おとぎ話を信じる年齢なんてとっくに過ぎました!~OLシンデレラと大人王子~
翌日の朝、携帯を確認すると案の定真智から連絡が入っていた。眠る男性の写真と共に送られてきたことで、そういえばと思い出す。しかし、千秋はそういった展開がなかったどころか生娘のような反応をすることしか出来なかったので事の顛末を正直に白状する返信をして、のそりと起き上がった。そこにすぐに戻ってきた返信には「何で押し倒さなかったの!」の文字、それに返事をすることは止めておくことにする。酔ったまま寝たが不思議と酒は残らず、すっきりとしているがフラッシュバックのようにあの光景が蘇るので彼女はその度にしゃがみ込んだ。
彼女は少しの間それを繰り返したが、バー代、タクシー代の両方を払ってもらったのでお礼の連絡を入れるべきだろうと思い立って携帯を手に取った。ところがそこへ着信が一件。
――昨夜は遅くまで付き合って頂きありがとう。
ディスプレイには「松比良章介」の文字、どうやら先を越されてしまったようだ。
――此方こそ、色々と奢って頂いてすみません。今度お礼をさせてください。
謝るだけでなく、単純に楽しかったと言うべきだったかとは思ったが、すぐに返事が戻ってきた。
――それでは連日ですみませんが、夕方にでも少し出かけませんか?
思わぬ提案に一瞬固まった千秋だが、お礼をしたいのは事実なので「18時に。」と約束をした。しかし此処で千秋は昨夜、化粧を落とさず寝てしまったことを後悔することになる。急いでケアすれば間に合うだろうか、何を着て行こうか、考えることは山積みである。結局困ったときの110番、真智に連絡をして部屋に来てもらうことになった。その間に軽くシャワー浴びることにして千秋は脱衣所に駆け込んだ。
昼過ぎに玄関のチャイムが鳴り、千秋は応急処置用に取ってあった試供品のパックをしたまま扉を開けた。真智はいくつかのショップバッグを持って登場した。頼れる友人がいるというのはとても良いことである。
「まったく、普段から気を付けておかないからこうなるのよ!どうせ昨日も化粧落とさずに寝たんでしょう。」
その通りなので千秋は言い返すことが出来ない。彼女が来る前に、散らばったものは全て脱衣所へ投げ込んだので少なくとも座る場所はあるはずだ。真智は持参したショップバッグからいくつか服を出して見せる。その間に千秋はつけていたマスクを外してゴミ箱へ捨て、最低限のケアを済ませた。出された服はどれも真智好みのセクシーなものばかりである。その辺りの趣味が合わないのはこの際仕方がない。
「アンタに合いそうなのを持ってきたけど、私のお勧めはこれかな。」
何着かある中から彼女が指したのは黒いワンピースである。当然のようにミニ丈で、デコルテと胸元ギリギリまでをレースをあしらったデザインで若干透け感があり、案の定袖部分はシースルーだ。「流石に攻めすぎではないか。」と思ったが、他にあるものはもっと露出の多いものばかりで千秋はどうしても着る気になれず、それに決めることにした。背中部分は確り覆われているのが、せめてもの救いである。
「はい、さっさと着替える!私は化粧準備しといてあげるから。あとこれ、足首に着けて。」
折角の110番に甘えることにして、投げ渡された小さな香水の瓶を持って寝室で着替えることになった。
真智とはあまり体型が変わらないこともありサイズ的には問題がなかったが、どうしても服に着られている感が否めずおかしな顔をしていると、寝室の扉をノックされた。どうやら早くしろ、ということのようだ。
「あら、似合うじゃない。普段からアンタも気を使えばいいのに。ささ、メイクするわよ!文句は受け付けないからね。」
あれよあれよとリビングへ連れ戻された千秋は、真智の持ってきた本格的な化粧品を前に尻込みしてしまうが問答無用とばかりに化粧が施されていく。
「さて、出来た。」
千秋は鏡を確認したが、普段と違いすぎる印象に思わず眉を寄せる。当の真智はやり切った感満載に、携帯で写真を一枚撮った。
「ちょっと派手過ぎない?」
黒いレースのワンピースに黒いシャドウ、そして赤いリップ。千秋からすれば、如何にも遊んでいます感のある恰好だ。しかしながら無情にも直す時間などはなく、このまま行くしかなさそうだ。靴もロンドンから世話になりっぱなしのルブタンを履くしかないだろう。真智はそそくさと帰っていき、ちょうど良い頃合いに携帯の着信が鳴った。「着きました。」との簡単な一文ではあったが、昨夜の光景が再びフラッシュバックして急に恥ずかしくなってくる。しかし今日は真智の手助けもあって、確りドレスアップしたのだから問題はない!と無理やり納得して家を出た。
「千秋さん。」
