで、章介は千秋の肩を抱き寄せて自分の携帯で写真を撮った。
 「夫婦になって初のツーショットです。」
 照れた千秋が「もう!」だなどと騒ぐと、章介は面白げにして笑った。暫くのドライブのあと、家のガレージへ車を停め部屋へ戻る。ソファへ二人で座った彼らは早速指輪の入った箱を開けた。それぞれがそれぞれの薬指へリングを嵌めて、一緒に左手を翳してみる。夫婦になったのだという実感が生まれてより幸せだった。
 「千秋さん、仕事は本当に続けなくて良いんですか?」
 「はい、寿退社が夢だったので!」
 今時にしては珍しく、千秋は結婚を理由に仕事を辞めるということになっていた。引継ぎを含めると一週間後になるが、章介は社長である立場上、家で仕事をすることも多いのでこれで一緒に居られる時間も増えるだろう。
 そして最後の出勤の日、友人でもあり同僚でもある真智が車で迎えにやって来た。
 「アンタにあまり会えなくなるってのが残念だけど厄介だわ。」
 「友達だもの、いつでも会えるでしょ。」
 晴れやかな気持ちで出社するのはいつぶりだろうか。終業までは通常の業務を行い、そして最後には課長が他の同僚達を集めて退社する旨を伝えてくれる。真智の言った通り花束や祝いの品を沢山貰ってしまったのでどうやって帰ろうか、と思っていたところにちょうどよく章介から連絡が入った。

 ――お仕事お疲れさまでした。迎えに行きますから、エントランスで待ってて。

 思わずにやけていると、真智が寄ってきて携帯の画面を覗き込んできた。特に見られて困る話ではないので、気にすることはない。
 「お帰りは王子様が馬車でってわけね。お疲れ様。結婚式には呼びなさいよ。」
 「奢るって約束も忘れてないから大丈夫!ありがとう、真智。」
 「改まっちゃって。また会えるって言ったのはアンタでしょう。食事、楽しみにしてるからね。」
 そうしてエントランスで話していると、章介がやってくるのが見えた。手を振ろうとしたが、両手が花や祝いの品で埋まっているのを思い出して諦めた。
 「沢山頂きましたね、千秋さん。――その節はありがとう、大沢さん。」
 「いえ。じゃあ私はこれで。千秋のことお願いしますね、松比良さん。」
 「これで私も永久就職です!」
 まだ仕事の残る真智と離れて、章介が荷物を半分以上持ってくれる。車まで一緒に歩きながら、今日はどうだったなどと話しては笑い合う。そんな日常がこれからも続く気がして千秋は胸いっぱいだった。
 夜、夕食後に結婚式について話し合うことになった。
 「章介さんのお好きなところで良いですよ。」
 「僕の好きな場所ですか?それよりも規模や招待者についての希望ならあります。」
 確りとヴィジョンがあるらしい彼は、はてなマークを浮かべる千秋をぽふりと撫でた。
 「最初は大規模なものを考えていました、でも今は逆に小規模のものがいい。招待客もごく少数にしましょう、猫も杓子もって呼んで貴女を見世物にしたくはない。愛の前には体裁など関係ありません。」
 体裁云々の話をまだ気にしているのだろうかと心配した千秋が章介の手を握った。
 「それに、貴女の妖精のような花嫁姿は僕だけが独占したいんです。」
 そう言って抱き寄せる彼は、千秋の実家から帰ってから大分そういう言葉をはっきりと口にするようになった。今まで言わなかったのは、余裕を見せたいプライドが邪魔をしていたからだとのことだ。気障な言葉で覆い隠された情熱も良いが、真っすぐぶつけられる想いもまた彼からだからこそ千秋は喜んで受けいれることが出来る。そして章介の書斎へと移動した彼らは、彼のパソコンのブラウザで良い式場がないか探していた。場所さえ見つかれば、彼の知り合いのプランナーが希望通りにしてくれることになっているらしい。
