おとぎ話を信じる年齢なんてとっくに過ぎました!~OLシンデレラと大人王子~
 あまり眠ることが出来なかった、と結局書斎に来ることのなかった千秋を想って、咥え煙草のまま起き抜けの章介はリビングへ出た。夕食は手をつけられることなくそのままになっているのが見え、まだ部屋か寝室にでもいるのだろうかとそれぞれノックしたが返事はなかった。秋めいてきたとはいえ、昨日作ったものをそのまま置いておくのはよくないだろうと、煙草の灰を灰皿へ落としがてらダイニングテーブルへ歩み寄った。しかし、置かれたメモを見てまだ半分ほど残っていた煙草の火を消し、直ぐに着替えに寝室へ向かった。
 「急用だ、今日は休む。そして昨日千秋さんに会ったと思われる社員をピックアップしておいてくれ。――話した人間だけで済むわけがない、エレベーターで乗り合わせた、とかそういうものも含む。」
 着替えながらハンズフリーで秘書に話を通した。仕事などしている場合ではない。やはり昨日無理矢理にでも話しておくべきだったと、事勿れ主義とばかりに彼女を放置した自分を情けなく思うと同時に後悔が胸中を巡る。若い頃ならば壁でも殴ったかもしれないが、今はそれよりも重要なことがある。髪をセットするのを忘れたが悠長にそうしている場合ではないので、急ぎガレージへ向かった。
 ひとまず発進してしまったが、まだ彼女の実家の場所は知らない。運転しながら、千秋の友人である真智へ電話をかける。
 「もしもし、松比良さん。珍しいですね、どうしました?」
 「大沢さん、こんにちは。この朝のお忙しいところ申し訳ない、千秋さんの実家について教えてくれませんか?」
 「あー何かあったんですね。どうせ彼女、話聞かなかったとかでしょう。住所送っておきますよ。」
 「ありがとう。」
 察しの良い友人だと章介は思いながら、オフィスの近くの赤信号で車は停まった。見えた光景に眉を寄せるも、ひとまず行かなければならないだろう。真智の送ってくれた住所をもとに、車を出来る限りのスピードで走らせる。
 西陽が射し始めた頃、車はそれらしき場所に着いた。ひとまず「葉山」と書かれた表札のある家の前に車を停める。章介は急いで車を降りると、ひとまずチャイムを鳴らした。出てきたのは恐らく千秋の父親らしき存在である。
 「初めまして、私は松比良章介と申します。此方は葉山千秋さんの御実家でお間違いありませんか?」
 「そうだけど……というかアンタ、今あいつと付き合ってるって男だな?」
 取り敢えず入れ、と言われてしまい章介は恐縮しながら玄関から家の中へ入った。彼女の父親についてリビングらしきところへ通されると、座れと言われて大人しく従うことになる。日を改めて挨拶するつもりが、このような形で会いに来ることになるとは非常に不本意だ。
 「まあまず、遠いところありがとな。アイツを迎えに来たんだろう。」
 話は聞いているぞとでも言いたげな、様子に頷きをひとつ。
 「アイツなら今は居ない。それで、どう思ってるんだ?体裁のためにアイツをくださいとでも言いに来たってわけか?」
 「いいえ、体裁のためというのはほんの初めの話で今はそういった半端な気持ちで結婚させてくださいと言うつもりはありません。」
 「でもなあ、アンタにそういう考えがあったってことが問題なんだよ。アイツは子供の頃から母親が居ない分、苦労してきてる。だから俺はアイツに幸せになって欲しいわけだ。」
 つまりは認める気はない、ということなのだろう。眉を下げてしまうが、そうしている場合ではない。どうしても認めてもらう必要がある。
 「ええ、私もその考えを持っていた自分を恥じているところです。あんなに素敵な女性に出会ったのは初めてだったもので……。因みに今彼女はどちらに?」
 「近所のスーパーに買い出しに行かせてる。料理は俺の担当だからな。」