章介が軽く手を振って合図を送って来るので、未だに慣れないヒールで転ばないように気を付けながら駆け寄っていくと彼の側にシルバーのスポーツカーが停まっている。夕方から何処かへということは飲みにでも行くのだろうか、と思っていた千秋だったがそうではないらしい。彼は微笑んで当然のようにナビシートのドアを開け乗るように促した。見るからに高級車なので、一般庶民の彼女は恐々としながら乗り込む。
「章介さん、車お持ちなんですね。」
「……ああ、これですか。実は知人に貸してもらいましてね。」
返事までに間のあったことからして、恐らくこれは彼の車なのだろう。それを肯定するかのように慣れた仕草で車は発進する。何故嘘をつくのかわからない千秋だったが、普段ならば絶対に体験しないような光景が広がってそんな疑問など何処かへ吹き飛んでしまった。
「何処か行きたいところはありますか?」
「いえ、急だったので特に……すみません。」
「じゃあ、少し買い物にでも行ってから食事しましょうか。急にお誘いしたのは僕なのだから、どうか謝らないでください。」
滑らかに進んでいく車からの景色は、何とも言えないものがある。千秋は運転する章介の姿を一瞥してからすぐにやめた。流石に照れすぎて何も話せなくなるのは失礼だろうと考えたからである。
「それにしても、今日の千秋さんは雰囲気が違いますね――とても素敵です。」
二度しかお会いしていませんが、と付け足した彼は柔和に笑った。途端にフェアリーゴッドマザーがかけた魔法のことを思い出して余計に恥ずかしくなってしまう。残酷にも車は高級なショップの並ぶ辺りに停まって、彼も運転席を降りてしまった。しかもドアまで開けられてしまうと流石に出ないわけにもいかない。慣れたように手を差し出されてしまったので、その手を借りて外へと降り立つ。普段の自分ならば絶対に来ない通りであり、どうしてもおどおどしそうになる。思わず千秋は章介の手をきゅと握った。
「大丈夫、千秋さん。今日の貴女は夜空に煌めく星というより、下界に舞い降りた天使のようだ。どうか自信を持って、そうすれば貴女は此処の誰よりも輝く。エスコート出来て光栄ですよ、天使さん。」
この流れるような言い回しの囁きは海外の何かなのだろうか。彼女はそう思ったが、非現実的なシチュエーションであることを考えれば、いっそのこと身を委ねてみるのも良いのかもしれないと思えてくる。
「ありがとうございます。」
「ふふ、それで良いんですよ。女性は少し自信を持っている方が美しいんですから。」
今まであまり恋愛にすら興味のなかった自分が居たのは少なからず自信がなかったからだということを千秋は自覚していた。それを包み込むようにさらりと言ってのけるこの紳士は正に手練れといったところかもしれない。彼に手を引かれて千秋は先程より堂々と、ショップに並んだディスプレイを眺めてみる。今ならどれかを選べる気さえしてくるのが不思議なところである。
そして手を引かれるまま、彼らは一軒のセレクトショップへ入った。煌びやかな内装が余計に非日常感を演出するようだ。
「松比良様、ようこそ。本日は奥様へ贈り物ですか?」
千秋が辺りを見回しているとすぐに店員が歩み寄って、彼の名を呼んだ。その言葉に、くすと笑んだ彼はわざとらしく千秋の肩を抱く。
「ええ、美しいでしょう。そうなってくれると僕としても嬉しいんですがね。――色々と見せてください。」
店員は微笑ましげにしたあと、邪魔にならないようにという配慮からか直ぐにその場から離れた。そして、章介は小声で「急にごめんね。」と一言告げて身を離す。どうやら店員を寄せ付けないための気遣いだったらしい。普段ファッションに頓着しない千秋だが、流石にこういったところへ入ってしまっては少しだけ何があるのか気になってくる。これも真智の魔法と章介の言葉のお陰かもしれない。
そこで、ひとつのマネキン人形の着ているロングスカートに目が留まった。ライトシアンのそれはひらりと舞いそうなフレアスカートになっている。何となくそれを着ている自分を想像出来てしまうのが不思議でならないが、少し離れたところで色々と服を眺めていたはずの章介が先程距離を置いてもらった店員と何やら話しているのが見える。それに気づいた彼が、ふわりと微笑みかけてくるので小さく手を振ってみた。千秋は自分らしくないこの仕草は普段着ないこの服装のせいだと割り切っている。こうなってしまえば演じてやろうではないか、という気さえ起こってきて、よく見る女の子達のするように何着かの服を物色した。いくつか気に入ったものがあったが、お値段も素敵で買うことは出来ないところが妙に現実っぽい。結局何も買わずに、二人は店を出た。先程のフレアスカートだけが心残りである。