 「章介さん、ここ。」
 「ああ――、何となくイギリス風ですね。美しい教会だ。」
 どうやら二人の意見はすぐに一致したらしい。二人の出逢いの場所、ロンドンはやはり彼らの胸に強く想いが残っているのである。美しいレンガ造りのそこは、写真で見る限り二人のイメージするそこにマッチしていた。こじんまりとした式にするので招待客はそれぞれが決めることにして、次はドレスだ。しかしこれは見に行かなければ始まらない。一旦終わりにして、久しぶりに二人でワインでもという話になった。リビングでソファへ座り、白ワインの封を切る。特段、特別なことがあるわけではなかったが一緒に過ごしていると、こういった時間までも特別に感じられるようで在りたいと思う瞬間がある。二人にとっては今がそれだった。
 「じゃあ、僕の妖精さんに。」
 二人で乾杯とグラスを掲げて一緒に一口飲むと、何も面白いことはないのに二人で微笑み合う。それが、千秋にとっても、章介にとっても幸せなことなのである。
 翌日、章介の仕事がちょうど休みだったということもあり、二人で挙式時の衣裳を見に行くこととなった。ドレスショップは予め、昨夜の式場探しの際に探してある。章介の得意先が経営する店なので融通が利くということもあり、そこにあるものならば好きなものを借りることが出来る。因みに、ウエディングドレスは借りるのではなくオーダーするか買おうと言った章介を止めたのは千秋だ。確かに思い出にはなるが、すぐに出来ないし記憶や写真として残す方が好きだと言って彼女は彼を説得したのだった。
 「わあ、色々ありますね。」
 「そうですね、こんなに種類があるものだとは僕も知りませんでした。」
 そう言って何着ものドレスが掛けられた店内を歩く二人は興味深げに色々なドレスを確認していく。その中で千秋の目に留まったのはミカドシルクをふんだんに使用した、ロールカラー、クラシカルでありながら後ろに大きなリボンとドレーンのついたビッグプリンセスラインのものだった。「おとぎ話」に出て来そうなそれは、誰もが憧れる美しい一着だ。彼女はそのドレスに惹かれつつも少し大胆すぎるかと、その一着の前で迷っていた。
 「それ、素敵ですね。妖精さんに似合いそうな一着です。」
 先にタキシードを確認していた章介が戻ってきて、一言告げ半ば強引に試着させられてしまった。しかし着てみたが最後、やはりこれが良いと彼女は思ってしまう。試しに白いタキシードに身を包んだ彼と一緒に鏡の前で並んでみた。その姿は正にシンデレラと王子そのものといったところで、千秋の着替えを手伝ってくれたスタッフも感嘆の声を上げた。ひとまず記念に、と写真を撮ってもらって店を出る。
 日を改め、ブーケはキャスケードタイプの流れるデザインのものを選んだ。白い百合と薔薇をメインとして、差し色に花嫁を幸せにすると言われる青の小さな花で彩られたものだ。章介の知り合いだと言うプランナーと話しながら決めたものだが、完成のイメージを見せられた千秋は嬉しそうにしている。そんな彼女を見た章介も幸せそうな表情をするので、普段の仕事モードの彼しか知らないプランナーは内心驚いているようだったが、終始和やかなムードで話は進んでいく。本来的にはもっと時間をかけて準備をしたりするものだが、いつまた章介が海外に行ってしまうかわからないので仕方がない。その後も、ブライダルエステ、ネイル、ヘアメイクなどの話を受け、少しずつ形が定まってきた。既に日取りも決めてある。
 急に現実味を帯び始めた「おとぎ話」に、千秋は夢を見ることを思い出し始めている。これもまた、章介のお陰なのだと感じて嬉しくなってしまった。
 「なんだかやけに嬉しそうですね。」
 「当たり前です。素敵な結婚式はレディの憧れですよ!」