 突破口を見つけた気がする、と章介は瞬間的に思った。
 「今、彼女と一緒に住まわせて頂いていますが、同じように料理は私が担当しています。」
 「――おお、そうか。アイツも出来るが、どうしても不器用なところがあるからなあ。」
 「家事一切も私が。お義父さんは普段どのような料理をお作りに?」
そう聞き始めたところから、先程の態度が嘘のように軟化していく。料理という共通点があることで、少しだけ距離が縮んだのである。
 「ほう、上手いもんだなあ。これは一本取られた。」
 そこまで話すならば、と魚を捌いて刺身にするという試練を与えられた章介は難なくこなしていく。恐らく本当にやっているのか疑われたのだろう、無理もない。この国では料理をする男性はまだ珍しいのだ。
 「――千秋か、買い物終わったか?……それなら神社で交通安全の御守を授かってきてくれ。」
 神社に行け、ということだろう。片づけを終えたところで、手を洗い義父へ丁寧に礼を言った。
 「神社は此処から少し行った先だ。もう泣かせるなよ、章介君。」
 何も用意する余裕がなかったのもあってか、サプライズという手は使うことが出来ない。そう考えながら神社へ向かって、すっかり陽の落ちかけた道を歩いていく。ありがたいことに鳥居はすんなりと見つかった。参道を上がっていくと、社殿の前で何かを祈っている彼女の後ろ姿を見つけて思わず駆け寄った。神聖な場所だということすら考えられずに、後ろから彼女を抱きしめる。
 「ごめん、千秋さん。」
 「!?――章介さん、」
 驚いた彼女の手からショッピングバッグが滑り落ちたがそれを気にする余裕など今はなかった。逃がさないようにと抱きしめる腕の力を強めて包み込んでしまう。
 「あのとき、ちゃんと話をしておけばよかった。僕の落ち度だ……本当に申し訳ない。今更だけど、――愛してる、僕と結婚して欲しい。体裁なんかもうどうでも良いんだ、貴女に出会ってしまったから。」
 「章介さん、まず落ち着いて、……ここ社殿の前だから、あっちに。」
 「いやだ。もう離さない。」
 「――離れないから、あっちで話しましょう、ね?」
 ひとまず、ということで離れた彼らは参道から外れた自然の中に入る。先程よりかなり暗いがそれはいっそのこと仕方がない。
 「貴女が居なくなったと気づいたときにはもう行動していました。僕は確かに昨日、貴女と言い合いになったとしても確り話すべきだった、本当に申し訳ない。だから戻ってきてください。」
 「勿論、戻る気でしたよ。あの書き方だと二度と戻らない、に見えたかもしれませんね。私も落ち着かなきゃと思って、必死で……。だから、ひとまず帰りませんか?少し寒いです。」
 秋めいてきたこともあって、流石に陽が落ちると寒いものだ。それを聞いた章介がジャケットを脱いで、彼女の肩に掛けた。そして二人で帰路へつく。
 「そういえば、初めて言ってくれましたね――愛してるって。」
 「ああ、そこも僕の落ち度だな……真っ先に伝えなければならない言葉だったのに。」
 「大丈夫です、もう聞けましたから。」
 憑き物が落ちたように微笑み合う二人は寄り添って彼女の実家へ到着する。二人の様子を見た父親が満足気に頷いた。落ちたショッピングバッグの中身に割れ物がなかったので、そのまま持ち帰り章介も片付けを手伝った。
 「今日はもう今から帰っても遅いだろ、二人とも泊まっていけ。」
 断るまでもなく夕食は先程試練として作った刺身の盛り合わせと、父親の作った煮物で三人分用意されている。しかも飲ませる気満々のようで、日本酒の一升瓶までがテーブルに載っている。
 「よし、飯にするぞ。俺はずっと息子が欲しかったんだ、飲もう。」
 「ちょっとパパ、あまり無理させないでよ?」
 「大丈夫ですよ、千秋さん。ありがたく頂きます、お義父さん。」