次に入ったのはアクセサリーを扱うショップである。此処でもまた名を呼ばれた章介がにこやかに対応している。先程は気にならなかったが、何故彼の名前が知れ渡っているのかという疑問に達したが悲しくなりそうなので考えるのは止めることにした。
「これと、これを彼女に。」
どうやら試着しろということらしく、小ぶりなダイヤモンドのついたネックレスと淡い色のブルーダイヤの回りにスワロフスキーがあしらわれたものをガラスケースの上に出されてしまった。此処で断れば彼が恥をかいてしまうだろうと、結局言われるまま試着することにしてみる。胸元にしっかり収まったそれはどちらも美しい。いくら興味がないとはいえ、着けてしまうと若干興味も湧いてしまうものである。
「うん、良いね。」
一部始終を見ていた章介がゆったりと頷いて、ブルーダイヤの方を指した。店員は「ありがとうございます。」と一礼して、ラッピングはどうするかなどと話し始めている。鮮やか過ぎる流れに頭がついていかず、止めることも出来ぬままプレゼントされてしまった。
「着けていきますから、札を外してください。箱は僕が後日取りに来ます。」
そう言った彼は有無を言わさず、手慣れた様子で千秋の首へ先程のネックレスを着けた。そうして当たり前のように手を差し出してくるので、エスコートされることに慣れ始めた千秋はその手を取った。満足気な彼が嬉しそうなので、ひとまずは良かったということにして彼女は何度も礼を言った。
「輸入雑貨関係の仕事をしていると言ったでしょう?だから、この辺りには顔が利くんですよ僕。」
先程の不安感を解消するような答えを発した彼は、改めてネックレスを着けた千秋を見た。
「やっぱりそれにして良かった。よく似合っていますよ、天使さん。」
「先日のお礼のつもりが――なんだか却ってすみません。」
「んー、そういうときはお礼を言うものです。」
楽しげに彼が言うので結局絆された千秋は、丁寧に礼を言った。また奢られてしまったことを申し訳なく思うが、彼にとっては一緒に出掛けてショッピングするということ自体が十分礼になるらしいので厚意に甘えることにした。
「普通は買ってもらっても当たり前、って思う人が多いけど貴女は違うみたいだ。僕、千秋さんのそういうところが好きですよ。」
車へ戻った二人は食事へ向かうが、それを終えた彼女は驚くことになる。何も頼んだ覚えがないのに宅配ボックスに物が入っていることを不審に思ったところまではいい、だが中を開けると先程入ったショップの服の沢山入ったショップバッグが入っているではないか。先程章介が店員と話していたのはそういうことかと妙に納得して、ひとまずそれらを家へ運び入れた。確り気になっていたフレアスカートが入っている辺りが、本当に抜かりない。
どうしたら良いかわからず、ひとまず真智に連絡を入れることにした千秋は携帯を手に取った。そこでメッセージが入っていることに気づく。
――サプライズは気に入りましたか?今夜はありがとう、楽しかったです。今度会うときは是非着てきてくださいね。
つまり、また誘われるということか。と容易に連想出来てしまい、千秋は思わず両頬を手で覆った。これは返すどころの話ではない。
「ちょっと、アンタ今日デートじゃなかったの?」
電話をすると真智はすぐに出てくれた。落ち着かない胸元を抑えてしまい、つい触れたネックレスで先程の非日常が現実であることを思い知らせてくる。
「てっきり朝まで連絡来ないと思ってたんだけどなあ。」
「それどころじゃないの!見て、これ、」
電話をビデオ通話に切り替えて、いくつもあるショップバッグを映して見せる。
「貢がれちゃってどうしよう~って言いたいわけ?良いじゃない、貰っておきなさいよ。年上の男性が服をプレゼントするってことはまた会いたいってことなんだから。アンタだって彼のこと嫌いじゃないんでしょ?久々の春なんだから満喫しなさい!」
先程のメッセージを見せたわけでもないのに確りと言い当ててしまうあたり、流石は恋愛経験の豊富な真智である。しかし言うだけ言って電話は切れた。結局サプライズをありがたく貰うことにし、思い立ったように散らかった服を全てゴミ袋へ入れ買ってもらった服をハンガーにかけた。ちょっとした掃除までしてしまったのは間違いなく現実逃避に違いない。
彼女は少しの間それを繰り返したが、バー代、タクシー代の両方を払ってもらったのでお礼の連絡を入れるべきだろうと思い立って携帯を手に取った。ところがそこへ着信が一件。
――昨夜は遅くまで付き合って頂きありがとう。
ディスプレイには「松比良章介」の文字、どうやら先を越されてしまったようだ。
――此方こそ、色々と奢って頂いてすみません。今度お礼をさせてください。
謝るだけでなく、単純に楽しかったと言うべきだったかとは思ったが、すぐに返事が戻ってきた。
――それでは連日ですみませんが、夕方にでも少し出かけませんか?