 「はは、これは失敬。僕のプリンセスのためにも、晴れやかな式にしたいですね。」
 運転する章介は楽しげに笑いながら、赤信号の隙に千秋の頬へ軽く口づけた。
 「!ちょっと、車の中ですよ?」
 「誰も邪魔に来ない空間というのは良いものです、こういうのも特別な感じがして僕は好きなのですがお気に召しませんか?」
 これまたわざとらしく眉を下げる章介を見てしまうと、ついつい許してしまうのが千秋だ。照れた彼女は俯いたまま首を横に振った。それを見て、くすと笑う彼は完全に確信犯なのである。彼女は彼と出会ってから今に至るまでに、完全に彼に対して甘くなってしまっていた。惚れたが最後、とでも言うべきかもしれない。とは言いつつも、章介も章介で千秋には滅法弱いのでお互い様というものだろう。
 それからは怒涛の日々が続いた。それすらも楽しめているのは、これからも続いていく二人の日々を想ってのことだ。手作りの招待状に、花嫁の手紙、花婿の謝辞、手土産選びなどやることは沢山あるが、それもピースの多いパズルをひとつずつ丁寧に嵌めこんでいくかのような感じを覚える。
 そして結婚式の二日前、千秋は真智と共に約束していた食事へやって来ていた。
 「招待状、ありがとね。アンタ達ならもっと盛大にするもんだと思ってたけど意外だったわ。」
 「どういたしまして。――章介さんがね、体裁はどうでも良いから素敵なものにしたいって。」
 「良かったじゃない。楽しみにしてるわ。」
 普通ならば独身最後の日にやるような食事会だが雰囲気だけでも、ということらしい。真智は一足先にと、ひとつ紙袋を食事のテーブルへ置いた。
 「早いけど、やっぱり一番はアタシじゃなきゃね。」
 開けて良いか確認してから中を確認すると、そこに入っていた箱には小さなティアラが収まっていた。恐らく選んだドレスにも合うだろう。
 「ありがとう、真智。これ、絶対着けるからね!」
 「いーえ、アンタにそういうの贈って喜ばれるとは松比良さんとアンタが結婚ってなるまでは想像もしてなかったわ。千秋ったら、全くそういうの興味なかったでしょう。」
 「まあ、うん。色々迷惑かけてごめんね。」
 「謝罪は要らないの!今日はとことん楽しむわよ!」
 明るい彼女は、笑って二軒目へ行こうと千秋を誘った。以前の彼女ならば絶対に無縁だったであろう、クラブというものだ。既婚者の千秋が行くのは、躊躇われるが真智とこういった楽しみ方をするのは、もう滅多にないだろうと彼女は承諾した。
 相変わらずセクシーで奔放な彼女はスマートにカウンターでカクテルを二つ買って戻ってきた。店内は大きすぎるぐらいのBGMで煩いが、今は真智が優先である。お礼に奢るという約束をしたのは千秋だからだ。
 「もっと早くあの人と出会ってれば、こういうところだってもっと来られただろうになあ。」
 そう言って真智は早速カクテルを一気に飲んだ。彼女は所謂ウワバミというもので飲んでも雰囲気酔いしかしないので、こういうことが出来る。一方の千秋はちみちみと此処では一杯目のカクテルを飲んでいた。
 「そこのお嬢さん達さ、俺達と飲まない?」
 そして案の定と言うべきか、お決まりの台詞を言いながら二人連れの若い男に話しかけられてしまった。
 「楽しみたいのは山々だけど、私達今二人で飲みたい気分なの。あっちへ行ってくれる?それに彼女は既婚者、イケメン社長の奥さん。社会的に消されるかもよ。」
 おどおどする千秋を他所に、慣れた様子で真智は彼女の肩を抱き恋人にでもするように身を寄せ肩を抱く。男達はつまらない、といった表情を浮かべ何も言わずに去っていった。
 「さーて、そろそろお開きにしないとアンタの旦那が心配するわね。私の携帯に連絡を寄越す辺り、アンタには気を使わせたくないみたいだけど。折角だからアッシー君頼もうか。」