 誘われるままにグラスを持たされ、日本酒が注がれる。乾杯と二人でグラスを掲げて飲み始めた。しかし千秋は知っている、父は酒にあまり強くないのだと。そして案の定四杯目を飲み始めた辺りで、千秋の父は眠いと寝室へ行ってしまった。もしかすると気遣いかもしれないが、その真相を知るのは父本人のみである。しかし開けた日本酒は二人で全部飲みきれと言われてしまい、いつもよりハイペースに飲んでいた章介も珍しくほろ酔いである。千秋にはあまり無理して飲ませないようにとの配慮だろう。
 しかし二人で話しながら飲んでいたが、流石に夜も更けて千秋は欠伸を一つ零した。昨日殆ど寝ずにここまで来たのだから仕方がないかもしれない。
 「先に寝ていてください、僕はこれを飲まないと。あと少しですから。」
 「父の言ったことなんて気にしなくて良いんですよ?」
 「いえ、折角の厚意ですから……。」
 まったく表情に出ていないが、若干普段より口調がほわりとしているのは彼が酔っているからだろう。日本酒は残り四分の一ほど残っている。仕方なく、千秋は一人で自室へと入っていった。
 しかし、少し眠った辺りで目が覚めてしまった千秋はホットミルクでも飲もうとリビングへ戻ることにする。まだリビングの灯りはついたままで、残りの日本酒と格闘している章介が彼女に気づいてふわりと笑んだ。
 「千秋さん、こっち。」
 いつもはしないような仕草で手招きしてくる彼は完全に酔っているが、千秋は大人しく彼の側へ近寄った。すると流れるような感覚で、いつぞやのように腕を引かれて抱きしめられてしまう。後ろから抱きしめてくる彼は千秋の肩へ顎を預けて、頬へ軽く口づけた。そしてまったりとした雰囲気の中で少しずつ彼は話し始める。
 「僕、最初は、君と結婚する目的だけで近づいたんだよね……本当に体裁だった。社長だから結婚して、子供が、跡継ぎが、って言われるのが、いい加減嫌になっててさ――でもね、君に出会ったから、その気持ちが変わってしまった。本気になってしまったんだ、本気で好きになって、本気で愛した人、それが君なんだよ、千秋……。でも、アイツ誰……此処にくる途中、君、知らないヤツに頭撫でられてた、僕以外に触らせないでよ。」
 実は父への土産を買いに連の店に寄ったところを確りと見られていたらしいことがわかり、彼が本当にすぐ行動したのだということがわかってしまった彼女は酔って余裕を放り投げた章介の腕に触れた。
 「君は真っすぐで、恥ずかしがりで、でもそれが可愛くて、素直で、とってもかわいい、だからとてもすきだ、あいしてる。」
 最後にいくにつれて段々と呂律が回らなくなってきているが、これが彼の本心なのだろう。気取ったことを言わない彼は珍しく、尚且つ此処まではっきり伝えてくれることが嬉しくて、千秋は後ろを振り返り彼の唇を奪った。驚いたように目を見開いた彼も、小さく笑んで口づけを返してくる。だが此処は千秋の実家だ、これ以上はまずいと彼女は章介の首元へ顔を埋めて抱き着いた。
 「これからも僕と一緒にいてくれる?千秋。」
 「はい、章介さんも、私と一緒に居てください。」
 「もう離さないからなー、覚悟しとけよー。」
 いつもならばあり得ない物言いに思わず笑えてくるが、改めて見せて貰えた一面が嬉しくて一緒に横になるように倒れ込んだ。不安感が一気に解消されたせいか泣けてきてしまったが、そうしたところで部屋に戻らなければという妙な義務感が湧いてくるが章介は既に眠っている。確実に飲みすぎだ。千秋は誤解が解けた仲直りに満足して再び隣へ横になった。翌朝、早寝した父に叩き起こされた二人は案の定二日酔いとなったが、日本酒を一本空けたことで確り気に入られた章介は結婚を認めるという言葉を頂戴して家へ帰ることになったのであった。
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