思わぬ提案に一瞬固まった千秋だが、お礼をしたいのは事実なので「18時に。」と約束をした。しかし此処で千秋は昨夜、化粧を落とさず寝てしまったことを後悔することになる。急いでケアすれば間に合うだろうか、何を着て行こうか、考えることは山積みである。結局困ったときの110番、真智に連絡をして部屋に来てもらうことになった。その間に軽くシャワー浴びることにして千秋は脱衣所に駆け込んだ。
昼過ぎに玄関のチャイムが鳴り、千秋は応急処置用に取ってあった試供品のパックをしたまま扉を開けた。真智はいくつかのショップバッグを持って登場した。頼れる友人がいるというのはとても良いことである。
「まったく、普段から気を付けておかないからこうなるのよ!どうせ昨日も化粧落とさずに寝たんでしょう。」
その通りなので千秋は言い返すことが出来ない。彼女が来る前に、散らばったものは全て脱衣所へ投げ込んだので少なくとも座る場所はあるはずだ。真智は持参したショップバッグからいくつか服を出して見せる。その間に千秋はつけていたマスクを外してゴミ箱へ捨て、最低限のケアを済ませた。出された服はどれも真智好みのセクシーなものばかりである。その辺りの趣味が合わないのはこの際仕方がない。
「アンタに合いそうなのを持ってきたけど、私のお勧めはこれかな。」
何着かある中から彼女が指したのは黒いワンピースである。当然のようにミニ丈で、デコルテと胸元ギリギリまでをレースをあしらったデザインで若干透け感があり、案の定袖部分はシースルーだ。「流石に攻めすぎではないか。」と思ったが、他にあるものはもっと露出の多いものばかりで千秋はどうしても着る気になれず、それに決めることにした。背中部分は確り覆われているのが、せめてもの救いである。
「はい、さっさと着替える!私は化粧準備しといてあげるから。あとこれ、足首に着けて。」
折角の110番に甘えることにして、投げ渡された小さな香水の瓶を持って寝室で着替えることになった。
真智とはあまり体型が変わらないこともありサイズ的には問題がなかったが、どうしても服に着られている感が否めずおかしな顔をしていると、寝室の扉をノックされた。どうやら早くしろ、ということのようだ。
「あら、似合うじゃない。普段からアンタも気を使えばいいのに。ささ、メイクするわよ!文句は受け付けないからね。」
あれよあれよとリビングへ連れ戻された千秋は、真智の持ってきた本格的な化粧品を前に尻込みしてしまうが問答無用とばかりに化粧が施されていく。
「さて、出来た。」
千秋は鏡を確認したが、普段と違いすぎる印象に思わず眉を寄せる。当の真智はやり切った感満載に、携帯で写真を一枚撮った。
「ちょっと派手過ぎない?」
黒いレースのワンピースに黒いシャドウ、そして赤いリップ。千秋からすれば、如何にも遊んでいます感のある恰好だ。しかしながら無情にも直す時間などはなく、このまま行くしかなさそうだ。靴もロンドンから世話になりっぱなしのルブタンを履くしかないだろう。真智はそそくさと帰っていき、ちょうど良い頃合いに携帯の着信が鳴った。「着きました。」との簡単な一文ではあったが、昨夜の光景が再びフラッシュバックして急に恥ずかしくなってくる。しかし今日は真智の手助けもあって、確りドレスアップしたのだから問題はない!と無理やり納得して家を出た。
「千秋さん。」
章介が軽く手を振って合図を送って来るので、未だに慣れないヒールで転ばないように気を付けながら駆け寄っていくと彼の側にシルバーのスポーツカーが停まっている。夕方から何処かへということは飲みにでも行くのだろうか、と思っていた千秋だったがそうではないらしい。彼は微笑んで当然のようにナビシートのドアを開け乗るように促した。見るからに高級車なので、一般庶民の彼女は恐々としながら乗り込む。
「章介さん、車お持ちなんですね。」
「……ああ、これですか。実は知人に貸してもらいましてね。」
返事までに間のあったことからして、恐らくこれは彼の車なのだろう。それを肯定するかのように慣れた仕草で車は発進する。何故嘘をつくのかわからない千秋だったが、普段ならば絶対に体験しないような光景が広がってそんな疑問など何処かへ吹き飛んでしまった。