 酔っていつもより陽気になった真智は、章介に電話しているようだ。止めようとしたが無駄だった。何より行動!というタイプの彼女はこうなってしまったら止めることは千秋にも不可能である。
 「あー、松比良さん?どうも。大沢です。――今、さっきのレストランの側のクラブに居るんですけど、鐘が鳴る前に帰らなきゃって言ってますよ、貴方のお姫様。」
 どうやら一方的に言って一方的に電話を切ってしまったようだ。悪いことは何もしていないが、幻滅されやしないかと一瞬過ってしまう千秋は恐らく軽いマリッジブルーなのかもれない。
 しかし、登場した章介は普段と違う恰好をしていた。いつぞや千秋がごり押しで選んだ服を着て来たのだ。サングラスをシャツの胸元に掛けてアレンジしているのがまた似合っている。まるで海外の俳優がそこに居るかのようだ。それを見た真智が小さく口笛を吹いた。
 「そこの綺麗なお嬢さん二人、僕と飲まないか?――なんてね。迎えに来ましたよ、千秋さん。大沢さんも遅くまでありがとう。」
 「どうかお気になさらずー、私の我儘で連れまわしてすみません。」
 ざわついた店内でも、この三人は兎角目立つようで周囲の視線を浴びる。長身の章介が居る上に、セクシーな真智、そして清楚系でこういったところは好みそうにない千秋のアンバランスさが余計にそれを際立たせるのである。
 「オッサン、横取りは良くねえなあ。」
 絡んできたのは先程、真智が鮮やかに袖にした男二人組だ。章介はその声に振り返って、敢えて貼り付けていますと言わんばかりの柔和な笑みを浮かべて見せた。
 「横取り、ねえ――生憎と彼女達は僕と先約があったんだ。お互いに不愉快になる前に失せて貰って良いかな?」
 物言いがいつもより明らかにキツイ章介は、恐らく内心怒っているのだろう。にこにことしながら、あちらへ行くようにと手で合図までしている。
 「この野郎ッ!」
 男のうちの一人が章介に拳を振り上げたが、すんなりとその拳を掌で受け止めた彼は浮かべていた笑みを止めて手に力を込めた。
 「さっきの言葉、聞こえなかった?――ああ、このでかいBGMじゃ無理もない。」
 今気づきました、といったような表情を浮かべた彼は男の腕を引いて身を寄せ耳元へ話しかける。
 「不愉快だから、とっとと失せろって言ったんだよ、餓鬼。」
 そして何事もなかったかのように柔和な表情に戻った章介はにこやかに彼らへ手を振った。逃げていく男達が「アイツやべえぞ!」などと言っているがお構いなしだ。千秋はこのボリュームの大きな空間で彼が何を言ったのかまでは聞こえなかったようだが、真智は感心したように小さく拍手している。
 「やりますね~、松比良さん。意外ですが、これで安心して千秋を任せられそうです。」
 「はは、お恥ずかしい。映画の真似事をしてみただけなんですけどね。」
 照れたような仕草をする章介に、あの拳を受け止めたことから真智は絶対にそれはないと確信していたが千秋にはそれを隠しておきたい様子を察したので何も言わないことにしておいた。
 「そういうわけでアンタの王子様は、アンタをちゃんと守ってくれるよ。安心して一緒に暮らしていきなさい。それじゃ松比良さん、私はまだ飲むつもりなんで、千秋をお願いしますね~。」
 真智が千秋の背中を押し、よろけた彼女が章介によって受け止められた。少し怖かったらしい彼女が、章介に軽くしがみついたところで真智は新たなカクテルグラスを手に何処かへ行ってしまった。自然な流れで千秋の腰を抱いた章介が、彼女の髪へ唇を寄せる。此処ならば外とはいえ、そういうことをしてもあまり目立たない。
 「さて、帰りましょうか。」
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