身代わり花嫁は若き帝王の愛を孕む~政略夫婦の淫らにとろける懐妊譚~
――疎まれるくらいなら逃げ出した方がマシだなんて。本当に臆病よね……。

気持ちがさざ波立っていたせいか、その日はあまりよく眠りにつくことができなかった。



早朝に目覚めた椿。顔を洗い歯磨きをしている間も、もやもやとした思考の時間は続いていた。

きちんと向き合うべきだったのかもしれない。そしていっそ思い切り振られるべきだった。

受け身で逃げ腰な椿の態度が状況を悪化させたのだとようやく気付く。

椿は早々にチェックアウトの準備をして部屋を出る。朝食もとらぬまま、ホテル一階のフロントに向かい手続きを済ませた。

自分が愚かなことをしているのは百も承知で、一歩踏み出すごとに喪失感が襲ってくる。

もっと素直に、がむしゃらに仁を求めていれば、なにかが変わっていたのだろうか……?

そんな後悔を抱えたまま、ホテルを出ようとロビーを通り抜けると、後方のソファに座っていた男が突然声を発した。

「椿」

その声に椿は驚いて足を止める。よく知る、けれど、ここには決していないはずの男の声が聞こえた。

――嘘でしょう?

気のせいで済ませるにしては、あまりにも声がはっきりとしている。

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