朔ちゃんはあきらめない
「え、てかじゃあなんで、のぞみさんのこと連れてきたの?」

 ふと疑問に思う。朔ちゃんはそもそもわたしと旭さんが付き合えるように協力しているのでは?言ったこととやっていることの整合性が取れない。理由によってはしごでき朔ちゃんではなくぽんこつ朔ちゃんになるぞ、といったところだ。わたしの質問に、朔ちゃんはぐっと言葉を詰まらせて、ぽつりと言葉をこぼした。

「……諦めればいいと思って……」
「へ?わたしが旭さんのことを?」

 頭に浮かんだことを思わず口にすれば、「そうだよ」と口を尖らせた朔ちゃん。えー?協力するって言い出したのは朔ちゃんじゃん!この短期間でこうも心変わりする理由とは、いったい何が起こったのか?

「なんで?」
「あ?」
「だーかーらー!なんで諦めなきゃいけない?」

 納得のいく説明をしてほしい。わたしの真剣な眼差しに朔ちゃんは視線を泳がせた。怪しい……まだ何か隠してるな?

「洗いざらい吐きなさい」

 そう詰め寄ったわたしに、朔ちゃんが「……い」と聞き取れないほどの声を発する。「え?なんて?」と聞き返してしまうほどの声の小ささだ。

「近いっつってんだよ!」

 叫んだ、と形容するのが適切だろうというぐらい切実だった。朔ちゃんは続けて「離れろよ」とわたしの体を腕で押し返す。強さはなかったが明確な拒絶を体現していた。しかしそれは嫌悪からくるものではないことを、彼の赤くなった頬が教えてくれている。相変わらず女慣れしていない反応が新鮮である。
 こんなに照れさせてしまうほど近かっただろうか。わたしはとりあえず「ごめん」と謝罪をし、距離を取った。

「そんな青い髪してるのにねぇ」

 ぽろりと出てしまったそれは完全な偏見だった。清楚な見た目に反してーー自分自身を清楚だと評するのはかなり恥ずかしいがーー性欲旺盛な中身。そのギャップで苦しんできたわたしが言ってはいけない言葉であった。

「これはお前がっ……!」

 わたしの「ごめん」に被せるように朔ちゃんが勢い良く声を発するが、言い切らないまま口をつぐんだ。わたし?わたしがその青い髪に関わっているのだろうか?

「お前が……なに?」
「……いや、なんでもねぇ」

 なんでもなくないだろ。そう思ったが、ふいっとそっぽを向いた朔ちゃんは、これ以上話す気はないようだ。ついでに旭さんのことについても。あんまりしつこくするのはよくないか、と思い至る。また次の機会にでも聞いてみればいい。

「朔ちゃん、ピアスいくつ開けてるの?」
「……あ?」

 その一々凄む癖やめてほしいんだけど。突然話題が変わったので、ついてこれなかったのは分かる。だけど、ん?とか、え?とかにしてほしい。あ?って。まぁ、朔ちゃんに凄まれても全然怖くないけど。

「ピアスだよ、ピアス。眉と口と、耳は?」
「……左と右に3つずつ」
「え、そんな開けてるの!?分からなかった」
「目立たないピアスにしてるから……」

 「見せてよ」と近づけば、後ろに反る胸元が「近いんだよ」と訴えているようだ。だけどそんなの知ったこっちゃない。まじまじと耳を見れば、朔ちゃんが言ったのと同じ数のピアスが付けられていた。

「軟骨とか痛そー」
「別に……、ってもういいだろ、離れろよ」

 徐々に赤くなる朔ちゃんの耳に、いたずら心が顔を出す。指先で軽くそこに触れてみれば「おい!」と、想像していた倍ほどの焦りようだ。

「、っふは、ごめんごめん。朔ちゃんの反応がかわいいから、つい」
「お前なぁ……まじで舐めてるだろ」

 舐めているなんて心外だ。心の底から可愛いと思っているからしたのだ。「えー、舐めてなんかないよ」とヘラヘラと笑いながら返す。後から思い返せばこれが良くなかった。素直に反省して謝っておけばよかったのだ。
 「いーや、お前は舐めてるね」と丸い目を鋭くした朔ちゃんは、身体の正面をわたしに向けてそのままソファに押し倒した。
 カラオケルームの硬いソファに押し倒されても頭に衝撃がなかったのは、朔ちゃんの手が挟み込まれていたからだ。……いつの間に。女慣れしていないと思っていたがそれは勘違いかもしれない、とこんな状況の中、冷静に思う。いや、これは果たして冷静なのか?正常性バイアスと呼ばれるやつでは?

「俺がこんなことするなんて思ってもみなかっただろ?」

 幼さばかりを感じていた顔つきが急に男のそれに化けたものだから、わたしは今になって混乱してくる。

「待って、そ、その、朔ちゃんとは……できないよ?」

 って、違う!そんなことを言いたいんじゃないのに。シリアスなところでおちゃらけてしまうのは、わたしの悪い癖だ。それは空気を明るくしようという精一杯の気遣いなのだが、完全に空回っている。

「……なんで?兄ちゃんの弟だから?黙ってればバレねーよ」

 それに、と朔ちゃんは言葉を繋げる。

「ひまりが俺としようが、誰としようが、兄ちゃんは気にしない」

 あぁ、それめっちゃ傷ついた。そんなこと理解している。だけどまざまざと現実を突きつけられ、わたしは傷ついたのだ。
 あからさまに傷ついた顔をしていたのだろう。朔ちゃんからは先ほどまでの好戦的な笑みは消え失せ、いつもの幼い朔ちゃんに戻っている。

「ごめん、悪かった。……泣くなよ」

 優しい声音で慰められ、柔らかい指先がわたしの目尻を掠め、ほんとに泣いちゃってるんだ、と悟る。気づかぬうちに泣いてしまうほどショックだったらしい。

「ううん。わたしもごめん……」

 今さら素直に謝れば、「諦めればいいって言ったのは嘘じゃないからな」と念を押された。

「これ以上、お前が傷つく必要はねーよ」

 そうだね。わたしの心は思っていたよりずっと傷ついていたみたいだ。
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