「何処か行きたいところはありますか?」
「いえ、急だったので特に……すみません。」
「じゃあ、少し買い物にでも行ってから食事しましょうか。急にお誘いしたのは僕なのだから、どうか謝らないでください。」
滑らかに進んでいく車からの景色は、何とも言えないものがある。千秋は運転する章介の姿を一瞥してからすぐにやめた。流石に照れすぎて何も話せなくなるのは失礼だろうと考えたからである。
「それにしても、今日の千秋さんは雰囲気が違いますね――とても素敵です。」
二度しかお会いしていませんが、と付け足した彼は柔和に笑った。途端にフェアリーゴッドマザーがかけた魔法のことを思い出して余計に恥ずかしくなってしまう。残酷にも車は高級なショップの並ぶ辺りに停まって、彼も運転席を降りてしまった。しかもドアまで開けられてしまうと流石に出ないわけにもいかない。慣れたように手を差し出されてしまったので、その手を借りて外へと降り立つ。普段の自分ならば絶対に来ない通りであり、どうしてもおどおどしそうになる。思わず千秋は章介の手をきゅと握った。
「大丈夫、千秋さん。今日の貴女は夜空に煌めく星というより、下界に舞い降りた天使のようだ。どうか自信を持って、そうすれば貴女は此処の誰よりも輝く。エスコート出来て光栄ですよ、天使さん。」
この流れるような言い回しの囁きは海外の何かなのだろうか。彼女はそう思ったが、非現実的なシチュエーションであることを考えれば、いっそのこと身を委ねてみるのも良いのかもしれないと思えてくる。
「ありがとうございます。」
「ふふ、それで良いんですよ。女性は少し自信を持っている方が美しいんですから。」
今まであまり恋愛にすら興味のなかった自分が居たのは少なからず自信がなかったからだということを千秋は自覚していた。それを包み込むようにさらりと言ってのけるこの紳士は正に手練れといったところかもしれない。彼に手を引かれて千秋は先程より堂々と、ショップに並んだディスプレイを眺めてみる。今ならどれかを選べる気さえしてくるのが不思議なところである。
そして手を引かれるまま、彼らは一軒のセレクトショップへ入った。煌びやかな内装が余計に非日常感を演出するようだ。
「松比良様、ようこそ。本日は奥様へ贈り物ですか?」
千秋が辺りを見回しているとすぐに店員が歩み寄って、彼の名を呼んだ。その言葉に、くすと笑んだ彼はわざとらしく千秋の肩を抱く。
「ええ、美しいでしょう。そうなってくれると僕としても嬉しいんですがね。――色々と見せてください。」
店員は微笑ましげにしたあと、邪魔にならないようにという配慮からか直ぐにその場から離れた。そして、章介は小声で「急にごめんね。」と一言告げて身を離す。どうやら店員を寄せ付けないための気遣いだったらしい。普段ファッションに頓着しない千秋だが、流石にこういったところへ入ってしまっては少しだけ何があるのか気になってくる。これも真智の魔法と章介の言葉のお陰かもしれない。
そこで、ひとつのマネキン人形の着ているロングスカートに目が留まった。ライトシアンのそれはひらりと舞いそうなフレアスカートになっている。何となくそれを着ている自分を想像出来てしまうのが不思議でならないが、少し離れたところで色々と服を眺めていたはずの章介が先程距離を置いてもらった店員と何やら話しているのが見える。それに気づいた彼が、ふわりと微笑みかけてくるので小さく手を振ってみた。千秋は自分らしくないこの仕草は普段着ないこの服装のせいだと割り切っている。こうなってしまえば演じてやろうではないか、という気さえ起こってきて、よく見る女の子達のするように何着かの服を物色した。いくつか気に入ったものがあったが、お値段も素敵で買うことは出来ないところが妙に現実っぽい。結局何も買わずに、二人は店を出た。先程のフレアスカートだけが心残りである。
次に入ったのはアクセサリーを扱うショップである。此処でもまた名を呼ばれた章介がにこやかに対応している。先程は気にならなかったが、何故彼の名前が知れ渡っているのかという疑問に達したが悲しくなりそうなので考えるのは止めることにした。
