紳士な御曹司の淫らなキス~契約妻なのに夫が完璧すぎて困っています

「やだ、恥ずかしい」


 わたしがアルバムを閉じようとすると、薫さんは別のアルバムを取り上げた。そこには十二歳のわたしが写っていて、やはり同じようにピアノを弾いていた。


「わたしの青春のほとんどはピアノ一色でしたからね」


 わたしは部屋の隅に置かれたピアノを見た。

 今は弾く人はいないけれど、調律だけはきちんとしていると聞かされていた。

 そこへ、お母さんが部屋にやってきた。


「あらやだ、こんなに散らかして」


 そう言いつつもわたしの近くにあったアルバムを手に取り、懐かしそうに顔を綻ばせる。


「紫は、予定より早く生まれたから、一ヵ月くらいNICUってところに入っていて、お父さんもお母さん毎日、あんたの心配ばっかりしてたのよ」


 それは何度も聞かされた話だったけど、感慨深そうなお母さんの表情を見て、黙って耳を傾けた。


「ピアノを習いたいって言ったときは、お母さん、紫には絶対に無理だと思ったの。だってうちの親戚にピアノを弾ける人なんていなかったからね。それが、あんなに夢中になるとは思わなかったわ。覚えてない? ピアノの発表会のとき、お母さんがあんたのドレスを手作りしたのを」

「覚えてるよ」


 裁縫の下手なお母さんがなぜか発表会のためにわたしのドレスを作りたいと言ってきたのだ。当時はわけもわからずお願いしたけれど、お母さんの作ったドレスは不格好で恥ずかしかった記憶がある。羞恥心と緊張で発表会で何度もタッチを間違えたので、泣きながらお母さんを責めた記憶がある。今、考えるとお母さんなりに一生懸命してくれたのに、申し訳なかったと思った。


 お母さんがぽつりと言った。

「お父さん、足が治っても日常生活には支障はないけど、今まで通りに働くのは難しいだろうって言われちゃったの」

「え、そうなの? お父さん、そのこと知ってるの?」

「知ってるわ。部署を移動できるように会社がいろいろ考えてくれてるらしいけど、お父さんは営業一筋だから、内心落ち込んでいると思うわ」

「そっか」


 それ以上は言葉にならなかった。

 その夜は薫さんが晩御飯を振舞ってくれた。初めて薫さんのご飯を食べたお母さんはあまりの美味しさに感激していた。「これならあんたが料理する必要ないわね」とまで言った。

 翌日もまた朝から掃除をして夕方には片付けを終えた。買い物に行っていたお母さんが年越し蕎麦を買ってきた。するとほどなくして薫さんが注文していたおせち料理が届いた。五段重ねの豪華なおせちを見てわたしとお母さんは目を丸くしていたけど、薫さんは悔しそうだった。


「……ぼくがおせちを作りたかった」


 そう言って薫さんは落ち込んだ。

 そんな薫さんの姿を見て、お母さんは目を丸くしていた。








< 111 / 119 >

この作品をシェア

pagetop