僕と彼女とレンタル家族
第34話 「明晰夢3」
 また、同じようにカメラのシャッターを切るように場面が切り替わる。夢とわかっていても、過去のトラウマとなっている記憶を追体験するのは苦痛であった。また、場面が切り替わると、小学生の僕は父親の部屋で麻雀牌を触って一人で過ごしていた。

 確か、この時は父親に麻雀を教えてもらい、ゲーム内容が難しくて一人で練習していた時だった。しかし、この時が僕にとって……母親と女性に対してトラウマになったキッカケでもあった。

「あぁ……難しいな。これが萬子(まんず)索子(そーず)筒子(ぴんず)。あれ、この字のやつなんだっけ?」

 父親の部屋で麻雀牌の種類と呼び方を覚えていると、階段を上ってくる音が聞こえてくる。重い足音にビクッと体が硬直する。この足音は機嫌が悪い母親だ。

「ちょっと。暇なら電話してお金貸してもらえるか聞いてきて」

「いや、面倒くさい。いま練習してるから無理」

 ちいさな反抗。母親の顔を見ないで、麻雀牌に触れながら拒否をする。これで何度目だろうか? どうせもうお金なんて貸してくれない。それをわかっているのに可能性に掛けていることが惨めだ。

 また、電話する度に怒られるのも僕はもう嫌だ。

「あなたも私を馬鹿にするの! いい加減にしなさい! 生活できるのは誰のおかげだと思ってるのっ!」

「ッツ!」

 ビクッとするほど大きな声で怒鳴られ、僕は母親を見上げた。真っ赤な顔で、ボロボロと涙を流している。だが、これもいつものことだ。なにかあれば母親は泣いて「こんなにも頑張ってるのに、誰も理解してくれない」と泣き崩れる。

 僕が、気づいていないとでも思っているのだろうか。借りた数百万、いや数千万に近い借金のほとんど……。

 ――智昭(ともあき)さんと、母親の彼氏に使われているじゃないか。

 借金や不倫と言った意味は理解している年齢。父親が知らない借金を膨れ上がらせ、それを知られない為に借金を増やす悪循環。だけど、僕も片棒を担いでしまっている。僕が借金をした、と言う自覚はなかったが、実際に電話をして受け取っているのは僕自身だ。

「こんな母親なんて、死ねばいいと思ってるんでしょ!」

「……そんなの知らないよ! もう電話するのも嫌だ! そんなに借りたいなら、自分で電話すればいいじゃん」

「誰が、誰が育ててると思ってるのっ!」

 泣きながら、顔を真っ赤して、歯を食いしばるように睨んでいる。怖くなった僕は、うつ伏せ状態から座り直す。近づいてくる母親の威圧に、ゴクッと生唾を飲み込んだ。

「こんなにも頑張ってるのに!」

「……イッ」

 大きく振りかぶった母親の右手が、僕の頬を激しくビンタする。痛い、痛みと恐怖でじわぁと涙がでる。呼吸が乱れ、目の前の母親の顔が至近距離にあり瞳孔がひらいている。

「なんだよ! もう何度電話しても、どうせ貸してくれないよ!」

「ふぅ……ふぅ、ふぅ。死んで償えとか思ってるんでしょっ!」

「うるさいなぁ! そんなに死にたいなら死ねばいいだろ!」

 もう一度、激しくビンタをされる。地団駄を踏むかのように母親が部屋を出ていき、痛みに震える僕だったが安堵していた。しかし、それも一瞬の出来事だった。

 すぐに階段を上ってくる音が聞こえ、部屋の扉をじっと見つめる。泣き顔の母親が現れると、睨んだ表情で僕を見下ろしている。また、母親の右手には……包丁が握りしめられていた。

 手の血管が浮き出るほど、母親は包丁を握りしめている。僕は、そんな光景に息を荒げ恐怖感に支配される。部屋に入ってこない母親は、廊下からコチラを見ている。

「そんなに死んでほしいなら、殺しなさいよ。ほら! これで刺しなさい!!」

 包丁を僕に渡すかのように突き出し、怒りに狂った母親が叫ぶ。

「殺しなさい!」

「……」

「ほら、早く刺しなさい!」

「……」

「死んでほしいんでしょう! なら、さっさと殺しなさいよっ!」

 声がかすれながら、何度も殺せと迫る母親と言う存在が化け物に見えた。

「うっ……おぇぇあぁえ。ケホッげほっ、うぇおうぇぇ」

 唐突に、奥底から溢れ出てくる嗚咽感と共に吐瀉物(としゃぶつ)を撒き散らした。

「汚いなぁ。自分で殺せないなら、死ねっていいなさい! お母さん、言う通りに首を切って死んであげるから!」

 数回ほど嘔吐する僕は、気持ち悪さをグッと抑え込んで母親を見上げる。自分の首筋に包丁を突きつけ「死ねと言え」と繰り返す。急激な嘔吐により、僕はクラっと眩暈を起こす。

「どうして貴方達は、お母さんの気持ちを理解してくれないの……。こんな呪われた家族になりたくなかった」

 包丁を落とし、泣き崩れるように座り込む。顔を両手で隠し、泣きじゃくる声と一緒に言う。

 ――父親が協力してくれないから、いけないのだと。


 僕は知っている。母親が誰にも言えない背景を。母親の祖母も多額の借金を背負い、智昭さんと暴力団関係の金銭トラブル。自分さえも苦しいのに、老いた母のため、お兄ちゃんの為に借金をする。

 返済できない額まで到達しており、僕の目の前にいる母親はすでに壊れてしまっているのだろう。だから逃げる。少しでも現実を忘れるために、優しくしてくれる別の男性を求めてしまった。

 毎日、父親の悪口を言っている女の人。父親から生活費を貰い、それを使い込む女の人。帰ってくるのが遅いから、父親は浮気をしている。だから慰謝料を貰おうと言う女の人。

 ――自分はよくて、父親のすることは許せない。

 ――なんて、身勝手で。

 ――なんて、可愛そうな人なんだろう。

 ゆっくりと立ち上がり、僕は吐瀉物を跨いで部屋をでる。廊下で泣き崩れている女の人の側を通り「電話してくるよ」と一言伝えた。

 階段を降りて一階に行き、洗面所でうがいをしてから家をでる。ただ呆然と歩く自分の足を見つめ、最寄り駅に向かう。公衆電話に10円を入れて、いつもの番号へ電話する。

「はい」

「近藤です」

「いい加減にしろよ! もう、無理だって言ってんだろうがよ! 俺を殺す気か!」

「はい。大変申し訳ございません」

 心を殺し、本音を隠して謝罪をする。言いたい事は沢山あるし、否定したいこともある。僕は関係ないと叫びたい。けど、僕は知ってしまった。

 ――相手に自分の思いを伝えることで、苦しむのは僕自身だと。

 だから決めた。もう僕自身のことを伝えるのはやめようと。期待しても無駄だから、期待しても仕方のない事だから。

「きっと、偽物の家族なんだな。同じ家に住んでるのに、全員バラバラだ」

 電話が切れた受話器を戻して、電話ボックスからでる。涼しい風に撫でられながら、僕は嘘の塊である家に帰っていく。

 誰も、本当の事を本当の気持ちを伝えない、嘘の家族のもとへ。


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