「これと、これを彼女に。」
どうやら試着しろということらしく、小ぶりなダイヤモンドのついたネックレスと淡い色のブルーダイヤの回りにスワロフスキーがあしらわれたものをガラスケースの上に出されてしまった。此処で断れば彼が恥をかいてしまうだろうと、結局言われるまま試着することにしてみる。胸元にしっかり収まったそれはどちらも美しい。いくら興味がないとはいえ、着けてしまうと若干興味も湧いてしまうものである。
「うん、良いね。」
一部始終を見ていた章介がゆったりと頷いて、ブルーダイヤの方を指した。店員は「ありがとうございます。」と一礼して、ラッピングはどうするかなどと話し始めている。鮮やか過ぎる流れに頭がついていかず、止めることも出来ぬままプレゼントされてしまった。
「着けていきますから、札を外してください。箱は僕が後日取りに来ます。」
そう言った彼は有無を言わさず、手慣れた様子で千秋の首へ先程のネックレスを着けた。そうして当たり前のように手を差し出してくるので、エスコートされることに慣れ始めた千秋はその手を取った。満足気な彼が嬉しそうなので、ひとまずは良かったということにして彼女は何度も礼を言った。
「輸入雑貨関係の仕事をしていると言ったでしょう?だから、この辺りには顔が利くんですよ僕。」
先程の不安感を解消するような答えを発した彼は、改めてネックレスを着けた千秋を見た。
「やっぱりそれにして良かった。よく似合っていますよ、天使さん。」
「先日のお礼のつもりが――なんだか却ってすみません。」
「んー、そういうときはお礼を言うものです。」
楽しげに彼が言うので結局絆された千秋は、丁寧に礼を言った。また奢られてしまったことを申し訳なく思うが、彼にとっては一緒に出掛けてショッピングするということ自体が十分礼になるらしいので厚意に甘えることにした。
「普通は買ってもらっても当たり前、って思う人が多いけど貴女は違うみたいだ。僕、千秋さんのそういうところが好きですよ。」
車へ戻った二人は食事へ向かうが、それを終えた彼女は驚くことになる。何も頼んだ覚えがないのに宅配ボックスに物が入っていることを不審に思ったところまではいい、だが中を開けると先程入ったショップの服の沢山入ったショップバッグが入っているではないか。先程章介が店員と話していたのはそういうことかと妙に納得して、ひとまずそれらを家へ運び入れた。確り気になっていたフレアスカートが入っている辺りが、本当に抜かりない。
どうしたら良いかわからず、ひとまず真智に連絡を入れることにした千秋は携帯を手に取った。そこでメッセージが入っていることに気づく。
――サプライズは気に入りましたか?今夜はありがとう、楽しかったです。今度会うときは是非着てきてくださいね。
つまり、また誘われるということか。と容易に連想出来てしまい、千秋は思わず両頬を手で覆った。これは返すどころの話ではない。
「ちょっと、アンタ今日デートじゃなかったの?」
電話をすると真智はすぐに出てくれた。落ち着かない胸元を抑えてしまい、つい触れたネックレスで先程の非日常が現実であることを思い知らせてくる。
「てっきり朝まで連絡来ないと思ってたんだけどなあ。」
「それどころじゃないの!見て、これ、」
電話をビデオ通話に切り替えて、いくつもあるショップバッグを映して見せる。
「貢がれちゃってどうしよう~って言いたいわけ?良いじゃない、貰っておきなさいよ。年上の男性が服をプレゼントするってことはまた会いたいってことなんだから。アンタだって彼のこと嫌いじゃないんでしょ?久々の春なんだから満喫しなさい!」
先程のメッセージを見せたわけでもないのに確りと言い当ててしまうあたり、流石は恋愛経験の豊富な真智である。しかし言うだけ言って電話は切れた。結局サプライズをありがたく貰うことにし、思い立ったように散らかった服を全てゴミ袋へ入れ買ってもらった服をハンガーにかけた。ちょっとした掃除までしてしまったのは間違いなく現実逃避に違いない。